フィリップ・K・ディック 偶然世界

ASIN:4150102414

あらすじ

時は二十三世紀、世界は余剰の人的労力を持て余していた。食料は潤沢にあり、人間は太陽系にくまなく広がっている。人が生きるにはなんの問題もなかった。何しろ戦争なんてものはなくなって世の中は平和なのだから。故に経済が発展すること自体に問題はない。だが、現状は創出過剰で消費に追いついていないのだ。結果としてどうなるか?経済システムの崩壊だ。故に世界は一つの選択をせざるを得なかった。
人は出自に縛られずに自分の能力を用いて働くが、賃金を貰ってそれでお終いだ。機械的に社会を構成する歯車の一つになること、それが人間に要求されていることだった。そこには生きる喜びは皆無なのだ。
停滞を恐れた社会はその仕組みを考え出した。それが宝くじだ。誰しもが生まれたその日から当選する可能性を持ちうる。幸運に浴する者達は決して大きくない。だが、人の欲望には絶頂はないためどんどんその当選の褒美は形を変えていった。商品が金に、金が地位に変わるのには大した時はかからなかった。
現在の当選者が手にするのは最高の地位、つまりは最高権力の座であった。
ボトルと呼ばれる装置はその最高権力者の地位、クイズマスターを無作為に選ぶ物だ。いつ、それが作動するかは誰にもわからない。わかっているのは最高権力の座は定量的に誰かに占められる物ではないということ。最高権力者も簡単にその職を無作為に失いうるということだけだ。人々は各々が手にしているパワーカードに思いを託していた。

二二〇三年の五月にテッド・ベントレイは全てをなげうつ覚悟を決めた。生化学者であるテッドは現在の社会システムに疑問を持っていたのだ。より正確に言うならば現在の勤め先であるヒル・システムに憎悪をもっていた。ヒル・システムは一種の産業産出の共同体だ。いくつかに別れているが、内情はほとんど変わらない。勤め人は自分のパワーカードを供与し当選の権利を失う。これは世界の道理で、ヒルに努めない人物だけがパワーカードを持っていられる。テッドのような級を持っている人物はヒルから馘首でもされない限りこれを取り返し、自由を手にすることは難しい。
テッドはこの社会において珍しいことに適応障害の持ち主だった。人が人に忠誠を誓ったりヒルの内部のように腐敗を許していることに全く納得が出来ないのだった。ヒルから馘首されるように仕向けたのはテッド自身である。彼はヒルに見切りをつけ、もっと有意義なことと彼がみなしたクイズマスターに仕えることにしたのだ。人が人に仕えるのではない、彼は最高権力の座に仕えるのだ。クイズマスターに対する職務誓約は一生に一度しか認められていない。例え相手が拒否しようとも一回は一回なのだ。これは純然たる賭だった。しかしテッドに残されているのは前進のみであって、それ以外の道はなかった。
世間は偶然の賭に対して信念のみではなく土俗的なお守りに頼るようになっていた。テッド自身もそれを握りしめ、その時を待った。
彼に面接したのは男と女だった。男の方はメガネをかけたチョビ髭の中年小男で、女の方は性的魅力たっぷりな若い女だった。衒いなくテッドは自分の意図を告げた。男の方はそれを考え直すように言い、女の方はテッドを煽った。女は現在のクイズマスターであるベリック・リースの個人秘書であった。テッドが自分の意思を曲げないうちに誓約を誓うように女エリノア・スティーブンスは促した。だが、テッドが予想しなかったのはベリックへの個人誓約を立てる必要があることだった。それに驚きながらも、テッドはベリックへの誓約を立ててしまった。数分後それが全くペテンであることに気がついた時には後の祭りであった。ベリックは職を追われたのだ。

