伊坂幸太郎 死神の精度

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あらすじ

この世には人間が存在するように、死神という者がいる。彼らはいつ生まれ、その仕事をするようになったかは不明だが、人間社会にまみれながら連綿とその仕事を実行してきた。
私達が想像する死神というと魂という名の実りを刈り取るサイス(大鎌)を片手に持ち、漆黒のローブで骨格標本の様な躯を隠す恐るべき存在というのが伝統的な姿である。しかし、それはあくまで人間側の奔放な想像力のなせる業であって実像とはかけ離れたものだったりする。
例えば彼らはそれほど人間に興味はない。ただ与えられた仕事を機械的にこなすのが彼らの存在意義であるかのように振る舞うし、想像の世界でよく見られるような虚仮威しの見かけに頼ってもいない。普通の人間の肉体を外見として使い、なにより実行自体は彼らの手から離れているのだ。彼ら「死神」のすることはただ二つ。
一週間にわたって対象者を観察し、接触し、話をすること。
その結果から上に報告書を出す。「可」か「見送りにする」か。
大抵は「可」で対象者はきっかり死んでいく。死神による死は「事故死」ばかりだから分かりやすいかも知れない。なお「死神」からは実行者は分からないがそれが仕組みなのだからと興味を持つ者も少ない。「死ぬ者は死ぬ」のだし「人間は生まれてからいつかは死ぬ」のだから。実際に死の原因を作るのは彼らかも知れないが実行自体は現場の「死神」には関係ないからだ。
それにある意味仕事より彼らにとって重要なことがある。人間自体はどうでもよくても人間の産み出した「音楽」である。「音楽」は「死神」を虜にする。そのジャンルがどんな物であれ、歌があろうが無かろうが彼らはかまいもしない。たまの仕事に人間の世界に来たら仕事の時間を削ってでも音楽を聴きまくるのが彼らの習性なのだ。

この物語はそんな「音楽」好きの「死神」である「私」(作中ではよく偽名で千葉と名乗っている)の数多い仕事の中のいくつかを纏めたものである。今日もどこかで「死神」は対象者の観察を続けているのかも知れない。

  • 死神の精度

対象者は藤木一枝。大手電機会社でクレーム処理を担当。最近同一人物のクレーマーから脅迫に近い内容で脅されていて精神的に疲れている。
「私」は女性に好まれるような甘いマスクで接触を図る。

  • 死神と藤田

対象者は藤田という中年の男。所謂ヤクザである。彼はやや古い義に生きるタイプのため兄貴分を撃った連中への復讐を考えていた。
「私」は藤田の仇である栗木の情報を持つことで藤田に接触取ることに成功する。

  • 吹雪に死神

対象者は田村聡江。対象者は雪山の洋館に夫を連れ立って旅行に来ている。だが現在豪雪によって通行は不通になり、連絡の手段もない。洋館は小さなホテルのような宿泊可能な施設であり、田村夫妻以外にも宿泊客が複数いる。なおその宿泊客の中には既に「可」の報告が揚がっている者もいるらしい。
「私」はその洋館にいきなり転がり込んできた人物として侵入することになった。おかげであからさまに怪しまれてしまったのだが・・・。

  • 恋愛で死神

対象者は荻原という若い男。女性専門のブティックで働いていた。
「私」は荻原の報告を「可」と上にあげていた。それ故に彼は死んだ。
「私」は荻原と接触した七日間の事を振り返る。
荻原には気になる女がいた。小川朝美という現在ストーカーに付きまとわれている女だ。

  • 旅路を死神

対象者は森岡耕介という少年。耕介は繁華街で若い男を一人刺し、更に実母も刺して逃走中だ。
「私」は耕介が幼い頃に誘拐された顛末を聞き、誘拐犯の一人と見られる深津という男を殺しに行く旅に同道する。逃走車両の運転手役という仕事にうってつけの環境だが音楽聞けないのが少し辛い。

  • 死神対老女

対象者は新田という老女。珍しいことに「私」が死神であることに気がついた慧眼の持ち主だ。老齢ながら経営するテーラーを一人で切り盛りしている。
「私」は最後のお願いというのを頼まれた。同族の中では死に際して最後を彩ってやる連中もいるが「私」はそういうことはやったことが無かった。肝心の中身は「客を連れてくること」。別段金に困っているわけではなさそうだったから何か裏があるのかも知れない。だが戯れに引き受けることにした。

