貴志祐介 天使の囀り

ASIN:4041979056
ASIN:404873122X

あらすじ

北畠光宏は南米はアマゾンの鬱蒼とした密林から恋人に電子メールを送ってきていた。何故そんなところにいるのかというと取材のために来たのだ。彼の職業は小説家なのだが、ここ最近は筆に精彩が無く、書けども書けども暖簾に腕押しであった。一時期はベストセラー作家に名を連ねたこともある光宏だったが、最近はとんと文筆の仕事から離れていたのだった。つまり、暇を持て余していたわけだ。そこに雑誌の企画でコラムを書く仕事が入り現地入りしたのだが、環境を変えても本人は全然書くことの意欲を取り戻せないままだった。メールは一種のリハビリとして行っている、そういう自嘲的な調子で書かれていたこともあったが、アマゾンの様子、同行者の説明、最近の近況などの方がよっぽど比重が大きい。だが、一行は呪われた場所に間違って行ってしまったことが現地住民にしれたらしい。そのごたごた以来メールは来なくなっていた。

光宏のメールの受取手である北島早苗は医者である。だが、一般的な医者とは少し立場が違うかもしれない。彼女はターミナルケア、つまりは終末医療に携わる立場にいた。医療とは生者を死から救う仕事である。例え死が万人に分け与えられたものであっても、早すぎる死は悲しみしか産まない。それを救うのが医術なのだから。
だが、ターミナル・ケアはその領分から離れたところに位置していると云って佳い。何故ならば当事者の死がほぼ確実であとはどんな死を迎えるかという選択しか残されていないのだから、医療の現場からすれば僻地なのである。しかし、普通の現場と異なり死の影は非常に色濃い。むしろ死と闘っているのは彼ら自身なのかもしれない。
そんな早苗が勤めるのはHIV専門のホスピスである。HIVの被害が急激に蔓延した血液製剤による薬害事件以来来る患者の数は増えている。母子感染をした幼子が来ると流石に気丈な早苗にも運命の非情さを考えない訣にはいかない。一方で彼女は他のことも考えていた。光宏のメールのことだ。最後の通信以来音信不通だったことがどうにも気にかかった。
仕事に打ち込んでいた早苗だったが、暗に反して当の本人から職場に電話がかかってきた。なんと今成田にいるという。取材の予定は終了まで二週間ほどあったと記憶していたが、トラブルの所為で切り上げてきたのだという。その後すぐに病院へ駆けつけた光宏は渡航前と比べて日に焼けてスリムになっていた。それだけではなく精悍さが増して、何より表情が柔らかい。光宏が罹患していたタナトフォビア(死恐怖症)の面影は顔を見る限り伺えなかった。早苗はそれをアマゾンでリフレッシュしてきた所為だと考えることにした。
が、それは間違いだった。光宏は帰ってきて以来異常な食欲を発揮し、スリムになった体はすぐに前以上に肥えてしまった。そうして早苗に睡眠薬をもらいに病院に来た光宏は早苗が渡した薬ではなく、もっと強くて危険性のある薬を彼女のデスクから奪い去って行ってしまった。それに気がついた早苗は光宏に電話をかける。光宏は「天使の囀り」について語った後、薬から来る昏睡に落ちていった。一体天使の囀りとは一体何なのか?アマゾンで一体何があったのだろう。
早苗は光宏同様アマゾンに行ったメンバーの状況を調べ出すが、光宏同様自殺が相次いでいる事実が判明する。

