東野圭吾 さまよう刃

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あらすじ

長峰重樹は彼の考えを絶する苦しみに直面している。勿論それは不可抗力だ。彼の家族は一粒種の娘一人だけだった。「だった」と過去形なのは彼女すらすでにこの世にいないからだ。妻と死別し掌中の玉の如く大切にしてきた絵摩は非道なる人物の手によって殺されてしまった。
彼女との最後のふれあいは花火大会に関することだった。友達と一緒に楽しみ、そしてその後行方がわからなくなってから二日後、彼女は変わり果てた姿で発見された。荒川の下流で堤防に引っかかるようにして発見された遺体は鑑識の結果急性薬物中毒による心停止と考えられるようだった。だが長峰の脳裏には一つのことしかなかった。「他殺か事故死か」絵摩が薬に手を出していたとは考えにくい。そうすると圧倒的に他殺の可能性が高くなる。しかも事件が起きた時間帯に不審な自動車が目撃されてもいた。そこまで思考が至ると彼は変わり果てた遺体の前で犯人への怒りを爆発させた。ひたすらに悲しいのだ。そして悔しいのだ。吐き出される悲嘆には万感が籠もっている。警察はどうやら犯人が未成年者、法によると罪を裁くことよりも更正をさせることを優先させられる連中であると考えているらしい。
司法は罪を裁くことなど出来ない。それが長峰の出した答えだった。殺しても飽き足りない人間がたった数年で娑婆に戻ってくるなどと言うことはどうにも承服できない長峰は一人犯人を捜そうとする。しかし彼にはそうするための能力もつてもないのだった。当然行き詰まってしまう。そこへ犯人関係者経由の密告が長峰にもたらされるという意外な展開が待ち受けていた。勿論長峰に対して自分が関係者であることは伏せてあった。だが、喉から手が出るほど欲しい情報に長峰は飛びついた。
犯人は二人、スガノカイジ、トモザキアツヤで部屋への侵入方法と住所などを伝える怪電話の情報を信じた長峰はその下調べを行うことを考えた。実際に住所の通りに有る部屋、鍵が隠されている場所どちらとも本物であることが確認できた。そしてなによりも侵入した室内に残された絵摩の遺留品が全てを物語っていた。長峰は一人部屋に潜み侵入してきた人物を滅多刺しにして殺した。死に際に殺された伴崎はスガノが長野のペンションに逃げたことを言い残した。
伴崎の死体はすぐに発見された。興奮状態で全く自身の痕跡を気にしないでがむしゃらに行動していた長峰は簡単に手配がかかることになる。しかし長峰にはやらねばならぬことがどうしても一つだけ有った。絵摩の仇を討つのだ。老眼が始まって腕前に不安があるが射撃が趣味のため長峰には銃がある。スガノをこの手で殺さねば死んでも死にきれない。後のことは最早どうでも良かった。