感想

伊坂幸太郎四作目。本書は第三回本屋大賞第三位を獲得しています。なお、直木賞候補にも挙がってました。結局落選してますがね。
さて、今回はいろんな意味でちょっと珍しいかも。まず私が感じている伊坂幸太郎らしさの第一義的な「隠された瞑目な人道主義*1」の強烈さがほぼ0。つまりは目茶苦茶マイルドな普通の話になっているってことですかね。ってことでもしかしたら今まで筆者の書く小説が駄目だった人も本作ならば普通に違和感なく読めるかも。反面名前を隠して人に読ませたら作者が誰であるかは全く分からなくなってしまうかも知れない。個性が埋没したととられても仕方ないかもなぁ。なお、読んでて脳裏に「東野圭吾の位置を狙っているのだろうか?」とか浮かんだ。これは多分連作短編という形式、クールで頭は良いがなんか世間ズレしてない人物像ということで『探偵ガリレオ』の湯川と『おれは非情勤』の「おれ」を思い出したからなんだろうけど・・・。
ま、路線転換って事なのかも。踏み込みすぎない一週間という期間を区切ることで、主観人物が深く掘り下げるタイプの小説から偶々関わってしまったクロスした人間関係の妙みたいなものを書きたかったのかな。その分内容成分が薄くなっちゃって感動とか激情とか感情移入とは縁遠くなってしまったのは否めないものの、普段小説を読まない人なんかにはライトで読みやすいという特色はあるよね。
例えば主人公が「死神」とかいう話は小説なんかよりも漫画の方が媒体として適している部分はあるかな。児童文学とかでも有り得ない話ではないものの、どちらかというとホラーかギャグに適しているだろうし、ある意味使い古されているわけだしね。最近では『DeathNote』やら『BLEACH』なんかが有名かな。古くは水木御大も書いてたし、更に遡ればその物ズバリの古典落語『死神』なんてのもある。最近はラノベで天使・悪魔にアクセントとして死神なんかも出てきますな。ってことでサブカルよりの設定であるのは確かだと思います。千葉がクールボケなんてのは『銀玉』なんかが人気あるところを見るとやはり萌え所みたいですしねぇ。
さて、死神が登場人物として出てくる作品は数有れどある程度パターンは決まっています。
例えば

こんな感じじゃないですかね。死神関係ないのも含まれていますがこの際気にしないで下さい。分かりやすくが一番ですからねぇ。大体これらで網羅できてると思います。今回は訥々した内容なのでこういったインパクト勝負には出なかったようです。でもそれで正解だったかも。それぞれの登場人物像をメインに据えて悲劇に傾きすぎず、かといって常に逆転の一手でごり押しというのでもなくバラエティ豊かに纏まっています。ただ人によっては物足りないかもしれないのは仕方ないかなぁ。
さて、漫画で言うと40ページぐらいの読み切り作品のまとまりみたいなもんですが漫画や映像作品ではなく小説である事の利点の一つに陳腐化を免れているというのがあるようです。演出が力を持たないとダイレクトな視覚による表現はどうしても陳腐化してしまいます。その作品の纏う雰囲気を壊してしまうのもありがちですよね*3。それに対してこの小説ではかなり設定に幅を持たせています。例えば時制一つとってみても一週間という以外の繋がり、すなわち事件同士の繋がりは容易に見えてきません。それにほとんど作中時事的なネタはなし。固有名詞にしても極力控えてるのがわかりますね。そう、かなり読者の想像力に任せている部分が多いんですよ。例えば登場人物達の格好や年格好なんかはほとんど描かれませんからね。描かれていても相当ぼんやりしているわけでそこに肉付けしていくのはあくまで読み手なわけです。その曖昧さ加減は小説独特のものでしょう。それに語られなければ憶測に過ぎない部分を強固に補足できるのも小説ならではの強みです。てーことで私としては映像化は辞めてほしい方の作品ですね。とぼけた味が消えてしまいそうですからねぇ。
最後に作者はあくまでミステリに分類される作家です。当然ながら本作にも仕掛けを施しています。ここのあらすじ見てすぐに分かる部分では「雪山の閉ざされた山荘ネタ」がありますけどああいうのではなくもっと大規模です。私はこれはこれでありかな、と思いましたけど感動ネタっぽい閉め方にはちょっと馴染めませんねぇ。
小学生ぐらいから読める内容の本に仕上がっていますから普段本を読まない人が読むと読書の楽しみを見出せるかも。ただ、作者のファンの活字中毒患者の場合はこの作者が書いたことを差し引いて読んだ方が落胆は少ないかな。多分点が辛くなるだろうから。
70点

参考リンク

死神の精度
死神の精度
posted with amazlet on 06.07.05
伊坂 幸太郎
文藝春秋 (2005/06/28)
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*1:超ポリティカルコレクトネス"Ultra Political Correctness"と言い換えても佳いかもしれない

*2:っていうかこれは悪魔ネタの方が多いですな

*3:例えば姑獲鳥とか姑獲鳥とか姑獲鳥とか。映像化で小説とは別の解釈をすることで成功した例もありますが・・・。