感想

貴志祐介六作目。今回はホラーらしいホラー。この時期に丁度流行ったバイオホラー系の最後の方で出てきた作品ですかね。正直ネタの着眼点は良いけれどバリエーションでしかないように思えて仕方有りません。この時期のバイオホラーの先駆けというとリチャード・プレストンの『ホット・ゾーン』を下敷きにした*1『アウト・ブレイク』とどうしても被ってしまうんですよねぇ。サルが云々って言うところは仕方ないのかなぁ。ストーリー構成もどちらかというと見えすいている部分が目に付いたように思います。それにダン・シモンズの『カーリーの歌』やら『夜の子供たち』もなんとなく想起させる展開。だがより科学的で追求する姿はミステリーの作法を用いている。これはいつも通りね。作者はきちんと説明責任を果たそうと頑張ってしまうのでそこがちょっと問題だったのかもしれない。科学で規定してしまうと恐怖の中でもっとも重要な、あのラヴクラフトがいった物が抜けてしまうんですよ。「未知」であること。これはホラーでは実に重要なファクターです。ミステリーにおいては謎の部分がそれに相当するんでしょうが、作法をこちらに向けてしまうと解明が基本になってしまうんですよね。
ジャンルとしてはホラー・サスペンスの方向なのかな。基礎は悪くないんだけど、サスペンス部分の前フリが「未開の奥地に冒険に出かけて災難に遭遇」パターンなのはちょーっと王道過ぎないかい。他の部分HIVだとか、天使の囀りの正体とその作用だとか、ドンデン機能するはずの部分ですら整理されすぎていて伏線が見え見えなのがイタイ。
あと時代性もあるんでしょうが、ヲタクが少しステレオタイプに過ぎます。ですがこれは致し方がないのかもしれません。生態把握が今では多少あの某番組で浸透したのは良いけれど、やっぱり実際に付き合ってみないとわからんもの。ヲタにも種別が沢山あるわけで、分かりやすい物に飛びついちゃったらこうなっちゃうわな。記号化されることが理解の第一歩って言うのも皮肉なもんだけどね。
ま、当時としてはいろんな最先端だったんだろうねぇ。刊行が1998年7月、作中は1997年と考えると見えてくるものが色々あります。インターネットその物が当時はまだ黎明期を少し出たあたりで常時回線が整備される前*2だし、極限られた専門職の人間とマニア以外にはPCを使う余地がない訣ですから。ちなみに当時のギャルゲーについてちょっと述べてみますね。執筆当時を97年と仮定すると所謂PC98世代から続く老舗ブランドがそのほとんどを占めていた時代です。ALICE SOFT、D.O.、Leaf、F&C、elf、アイル、カクテル・ソフトCandySoft、C’s ware、MinkLIBIDOZyX、にくきゅう、PIL、Studio Mebius、主要ブランド名はこんなところでしょうか。ソフト数の絶対量が不足していたけれど乱造に拍車がかかったのはその後で比較的まだ大人しいゲームが多かった時代です。なお、セカイ系と後に呼ばれる泣きゲーの系譜がEVAの影響を受けて誕生する*3黎明期の話だったりもします。
特にこの頃はギャルゲーとエロゲーの過渡期(更にはビジュアルノベルという区分もありました)でした。ギャルゲーとエロゲーを簡単に分けることは難しいですが、疑似恋愛という観点でソフトを楽しむのがギャルゲーの範疇であるとすると、エロゲーはあくまでも実用方向でのエロを期待したソフトであると云えます。*4当然作中人物はギャルゲー愛好者であるわけですが、恋愛感情を誘発することがあり得るのは否定できないけれど、やや特殊です。感情的踏み込みの浅いパターン重視のフラグを立てる作業になっていないウブさを持っているキャラクターだとしても惰性は感じているはずなんですよ。攻略云々する以上テキストスキップは随所であるでしょうし、当時で何十時間もかけてクリアするゲームの方が稀。要するに泣きゲーの系譜以前に極度の二次元ヲタで、キャラクターコンプレックスを持つほどの執着を見せる、というのは相当にヲタクの中でも特殊であるといわざるを得ないわけで、リアリティが皆無なんですよ。つまりは、こんな奴いねぇ!ってこと。まぁ、一般における偏見が大部分を占める認識がその当事者でなければリアルを感じられないのは当たり前の話なんですがね。ただ、普通の人の誤った認識を投影しているという意味ではリアルなのかもしれません。
一面だけではなく裏をも勘ぐって好意的に考えると、ヲタクに関してわざと浅くしているのではないのか、と考えられなくもありません。あまりに掘り下げても興味が無い人には実にどうでも佳いことだし、枚数も省けるわけですからね。あの番組で多少好意的に知識が広がった現在ならば話が違うかもしれないけれど、細かいサブカルチャーの描写は二次的なもので現代の社会的病巣を抉る目的には全く無関係ですからねぇ。ただしここには当時のという但し書きがつく。時事ネタは風化してしまう。社会を描写する上での問題点が構造的なものだというのは仕方がないのかもしれない。恒常的に生き続けるレッテルでないといけないというのは今を描くのには不利ですから。
えーと、以上のようなことを考えたわけですが、専門的なやや特殊性を孕んだたキャラクターが登場することが一つの問題でもあります。作者は好んで専門家を出して来るのですから仕方ないですね。ですが、専門家の専門的な意味不明な言葉の羅列を読んで読者が面白いと感じないと当然先読みしているので、分かりやすいようにバランス配分を気にしています。そう言う意味では基本的にバランス感覚には優れています。ただ、今回においては私がよくわかる専門領域に話のネタが転がってしまったから筋が途中でバラバラと類推できてしまったのです。これは良いところ取りの弊害でしょうね。ネタの新鮮さが失われてしまっていることについては残念であるが仕方がない。
端的に言ってしまうと底が浅い。しかし元々意図的であるようでもあるので、単純に掘り下げればどうにかなる類ではないので如何ともしがたいのが残念だ。唯一読者への間口が広いのが幸いか。ホラーを元々あまり読まない人には勧められると思う。
70点
この本を読むとわかるんだけど、後続の著作のネタの肥やしになっている部分が結構あるね。もしかすると発表順に読んだ方がいいのかもしれない。
今まで読んできた著作からするとどうにもネタ被りからインパクト不足だったように思う。ブームに乗った時期に読んだのならば有りだったのかもしれないが、現在では少し寒いかな。

