フィリップ・K・ディック スキャナー・ダークリー

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あらすじ

1994年アメリカでは物質Dと呼ばれる麻薬の蔓延が問題となっていた。当然当局が黙っているはずもなく数々の囮の麻薬捜査官が現場で仕事をしていた。囮というからには潜入捜査が当然で、麻薬を摂取することも一つの仕事だった。だが、巨大な麻薬組織のスパイは当局にも侵入を試みているらしく捜査員の個人情報漏れが大きな障害にもなっていた。そこで登場するのが「スクランブルスーツ」だ。薄い皮膜にメモリバンクに蓄えられた数々の人間の外見的特徴を一定時間おきに入れ替えをはかることで普通の人間が見る限りにおいて、「スクランブルスーツ」姿の捜査員はその存在を認識されない。潜入捜査官が当局で仕事をする場合においては、内部の人間も認識コードで識別するので中に誰が入っているかわからない仕組みになっており、隠密性を高める効果の一助を担っている。
フレッドはそんな麻薬捜査官の一人だ。彼の仕事は他の捜査官と同じく麻薬の脅威を講演したり、ジャンキーに紛れて麻薬組織のトップへ近づこうとするものだ。講演の方はさておくとしても潜入は実に難しい。麻薬の売人に取り入って大きな量のブツの取引をするようにして売人の売人へ、そのまた売人へというヒエラルキーを昇っていく。やがては製造元を突き止めて一網打尽にするというわけだ。まわりに変に思われないレベルで麻薬を摂取しなければならないし、捜査員の仕事との二重生活もある。当然購入したブツはほとんど当局に渡る。金も向こうが用意してくれているが、自分の正体がばれたときは死ぬときだ。ジャンキーは質が悪い。何故ならば感情の状態によって気に入らない人間を簡単に当局に売るからだ。ほんのちょっと嫌なことがあったというだけでたれ込みを入れられたりするのを何度も見てきた。更には麻薬の過剰摂取で脳が逝かれて現場復帰以前に向こう側に取り残されて生きた死体になる場合もある。そうなったらお終いだ。口から出るのはよだれと理解不能のわめき声、薄暗い室内のベッドの上で大小便を垂れ流し、死ぬまでバッドトリップとフラッシュバックをし続ける。物質D、別名緩慢な死(スロー・デス)は特にその度合いが激しい。既に何人もの捜査員が一線から退いて永久に出てこれない精神病院へ送られている。現在可及的速やかに着手しなければならないのは物質Dの根絶だ。ラボでは既に化合方法は判明しているが、その繊細な化学結合からして大量生産は難しい。一体どんな方法で大量生産に漕ぎ着けているのかが現在最大の謎だ。しかも物質Dはクラック並みに安価で市場に供給されている。これが大規模な蔓延に拍車を掛けていると言っても佳い。トカゲの尻尾切りにならないレベルの階層に達し製造流通共に押さえなくてはならない。
フレッドは潜入しているときにはボブ・アークターと名乗っていた。数人のジャンキーと同居して分かりやすいヒッピー生活をしているのだ。彼はもう既に物質Dの中毒患者だった。ある時フレッドの上司がボブ・アークターにスキャナーをつけると言い出したときは青天の霹靂だった。スキャナーとは高性能の盗聴盗視装置のことだ。きっちりと録画再生が行われてその人物の生活を丸裸にする。フレッドの同僚ですら彼がボブ・アークターであることは知らないのだから重要監視対象になったとしてもその正体を教えるわけにはいかない。
かくしてフレッドとボブ・アークターの奇妙な二重生活を始めるわけだが、物質Dの影響で二つのペルソナはきっかりと別れていく。もはや一つの人物として振る舞うのが困難なほどに・・・。