一方ベリックが職を追われたと言うことは新たにクイズマスターが誕生したと言うことだ。当の本人はそれを知っていた。彼の名はレオン・カートライトという。プレストン教会という小さな宗教組織の元締めだ。彼は世界の最高権力者の座に着いた。だが、それにはリスクも伴う。クイズマスターは娯楽の創出主という側面もあるのだ。彼らは指名を受けた人物から命を狙われる。それでも生き残らなければならない。カートライトには一つの決断があったのだ。教団名に名を使っているプレストンの言う第十惑星を目指した同胞達が彼の地へ着くまでは生きていなければならない。それが世界を変える選択だと彼は考えていた。

感想

フィリップ・K・ディックはこれで五作目。本作は作者の初長編だそうです。
一九五五年に出た本だけあって未来に対する幸せな幻想を見ています。てか、これってディックっぽくないですよね。小道具その物は結構沢山あります。例えばパワーカードだとか、クイズマスターだとか、ミニマックスを初めとするゲーム理論だとか、ティープとか呼ばれる超能力者だとか、太陽系を飛び出した冒険だとか・・・。なんともはやごったまぜな喧噪がえらいことになってます。
うーん、当時はどうやら目先を変えた新たなビジョンなる像を読者に提示することが一種の流行だったようです。つまり、突飛であればあるほど受けられるという土壌が読者にあったというわけですな。ニューウェーブがそんなだった流行だったとはちょっと思いづらいですが、私が知らないだけなのかもしれません。
つまりは、この「何がしたいのかよくわからない」舞台配置とキャラクター達の深慮遠謀(と思える)な行動に「意味はない」という可能性が立ち上がってくるのですね。ということは「楽しめるか」または「楽しめないのか」ということだけに集約されてしまうようなそういう本の可能性が強いです。ま、つまりはSFのガジェットで遊んだエンタメな訣ですが、全然ディックっぽい厭世的な世界観やら孤独、何かに対する疑いなどの要素はほとんどないです。社会構造に疑問を持って行動するテッドの不信はその中での例外でしょう。ただこれぐらいじゃないかなぁ。ちょっと意外ですが本書はハイテンションのディックの本ということになりそうです。竹に接ぎ木するような不格好な世界やらアイデアなんかを力業で無理矢理構成しているおもちゃ箱ですね。チャールズ・プラットの『フリーゾーン大混戦』なんかが近いかもしれない。
海外SFにありがちな「アイデアありき、されどストーリー進行に傾倒している内容」のために読者は何がどうなっているのかを俯瞰的に見ることが出来ないという欠点があります。これはどういうことかというと、世界がどうなっているのかという情報が欠如しているにもかかわらずストーリーは一方的に進行するということです。本書はそれが特に強い気がしましたが、それが一種の味になっています。例えばクイズマスターに関する法律がどのように規定されているかということ一つとっても読者が知るのは確定した後の状況から読み取るという行為が必要なわけですね。慣れていればあんまり気にしないでしょうが、慣れていないと違う惑星に飛び込んだみたいに混乱しちゃうかもしれません。ただ、本書はプロットの破綻は起きていない物の、起承転結を重視していない為にストーリー以外に楽しめる要素を見つけられる人勝ちの本になっているでしょう。
SFらしいSFではあるものの、このストーリーはあくまでなにかの目的を持って最後まで語られた話ではありません。言うなれば道程の過程を表したに過ぎず、その先が有りそうにも関わらず放棄したように見えます。大胆な構成は興味深いですが、「だから何?」の答えが得られる本ではないでしょう。
今が良ければok、刹那主義な方向け。
65点
イデア自体は結構面白いんだけどなぁ。整合性があればなおよかった。
しっかし、テッドは不幸だなw。
蛇足:生産過剰になって資本主義的経済の崩壊云々というのは社会主義を標榜するディックらしいといえばディックらしい。

参考リンク

偶然世界
偶然世界
posted with amazlet on 06.04.10
フィリップ K.ディック 小尾 芙佐
早川書房 (1977/05)
売り上げランキング: 326,722