参考リンク

天使の囀り
天使の囀り
posted with amazlet on 06.04.15
貴志 祐介
角川書店 (2000/12)
売り上げランキング: 19,168

天使の囀り
天使の囀り
posted with amazlet on 06.04.15
貴志 祐介
角川書店 (1998/07)
売り上げランキング: 376,069

*1:といってもノン・フィクションでしかないので原作とかそう言うのとは違う。

*2:何しろISDN64以前

*3:Tacticsの『ONE 〜輝く季節へ〜』が泣きゲーの先駆けかな。『ONE』については1998年ということでもしかしたらギリギリ執筆作業中にわかっていたかもしれない。でも泣きゲーに関する言及は一切無いのでもっとステレオタイプな所に帰結したと思われる。なお、同ブランドの『MOON.』については97年の年末に出ているので泣きゲー一般という意味では範疇に一応入っていたかもしれないが恐らくそこまでの情報の踏み込みは行われていないものと考えられるので、私が言及したとしてもあまり意味はない。

*4:PCで続いてきた18禁ソフトでは元々エロが主題であったのに、年を経るに従ってエロが主眼でなくなってきているという状況がある。現在の18禁ソフトのほとんどはストーリー重視と云っても佳い。ぶっちゃけて言うならば18禁である必要性のないソフトがあまりに多い。現在においてエロゲーで手軽に実用的な目的で使うというのはやや少数派であろう。これはタイトル数の増加によって、プレイする回数が飛躍的に伸びたことでエンドユーザーの数が増え、マンネリ化が起こったと考えられる。端的に言うならば99年、2000年あたりにかなりの数を誇っていた監禁、あるいは調教物のジャンルの比率を考えれば分かりやすいかもしれない。消費者側が作品にリビドーをぶつけ、欲望を満たす場合よりも学園物をやったり、普通の恋愛を人気の絵師で描いた方がソフトの方が売れたりするのだから必ずしもエロを主眼にする必要が無いのだ。なお、そういう層は恋愛というよりも、ライターの書いたギャグを楽しむケースや絵付きのライトノベルとして楽しんでいる向きもある。