感想

フィリップ・K・ディックを読むのはこれで四作目。これ自体は元々『暗闇のスキャナー』として東京創元社の創元SF文庫で出てましたが*1、映画化にまつわる版権のごたごたでなし崩し的に早川書房がかっさらっていったようです。個人的には浅倉久志の訳をディックの小説において一番読んでいるため、ひいき目で見ちゃう部分があるのは確かです。ハインラインも浅倉さんの訳で読みましたしねぇ。こう言っちゃあなんですが、もう75歳を過ぎている訳者の健康がちょっと心配です。もうこの先浅倉さんの訳は数を見られないと思いますし・・・。75歳というと平均寿命からしても後数年って所ですからねぇ。
なお本書は1978年の英国SF協会賞(British Science Fiction Association Award)を受賞しています。第何回とかいうのは書いてなかったけど恐らく第十回だと思われます。翌年の1979年から長編と短編に分けて賞を贈るようになったみたいですが一体何があったのかは不明。ここが公式HPね。本書が執筆されたのが1973年で刊行されたのはその四年後の1977だったりします。現在既に過ぎ去っている1994年が舞台になっているのは20年後ということを想像で書かれたみたいですね。でも70年代ヒッピー的な部分は多分に引きずっています。記憶媒体がメモリバンクとか言ってる時点でかなり時代を感じさせますねぇ。現在ではやや普及し始めていますけど、技術的な予測って相変わらず難しい。なお、なんで執筆と発刊に間が空いたかというと当時ディックが経済的に困窮していて、前払いの原稿料に不満を持っていたかららしいです。
本書は作者の体験、見知った事実をフリーズドライで結実させた墓標であり、同時に里程標です。不思議とリンクしている部分を感じるのは時代が変わっても根源的な人間の変化が小さいからでしょうかね。麻薬は無くならないし、どこかにジャンキーがいるわけで、加えてディック特有の自分が自分であるのか否かというパーソナリティの喪失のテーマは引き続き濃密に匂ってきます。
ディックの小説にはドラッグが欠かせないのは周知の事実ですが、珍しく確実に負の側面を持つそれの現実的な脅威だけを描いています。常に倦怠と狂気と自分の正気を疑う自縄自縛ぶりをてらいなく誇張することなく描いているので妙にリアルです。まさに混じりっけ無しって奴ですな。ここまで徹底的なドラッグに攻撃をする小説って言うのも稀ですよねぇ。ドラッグ=金っていう部分を小説のエッセンスに使ったり、ジャンキーを遠巻きに「ああなりたくはねぇな」と眺めたりするものは多いけれど悲惨さを実体験としてもっている作家の筆致は圧巻の一言。ただ、ストーリー的には鬱々としているので読むのが愉しいかと言われると首をかしげざるを得ないのが残念なところですね。
ドラッグ特有のドライブ感はやや影を潜めているけれど閉塞感は強いです。
ドラッグの危険性啓蒙のCMとか有りますがやっぱりこのレベルでやらないと不味いですよね。かなり蔓延しているのは事実ですから。駄目だ、やめよう方式じゃなくて末路をやはり提示すべきかと。ドラッグを断ったけれどもやめられない後遺症をもった人物も大体が見た目には普通の人物だったりするわけですが、著しい障害を持った人物を見せ物にする人権侵害だと言われそうだけれどもそのレベルの現実を見せつける必要がありそうな気がします。幻覚症状やフラッシュバックによる錯乱で人格が破綻する様子を生々しく見せる必要があるのではないでしょうか。作者自身ドラッグによって永遠に治ることのない不治の膵臓障害を抱えるハメになったわけで後悔してますからね。それにしても献辞されている人物の半分が死亡、残りも重い障害を抱えているっていうのはドラッグの恐ろしさを物語っていますよね。
物質Dを緩慢な死と呼んでいること自体が薬物の本質を暴いている気がします。
メッセージ性が高い小説ですがストーリーのアイデアはディックのいつものままなのでそこまで面白くはなかったです。やっぱりドラッグとの決別を意図して書かれてるからなんでしょうかね。
70点
今年夏の映画自体は結構楽しみにしています。早くみたいなぁ。

参考リンク

スキャナー・ダークリー
フィリップ・K. ディック Philip K. Dick 浅倉 久志
早川書房 (2005/11)

*1:それ以前にサンリオSF文庫で刊行されていた過去もある。サンリオは倒産で無くなった。