戸梶圭太 嘘は止まらない

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あらすじ

須波栄輔はきょうもくたびれ果てた格好でパチンコへ向かう。そろそろ貯金も尽きてきて、新たな仕事、大きなプロジェクトを始動させねばならない。五十一歳という年齢からはそれは中々難しいことだ。もはや気持ちは守りに入っているし、それだけの大きな仕事をしようという気力も尽きかけているが否応なく減っていく貯金残高を考えると動かないわけにはいかない。小さなチマチマした仕事をするのはもう嫌だった。大きな仕事を成功させて引退したい・・・が、その手づるは彼にはなかった。
ふと黙々とパチンコで時間を潰していると奇妙な歌が聞こえてきた。
「♪ボクもヤンプ、ジャンプ、ヤンプ、いちゅかあああんあのしょら〜あんに〜ん」
現在ヒット中の女性歌手の歌だ。だが、男のだみ声はずれまくっているし調子っぱずれで原曲を馬鹿にしているも同然、おまけに聞こえてくる言葉は偶にどこの国の言葉かわからないこともあった。
「♪オルルルーン、ンゴレッポンヘンタパゲロエイン〜サッ、サパッペ!」
なんのことやらさっぱりわからない。興味を引かれた須波は店内にいるはずの歌の主を歩いて探してみた。歌の主は黒人だった。通常黒人というと筋肉隆々な背の高い姿を思い浮かべるが、当の男は身長にして150cm足らず、その肌の黒さは半端ではなくアフリカ大陸を思わせるほどの色で、顔つきは実に下品だった。ナメクジのようににゅるにゅるとリズムにあわせて突き出される唇はチンパンジーそっくりだったのだ。
(なんだコイツは)
結局須波はコイツの存在を洗うことにした。単なる好奇心、そう言い換えても良かったが何が金になるかは解らない。
その後の黒人の行動は実に低劣だった。自転車に乗り込み別の店で打ったり、公園にわざわざ来て鳩に石を投げ、女に声をかけるが無視され・・・一体何をやっているのだろう。幼児性と残虐性、そして性衝動。欲望にまみれているようだ。しかし・・・こう男を見つめていると屑日本人なりきりゲームをやっているかのようで奇妙な感じは拭えない。
一応やるべき事はやったようだった。しかし、意味のある行動、実った行動はゼロ。ようやく帰ることにしたらしいが――向かったのは高級住宅街のある邦楽だった。
(まさかあいつ、この辺に住んでいるのか?)
謎は更に深まる。大きな門構えの邸宅に入っていったアフリカン。立派な門構えだと須波は思ったが、実際間近で見ると錆が浮いているのと鳩の糞だらけで見窄らしい。だが、収穫が一つあった。門に掛けられた鉄の看板にはこう書いてあったのだ
「≪ンゴラス王国大使館≫"THE EMBASSY OF NGOLAS KINGDOM"」
と。ンゴラスなんて国は須波が知るはずもない。大使邸宅にもかかわらず屋敷は随分と古ぼけているし、手入れらしい手入れを受けていないらしく広いが無駄に雑草が生い茂っている。時間を確認した須波は図書館でンゴラスという国を調べてみた。確かにあった。アフリカの小国で、産業は観光のみ。しかし情報が少なすぎた。須波は駅前のインターネット喫茶でンゴラスを調べようとした・・・が、なんとインターネット環境を整備していないという後進国ぶり。須波の頭の中には本当に大使なのか?ということが繰り返し付いたり消えたりしていた。
以後須波は大使館を張った。あの小男のアフリカンを仕事に使おうと思ったのだ。どうやら確かにあの貧相な男は大使らしい。大使館に出入りするのはもう一人のガタイのいいアフリカン以外に居なかったのだ。小男の方は水色の汚らしい上下スウェット、ガタイの良い方は何かの作業服という格好だったが、小男の方が働きもせずに遊んでばかり、ガタイの良い方は毎日しっかり働いている。実に対照的な二人だった。基本的な下調べは出来た。後は、仲間を募るだけだ・・・。
早乙女裕也は仕事の途中で須波の電話を受けた。たまたま相手が中座したところだったから丁度いい。須波とは一度組んで仕事をした仲だ。だが、その仕事は失敗した。早乙女はそれを引きずって須波と組む気はほとんど無かった。その失敗の原因は須波自身にある。須波が連れてきた女に自分ではまり込んで計画をおじゃんにしたのだから罵倒されるのは仕方がない。組もうという依頼を一度断った早乙女だったが、もう一度須波が早乙女に電話をかけて留守録に吹き込んだ言葉を聞いたところ気が変わったようだ。詳しい話は後で・・・そして戻ってきた女の相手をするはずだった。だが、女は変なことを云うのだった。トイレで幽霊が出た、あの男はお前の全てを奪って捨てるつもりだから騙されるな、そういわれたらしい。馬鹿馬鹿しくなった早乙女は女のグラスのカクテルを女にぶっかけ、立ち去った。全く験が悪い話だ。須波とかかわるとろくな事がない。
簡単に言うと須波は大使館のメンバーを巻き込んで大がかりな芝居を打つつもりらしかった。全くと言っていいほど知られていない国だからこそ意味がある。架空の軍事クーデター側と王権派の対立、戦乱、そして隠されているダイアモンド鉱山の投資話。須波の筋書きは大雑把で穴だらけであったが、金は稼ぎやすそうだった。ただそれだけ大がかりになると須波のつてでは無理だ。だからこそ早乙女に話を持ってきたのだろう。早乙女自身も一人では裁けそうもない。そこで早乙女はかつての仕事仲間に連絡を取ることにした。
相葉通代は老境に入りかけの女性だ。しかし、早乙女が知っている限りにおいて足を悪くしたという話は聞いたことがなかった。通代は電動車椅子に乗っていた。かつてのサカナにやられたのだという。通代は早乙女にも同様のことがあり得るから気をつけるように言った。ま、身の上話はさておいて仕事だ、仕事。
通代自身はもう仕事からは手を引いたらしい。今は娘が引き継いでいるという。詳しい話は娘のサリーにしておくからと通代は言っていた。早乙女は通代に任せれば問題ないだろうと踏んでいた。
だが、全てがそう上手くいくものではない。失敗と成功は常に紙一重だと言うこと、そしてこの世に悪運という物があるのを理解するには早乙女と須波は年を喰いすぎていた。

