浅田次郎 薔薇盗人

ASIN:4101019215
ASIN:4104394017

あらすじ

役職に付いていて現場から完全に離れていたカメラマンが左遷された。北村という名の男はショックを受ける。同期の友人は引き留めてくれたがつまりはリストラ予備軍ということだ。いわば馘首への時限爆弾なのである。俸給を不意にするのも馬鹿馬鹿しい話だが、すっきりするために北村は辞表を提出した。
忙しい毎日だっただけにそれだけの賃金は貰っていた。蓄えというレベルの貯金もある。しかし、現場から離れていたカメラマンに職はない。フリーというとジャーナリストの端くれを感じさせてくれるが、そんな甘っちょろい物ではない。ハローワーク通いも初めは熱を入れていたが、望みが日を重ねるごとに煩わしくなった。そうなってくると暇なのだ。時間だけが残ってしまう。やがて北村は競馬をして時間を潰すことを覚えた。
その日はちょっとした考えで地方競馬を催している場所まで出向いていった。だが、散々だった。ひなびた温泉旅館の街は不況の波をもろに被っていて総入れ歯が必要なほどなのだ。足を伸ばしすぎたために泊まりにもなったし、時間の潰しようがない。精々繰り出して安酒を煽る程度の物だ。
そして北村はまた何となくストリップ劇場へと足を向けた。

  • 死に賃

(もし仮に、死ぬときの苦痛からいっさいまぬがれるとしたら、君はいくら払うね――)
そんな親友であった小柳の言葉が脳裏から離れない。大内惣次は末期癌だ。すでに転移が起こっていて手の施しようがない。歳を喰っていることのありがたみの一つは例え癌であろうと進行が緩やかなことだ。だが、緩慢な死であることは変わりない。
丁度小柳の葬儀へ出向いた帰りに大内はぼんやりと回想していた。小柳は逝ってしまった。死因は心臓麻痺だったそうだ。眠るように死んだ小柳は生前に先ほどの言葉を口にした。
一億円、それが大内の出した答えだった。随分けちな話だなぁ、と小柳が応じたがその後話し合ったところ妥当な線だということを小柳も納得してくれた。
そもそも何でこんな話になったかというと、小柳の元へ怪しげな案内が届いたことに起因する。それは安楽な死を約束する怪しげな団体からのダイレクト・メールだった。大内もその連絡先を貰っていた。
――もしや
そう思わずにはいられない。小柳同様、先の短い大内のことである。死に対する恐怖は人並みにあるが、まだまだ死ねないというのが本音だった。自分の興した会社を継がせるには息子達には能力が欠けている。会長職として一線から退いた形にはなっていたが、まだまだ自分が居なければ立ちゆかないだろう。
大内は戯れにその連絡先に渡りをつけることにした。
小柳は本当に苦痛なく死ねたんだろうか?そしていくら払ったんだろう?

  • 奈落

高層エレベーターで事故が起こった。社員の一人が箱の来ていないエレベーターへ足を踏み入れ墜死したのだ。
男の名は片桐忠雄という。昔を知らない社員は彼のことをクスブリだという。閑職に追いやられ、同期から取り残されたように出世をせずにその場に留まっている。
だが、それは彼の望んだことではなかった。昔の彼は出来る男だったのだ。

  • 佳人

新一の母は連れあいが亡くなったことで身軽になったのか、ここ最近妙に見合い熱心になっていた。新一は心底うんざりしていたが一人の名前がふと頭に浮かぶ。吉岡英樹という部下である。彼はいわば完全無欠の人材であった。しかしそんな吉岡の浮いた話というのは聞いたことがない。未だに男やもめなのだ。とはいえ完全である吉岡なので炊事洗濯ゴミ出しと何の問題もなくこなしてしまう。生半可な相手では釣り合わない。それでなくとも面相に体型になんの文句のつけようもないのだ。紳士然としたフィクションの中にだけ住んでいるような人物だが言うこと無しの有能さも相まって新一自身重宝していた。
だが、独身者というものはほうぼうへ飛ばされるのが習わしなのだ。もしもその前に結婚させてしまえれば・・・懐鳥を手放さずとも済むかもしれない。
多少よこしまな思いもあったが、新一は吉岡を見合わせることにした。

  • ひなまつり

てて無し子の弥生には世間の喧噪と好景気の波は直接的に関係はなかった。世間は先に待ち受けている東京オリンピックに何かを託すかのように湧いていた。
弥生たち親子は貧乏ではあったが母と子二人が暮らしていくことは出来た。ただ、弥生にとって夜の勤めである母との会話が少なくなってきていることが気がかりだった。ここ最近は朝帰りも度々だし、酒臭い息をして朝になっても寝ていることが多い。体を壊しかねない生活を送る母を心配するのも当然だ。弥生はもう中学一年生なのだから。
いつものように母がいなくなったがらんとした借家で一人弥生は交錯に励んでいた。おひなさまを母にねだるのは容易い。だが、それがかなえられない現実を弥生は当然知っていた。かなえられないのならば口に出さない。忍従が身に付いている弥生は雑誌の付録である紙細工のおひなさまを黙々と作る。何故そんなことをしているのかというと死んだ祖母が言っていたのだ、二月のうちにおひなさまを飾らないとお嫁に行けないと。だからもう日が変わるまでそう時間がないにもかかわらず工作をしていたのだった。
そこへ思いがけない来客があった。吉井さんだ。元々母のお客の一人で今の借家に引っ越してきた時隣に住んでいた縁もあって親しくしていた。
ある時母は言ったことがある。おまえ、吉井さんがおとうさんだったら、どう、と。その言葉で聡い弥生には全てがわかってしまった。ただ、弥生は恥ずかしがって返答をしなかったため、吉井さんは一年足らずで引っ越していってしまった。弥生は悔やんでいた。あの時ちゃんと返事をしていれば、そう思わないことはない。
吉井さんは母に用事があるようだったがシュークリームとちゃんとしたおひなさまを手みやげにやってきた。弥生の後悔はどんどんと募っていく、吉井さんがおとうさんだったらいいのに・・・。

