古処誠二 遮断

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あらすじ

佐敷真市はベットの上で死にかけていた。病名はガンだ。長く生きたのだから苦痛をもたらすだけの手術は御免被った。そんな未練らしい未練のないまま過ぎ去っていく日常を特別養護老人ホームで続けている真市の元へ、一通の手紙が舞い込んだのは真市が死ぬ二週間ほど前のことだ。介護士がちゃんと読むように念に念を押したその手紙には差出人の名前がなかった。名前を書かないでおかないと読んで貰えないという配慮をする人間、真市の脳裏に三人の人名が浮かび上がる。
普久原清武
普久原チヨ
普久原初子
真市の人生にからみついて離れない名だ。
60年近く前のこと、沖縄では地上戦が行われた。日本では唯一のことだ。
真市は当時19歳で防衛隊員として徴用されていた。だが、昭和二十年五月、米軍が乗り込んでくると仮想と現実の差を思い知らされた。武器は竹槍か投擲する爆雷しかない。10cmもある戦車の装甲を打ち抜ける武器はあるはずはない。味方は櫛の歯が欠けるようにボロボロと死んでいく。そんな中で前線に立っていた真市は逃亡を決意する。
逃亡したものの米軍はどんどん迫ってくる。数有った防空壕は兵隊が占有しようとしてどんどん数が減っていく。遊軍は南下を余儀なくされていた。そもそも軍備と兵の質は格段の差があった。どんなに頑張ろうとも竹槍で機銃にかてるわけもなく、地の利だけで戦略の要所を守れるはずもない。真市には大局が見えていた。沖縄における戦争は確実に負ける。軍人と共にいては死ぬだけだ。だからこそ逃げて友軍からも狙われる逃亡兵となったのだ。生き残るには米軍の占領地へ行くことだけが頼みの綱だった。
隣保班長と出会ったのは兎に角逃げ続けていた時だった。防空壕で服を平服に変えて貰い一人の女を押しつけられた。真市が見捨てた清武の妻チヨだった。今居る防空壕ではない他の所で娘の初子を他の子と取り違えたという。なんとしても初子をこの手に戻すのだと米軍放火のまっただ中へ舞い戻ろうとしているのだという。隣保班長は真市が逃亡兵であること、そして米軍領へ一か八か侵入を試みようとしているということを見抜いていた。チヨと呉越同舟させようというのだ。
清武はもう死んだはずだ。その妻と死んでしまったかもしれない生まれて四ヶ月の娘を見つけるために同じ場所を目指すのは自殺行為といえる。そもそも生きているはずがないのだ。それでも・・・清武へのはなむけ、鈍磨した罪の意識がうずくのを感じる。混乱と共にモラルはどんどんと失われていく。真市はチヨと共に戦乱渦巻く地を駆けることにした。

感想

古処誠二の三作目。一応現時点で最新の単行本です。最近作者は二次大戦をストーリーベースとした作品を発表しているようですね。これもその中の一作です。
沖縄は大東和戦争において唯一地上戦を経験した地です。一応硫黄島とか大陸の方、また南方や果てはパプア・ニューギニアなどでも地上戦は有ったはずですが、きちんと人が生活している現在も日本の領土である場所が戦闘の舞台になったということは強烈に印象に残ったらしく、『さとうきび畑の唄』なんかで映像化もされましたね。しかしまぁ、くだんのプログラムは反戦プロパガンダ的な側面が強く、時代考証とかは度外視されるなど好意的に見ても中途半端な涙腺アタック特化のドラマでありました。
それは兎も角沖縄戦は大陸進出や南方進出での後方支援を度外視した愚策と同じく戦略的には重要であった物の捨て石にされた部分があり、装備と人員を考えれば勝てるはずのない戦でした。そして本書では兵卒から将校に至るまで軍人について逃亡兵でありながらやはり根は民間人の主人公の視点で描かれます。そこから見えてくるのは関係者であることから周囲から憎まれるということ、権力と武力に恃んで暴虐を働く実態、そして規律と上意下達はモラルの退廃と生存意思によって覆されます。主人公が痛切に感じたのはモラルが一番始めに決壊していくということでしょう。モラルが失われることによって生まれる人の利己性による醜悪さは酷いもんです。これらを一言でまとめるならば「戦争の悲惨さ」と実感のこもらない空虚さが残るだけですが、これだけ書かれると流石に後味が悪いです。
作者自身は第一作目が自衛隊をモデルにした作品でデビューしてますからそれなりに軍事について考えて居るんだろうなぁと思われます。軍人アレルギー的な言説が長く支持され続け、未だに憲法違憲の存在のままの自衛隊には一家言あることでしょう。国家安全保障だけに留まらない国の正常化は未だ成されていないわけですが、これを書いたのはあくまで戦争という阿鼻叫喚の地獄絵図を描くのみなのでしょうか?また、軍人・軍属に対する嫌悪を煽るためでしょうか?
この作品は一面的には戦争の酸鼻な凄惨さを描いています。しかし作者はそれだけの為に執筆を考えた訣ではないと思われます。掃いて捨てるほどただ反戦のためのプロパガンダに利用される作品は世に溢れているのだから、玉石にまみれる必要などありはしない訣です。ならばどう読み解くかということになりますが、鍵は作品中盤に登場する少尉ですね。彼は古き日本人の愚直さと決意を持っています。きれい事だけでは何にもならない現実を主人公よりも自覚していますから清濁併せ持った人間としてくっきり明瞭に浮かび上がります。決意を持たず逡巡し続ける男の非日常が織りなす忌避すべき過去の物語は斯くてきちんとした決意を真市にもたらします。
ですが、こうなってくるといかにも悲哀に満ちた人間くささと背景の状況が文壇文学の望む形、予定調和になっているようで私自身としてはあまり面白いと思いませんでした。なにも偽りの潔さとかお題目に殉じる儚さの感動が欲しかったわけではないのですが、全ての悪者は軍人であるというそのスケープ・ゴートぶりに人間の単純さや嫌らしさに起因する嫌悪を感じ取ってしまったからでしょうね。
結末にはしみじみする何かがありました。同時にしれっとした顔で許すという男を反対に許される側は許容できるのか?という問いが残りました。二つの運命は分かたれて、断絶を選んだのですから。一方的に歩み寄られても怒気が沸き上がるだけの気がします。未来を持たぬ男と未来を作った男、嫉妬して当然です。それが自身望んだことであったとしても、お門違いであったとしても、それがこの物語における人間の未熟さ、未練具合の出された結論なのでしょうから。
恐らく、この後味の悪さは戦後に日本に帰還した横井さんなんかが感じた物なんでしょうねぇ。
満足なのかもしれませんが、どこか寂しげな感じがしました。
70点
願わくはプロパガンダとして使われぬ事を。

参考リンク

遮断
遮断
posted with amazlet on 06.03.27
古処 誠二
新潮社 (2005/12/20)

引用

「だがな、富士山も良いところはある。あの山は下界を美しく見せるのだ。人の芥に満ちた下界をだ」
滑稽だろ。
そう言って少尉は鼻で笑った。

古処誠二『遮断』より