感想

戸梶圭太三作目。相変わらずの戸梶節。まだ全ての著作を読んでいるわけではありませんが、恐らく本作は作者の著作の中で最凶最悪のノーモラル作品でしょう。
詐欺を働くことで命脈を保っているゴト師達のクリミナルノベルが本作の肝ですが、案の定どこにも居心地の良さなんて有りません。溝臭いうらぶれた場末臭さが本道です。そんな所に別嬪さんが来たるからこそ「掃き溜めに鶴」なのであり、落差が通常よりも印象的に見せるわけですな。
それにしても相変わらずくだらなすぎて酷い。これ褒め言葉ね。馬鹿馬鹿しすぎるのも変わらず。
でも今回はギャグとしての機能がおぼついていない。寒い滑稽劇を観ている気分になってくる。もうちょっと訴えかけてくる物が有れば佳かったけれど、下品で貧乏な黒人の異常行動を笑いものにするというのは流石に悪趣味の極致だよ。ブラックジョーク的すぎて流石に笑えないのが難点だね。
とはいえ独自性はたっぷりある。すれすれなんて眼中にないどぎつい蛍光色の差別がここに表現されている。開けっぴろげだもんだから暗喩とか七面倒なことは抜き、ただただ羅列列挙される状況に唖然とするより無い。黒人、官僚、不法就労闇金、女性蔑視、拝金主義、ジェンダー知的障害者、痴呆、その他悲喜こもごも一切合切なべて価値無し!本音を語ればこんなもんだろ?甘ったるいことを建前でデコレートすんな!そう主張して居るみたいだわ。
あとはそうだな、やってること自体は珍しくも何ともない訳だけど、実際こうやって詐欺を働いている人物達はこうやって仕事をして居るんだろうなぁという変な感慨が涌く。実際にはゴト師として一人で行動するのって難しそうなんだけどね。どっかの組織のバックボーンがあって事を運ぶ方が楽だろうし。そうなってくると日本の場合は"日本語がきちんと話せる"という基本コンセンサスが必要だから海外系の組織は難しい。あり得るとするならばヤクザと在日朝鮮人系ぐらいかな。詐欺は高度知能犯罪だからねぇ。そこら辺を描かずに通代を出したのはそっちの方がディティールを描かずに済むからだと思うけど、変な妖しさも生まれてるよね。
ここまでくると日本と言うより無国籍な部分が際だったピカレスクだわ。ピカレスクの初期に流行ったのがやっぱり詐欺師物だっただけに初心に返る方向だったりするんだろうか。なお、やっぱり前作共々曲調はラテン(レゲエ)のリズムのまんま。合わない人は止めた方が無難だね。騒々しく刻まれるダウナービートにのれりゃあ最高なんだが、今回はちょっとどぎつすぎて無理。
正直これを理解する度量は私に欠けているわ。何度途中で読むのをやめようと思ったことか・・・。E・E・スミス*1の小説を読むのを途中で投げて以来久々の衝動ですよ。
それにしてもここまでどぎついと狂信的な馬鹿団体になんかされないかちょっと心配ではあります。ま、創作に今時差別だ何だと時代錯誤なことをやってこないことを祈るのみですな。
65点
これが楽しめる人は一体どんな人なんだろ。一応エンタメ系だけど、一般向けは無理そうだし。深町先生なんかはいけそうな気がするけどわたしにゃ無理だわ。

参考リンク

嘘は止まらない
嘘は止まらない
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戸梶 圭太
双葉社 (2005/06)
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*1:レンズマン」と「スカイラーク」の有名な二シリーズを書いたSF小説家。『宇宙のスカイラーク』を途中でやめたのはあまりに出来すぎのストーリーだったから。茶化されて書かれて居るんじゃないかと思えるぐらいSFらしいSFで恥ずかしすぎたw。5ページを読むだけで体をよじって恥ずかしさに耐えなきゃいけないこの体験は心身の疲弊を招いたので投げた。記憶している限りほとんど本を途中で投げない自分としては異例の体験。流石に1920年代に書かれた本だけあってネタが緩くないと駄目だったんだろうなぁと思ったりした。だって「物体X」が宇宙から飛来して、その金属の溶液を地球の銅と反応させるとエネルギーが直接取り出せるなんて目茶苦茶な話、今時子供向けの漫画でもないよw