  • 薔薇盗人

久松洋一は父親を尊敬している。祖父も父も船乗りだ。自分も豪華客船のキャプテンになるべく日々頑張っている。そう言うところで働くためには語学力が必要だと言うことで、父への手紙を英語で書くことを義務づけられることになった。アメリカンスクールに通う洋一は喋る方は問題なくても文法の間違いは結構するので誰かに手紙を読んで貰わなければならないし、書くことが大変なのだが、世界一周旅行の船旅を行っている艦長への報告は義務だ。
ある日学校の先生が別の人に替わった。ニックがやってきて以来地区のガーデンでは自慢の薔薇の華が盗まれるようになるのだが・・・。

感想

浅田次郎六作目。短編集ですから作風にばらつきがあります。なので雑多なごったまぜかな。一応ユーモア小説もありますけどどちらかというと巷間通俗小説かな。哀愁系多し。
基本的には上質なものばかりですが個人的には駄目な作品もありました。それぞれ個別に述べてみます。

雑草のしなやかさを感じさせます。実に周五郎っぽい作品ですね。洗練されていくに従ってそつなくこなす人は多いけどこういった素朴な味を感じさせる書き手を私はあまり知りません。大概故人ですしねぇ・・・。
技巧的な上手さも好きだけど、何よりも自然体でシンプルに叙情的且つ牧歌的な素朴さの作品をさらりと書いてしまえる腕は抜群ですね。これもまた技術の一つ、計算だとはわかっているけれど好きにならずにはいられないものを感じさせてくれます。
ほんとさびれたうらさびしい場末の内幕と徒っぽさを書かせたら憎たらしいほど上手いよなぁ。孤独が様になって映える映える。こう言うのが絵になるっていうのかも。

  • 死に賃

メランコリーなけだるさが漂う作品です。ネタは相当に独自性高し。なんかの舞台劇とかに使われそうな感じですね。大切な人物の死を手元に持ってくるあたりは『鉄道員』以来の十八番なのかも。まだ『鉄道員』よんでませんがね。
なんかハインラインの『悪徳なんか怖くない』を思い出しました。
こういった話は団塊世代の引退を考えると今後増えていきそうですなぁ。

  • 奈落

ほとんど舞台劇のシナリオ、ト書きのような会話文で成立する短編です。トラジェディ(悲劇)をそれだけに終わらせない筋書きは実に不思議な味わい。因縁とか確執とか恨みつらみが集積して凝り固まった執念が一矢報いるために乾坤一擲、自らの死によって復讐を遠大に成し遂げる筋はミステリー的なものですね。漠然とした不安を逆手にとるという部分はプロバビリティに類されてしまいそうですが、むしろ心理トリックのような気がしますね。
自死が最後のピースとはやるなぁ。

  • 佳人

ユーモア小説ですが狙いすぎで痛々しい。息抜きにどうぞ。

  • ひなまつり

時代背景からするとありですね。一種感無量なのであまり書きたくないんですが、ひたむきさが良い味出してます。

  • 薔薇盗人

どうやらこの短編は作者お気に入りのものらしいです。ですがどうにもいけない。古典的なラブコメ漫画じゃ有るまいし極度に鈍すぎる主人公に難があります。明らかに子供の純真さみたいな所を描きたいんだろうけれど、最近の子供はすれてるし、日本文化の外に出てしまえばなおさらだと思う。ちょっと考えが甘いかと。
なんとなく『小さな恋のメロディ』を思い出しました。現代アレンジされると相当に内容が黒くなりそうですねw。
それにしても題名が「薔薇盗人」ですよ。薔薇って百合と同じく女性器の象徴なわけですし、華を女性に例えるのも一般的すぎてちょっと捻りがないわな。
ま、私の場合不倫、寝取られという事柄に過剰反応しているだけなんだろうけど。
このピュアさが許せる人には大きな問題ないかと。
なお、この薔薇盗人が表題につけられるに当ってちょっとした因縁があります。
作者は三島由紀夫が自決したから自衛隊に入ったという部分があって、文学=三島だったりするわけです。題は『薔薇刑』、そして内容は『午後の曳航』を意識しているとか言う話らしいので気になった人は読んでみると佳いかもしれません。三島にはほとんど手をつけてないんで私にはちょっとわかりませんでした。

80点
短編集ですから気軽に読んで貰いたい一冊ですわ。それにしても相変わらず上手い。

参考リンク

薔薇盗人
薔薇盗人
posted with amazlet on 06.04.03
浅田 次郎
新潮社 (2003/03)
売り上げランキング: 82,579

薔薇盗人
薔薇盗人
posted with amazlet on 06.04.03
浅田 次郎
新潮社 (2000/08)
売り上げランキング: 222,412