感想

東野圭吾二十一作目。一応今回は社会派ミステリーな復讐劇です。社会派な部分は未成年者の犯罪の取扱についてですね。現行の法制度には人治的な仇討ちは野蛮であるからという理由で禁止されています。しかし、凶悪化する未成年犯罪に対して現在のような加害者優遇で本当に佳いのだろうか?という一石を投じる話となっています。
ストーリーとは関係ないですが、まず事実として知って欲しいことが一点あります。マスコミでは未成年者の犯罪が殊更にクローズアップされて凶悪化と事件数の増加が叫ばれていますがこれは嘘です。そんな事実はこれっぽっちもありません。むしろ凶悪事件は減っていますし、件数自体も減っています。少子化の影響とか言うのもちょっと違います。昭和二十年代〜三十年代あたりが未成年者犯罪のピークですが人口と犯罪率の対比でもでも減っているのですから世論誘導以外のなにものでもないのですよ。現在の警視庁における白書の統計(ここ)なんかを見るといかにも多そうですよね。犯罪を犯したという雑多な扱いでまとめているからこんな感じになるわけです。当然補導も含まれます。さて、殺人だけに絞って見た場合どうでしょう?グラフを直接見た方がわかりやすいと思われますので少年犯罪データベースここを見てください。どうです?戦前よりも未成年者による殺人が減っていることがわかるでしょう?単純に未成年者の犯罪の凶悪化が殺人と結びついているとするならばその情報は紛れもなくまがい物としかいいようがないではありませんか。犯罪の異常性もこうなってくると本当に今の方が高いのか疑問がありませんか?更にここを見てください。あんまり変わっていないような・・・。むしろ昔の方が殺人とレイプが横行してて危ない気もしますよね。それに今と同じでメディアがスケープゴートを作っているのもかなりアレです。昔は探偵小説、今は漫画やゲームがその対象ですねぇ。「新聞で見て自分にも出来ると思った」なんて話は聞いたこと無いですw。
というわけで情報はまずきちんと精査する必要性があるわけです。それをしないでメディアたる側が怠慢、世論誘導をしている事実はきちんと知った方が佳いですね。マスゴミと呼ばれる理由も実に明快ですし。
さて本の内容に戻ります。
私は仇討ち自体は有っても佳いと考えています。死刑囚に対する拷問が被害者の身内から行われてもこれっぽっちも良心の呵責なんかはないでしょう。第一刑務官が死刑囚を殺すという重責の方がよっぽどきつい気がします。まぁ当人が選んだ職場ですから仕方ないのかもしれませんがね。文明人らしいってなんでしょうかね。ひたすらに鉄面皮で暴力を厭うということでしょうか。囚人に対する拷問なんかは世界人権宣言で禁止されていますがそんなのあくまでも建前でしょうに。目には目を歯には歯をですよ。ハンムラビ法典の量刑通り、過分な復讐を禁じつつきちんとケジメを付ける、コレが必要だと思われます。現在の日本の司法制度は老朽化しています。これは立法府である国会が正常機能していないことが全ての原因なわけですがそれだけではなく、単にもう定年だからという理由で違憲判決を出したり、控訴できないように敗訴判決を出した上でどう考えても過分な前文を付けたりする怪しからん裁判官なんかも沢山いたりします。まぁ、裁判所はあくまで法律に則ってやるところですから仕方ないにしても問題は受刑者の路行です。通常犯罪者は刑務所に収監され刑が満期になると娑婆に出てこられます。それで罪が償われたことになるわけです。さて、実際に罪は償われたのでしょうか?受刑者の時間を奪うことは出来ていますが償われているとは必ずしも云えないのが実情です。一種の罰として社会的に隔離されても内部で受刑者に対する働きかけが現在ほとんどありません。要するに更正を推し進めるためのプロジェクトも何もないわけです。ただ彼らを監禁し就労させているに過ぎません。刑期が長くても獄中はかなり快適なので、只飯を食って働いて糞して寝る実に人間的な生活が彼らを待っていますが、その平坦な日常の中には一般社会に戻るための道筋もありませんし更正なんて夢のまた夢です。窃盗などが基本の職業犯罪者は運が悪かったで済まされますし、刑務所の意義は一体何なんでしょうね。
私は死刑存続を望む側の人間です。現状無期懲役という量刑が有りますが日本には未だ終身刑という物が存在しません。恐らくそんなことをしたら全国の刑務所に収監出来る許容量を超えるからかもしれませんが死刑廃絶を唱えるならばまず刑法の改正と終身刑の設立が不可欠だからそれが叶わない限りこの論は曲げられません。改心した死刑囚がその不幸な生い立ちなどを綴った云々と本を出したりとお涙頂戴の三文芝居をぶちますがアレなんかどう見ても猿芝居じゃないですか。冤罪なら兎も角自らが犯した犯罪はきちんと裁かれる必要があります。それが行われないのならば単に無責任なだけじゃないですか?法務大臣さん。粛々と事を運ぶ、波風をただただ恐れるだけでは問題外ですよ。
と激しく脱線してしまいました。本書はかなり上っ面をかすった内容となっています。ステレオタイプのオンパレードですね。最大公約数的なコードを使い、悲劇の復讐を演出していますが結局明瞭な答えは出しません。相変わらずずるいですねぇ。反面被害者の父親である人物の心情描写などは実に良くできているのではないでしょうか。問題提起としては上々でしょう。ただ個人的には結末部分で日和ったな、と思わなくもないです。
まぁ、それでもやはり復讐物は燃えるものがありますね。
80点

参考リンク

さまよう刃
さまよう刃
posted with amazlet on 06.04.23
東野 圭吾
朝日新聞社 (2004/12)
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