重松清 疾走

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あらすじ

シュウジには兄がいた。四つ歳の離れたシュウイチは地区では優秀だった。だが、高校に上がって壊れた。引きこもり、放火を起したのだ。
シュウジ達の住む地域は干拓地とそれ以前の陸地で隔てられていた。「沖」と「浜」という。シュウジ達はより内陸の「浜」で暮らしていた。「沖」と「浜」はそれぞれ仲が悪く、没交渉だった。シュウジは幼い頃沖でとあるヤクザ者と出会う。男は鬼ケンというあだ名で通っていた。この地ではよそから来る人間は全て犯罪者だと噂された。鬼ケンもその例に漏れず、抗争から逃げ出してきたのだと噂された。
シュウジが鬼ケンと出会ったのは新しく買って貰った野球のグローブが嬉しくて自転車で駆け回っていたときだった。グローブが自転車から落ちたと気がついたときにはもう遅かった。探し回っても見つからず、挙げ句に古ぼけた自転車でのギアが摩耗して外れてしまった。ほうぼうがボコボコになっている軽トラに乗った鬼ケンが通りかかったのはシュウジが呆然として泣いている時だった。どないしたんや、そういった鬼ケンの言葉は関西の訛りが強かった。軽トラはいつも何かを振り払うように爆走していることで有名だった。農道で100km/h出していることもいつものことだった。鬼ケンはシュウジの自転車に近づいてギアがすり減っていることを確認し、「浜」の子供であることを聞いてから送って行ってやる事を宣言した。それに対してか軽トラからクラクションの鋭い音がする。鬼ケンだけではなく若い女も乗っていたのだ。結局シュウジは乗せられていった。鬼ケンと女の卑猥なやりとりが記憶に残る。
鬼ケンはそれからすぐに死んだ。抗争に巻き込まれたとかいう話を聞いたが確かなことは解らない。
中学に入ってから街の雰囲気が変わった。好景気によって「沖」の開発話が持ち上がり、地上げが行われた。それに「浜」と「沖」両方が一つの中学校に来るようになった。子供でも二つは交わらない。そしてシュウジは恋をした。
だが、兄が全てを壊してしまった。この地方では放火を行った者は「赤犬」と呼ばれる。村八分よりも酷い一族郎党を排斥するように町全体が動く。シュウジ達家族は壊れ、父は仕事を失い疾走し、母は化粧品の販売で身を立てようとするが騙されギャンブルに沈んでいった。シュウジは級友がいなくなり、独りぼっちになってしまった。そして恋の相手であるエリも立ち退きで東京へ行ってしまう。
シュウジは全てを捨てることにした・・・だが失敗する。

感想

重松清初読み。これって映画化されていたんですなぁ。気がつかなかった。でもまぁ何となく話題に上っていたのはそれが影響してたのかも。
どうでも佳いことだけど筆者と清松みゆきがなんとなく被るんですが・・・私だけ?
表題の『疾走』って「失踪」とかけてたりするのかな。
初読みがこれっていうのが悪いのかもしれないけど、なんか中途半端に感じた。明るい話が一種の味である作者がその描ける懐の深さを見せつけるためにこういう話を書いたんじゃないかなぁと思うのは根性ねじ曲がったよく知らない上での戯れ言になるんだろうか。
なんか出来の悪い少女漫画を読んでいるような気分になるんだよなぁ。可哀想可哀想で終わってしまってしまうような。
実際筆力でごまかしているけどストーリー展開はかなりありがちな話なんだよね。
まず田舎で有ると言うこと。これは私には量れない。だって一応首都圏のベットタウンから離れて住んだことがないんだからそういう生活を実体験として知らないだけにリアリティ云々以前に解るはずがない。解らなくても話として読んだ場合は大別して二つにしか分かれない。長閑か因習の支配する牢獄か。もうね、こんなステレオタイプな形に押し込めるしかないみたいなんだわ。実態のない田舎という存在が保守的で閉鎖的な社会性をもって語られるというのは正直飽き飽きしてる。
あと時代の感覚が古臭くないかな。田舎が舞台だから古く感じるのかもしれないけれど、バブルとその余波を経験するときに中学生って事は10年ぐらい前の事でしょう。現行性を保った物語の方がより説得力があると思う。
ま、現代の厄災をまとめてすりつぶしてこねて粗造を作り上げましたよっと。
結果それが青春小説とノワールになりましたとさ。おしまい、ってな感じかな。
冗漫な物語はこれで終末を迎えたのですよ。なんか定型に嵌りすぎて予測も付くし一本調子は否めないよなぁ。やっぱり落差が欲しい。じゃないと似たような話は結構あるもんだからピンと来ないよ。同ジャンルの転がり落ちるだけの物語はみんなドングリの背比べに思えちゃうんだよ。例えば白夜行はスタイルを奇抜にすることで独自性を保っているけど、この本も目先を変えただけの二番煎じだわ。白夜行のスタイルは「主人公二人に語らせずにそのまわりの人間を視点にすることによって物語る」というもので、本作は「二人称で物語る」というもの。二人称の物語って珍しいけど無い訳じゃないんだよね。式田ティエンの『沈むさかな』がそれ。これ一度読んでいるから目新しさは感じなかった部分はある。正直暖かみを感じさせようとしている視点にはお仕着せを覚えた所もある。
毎回思うんだけど、積み木崩しの舞台は何故排他的で因習めいているんだろうか。優しい人物を出してもコードからは外れることがない傍観者的立ち位置で影響を与えること自体が稀だ。汚穢で足掻く偶像をそれらしく見せるための手段にしか思えないんだよね。だって、ここには外的要素の闇しか存在しないんだもの。ここには明確な害意はない。何故内に向かうのか、それを優しさと言ってしまえば楽だろうけど、反発を覚えて外へ暴走した方が有りそうなんだけどなぁ。その点主人公の兄の方が健全な気がする。やってることは実に不健全だけどね。それにしてもシュウイチのキャラクターがまたステレオタイプだよなぁ。まじめで独善的な優等生がいかに折れてしまうか、そして精神的におかしくなるか。この程度で精神をやられるなんていうのは想像の範囲でいうならば、進学先で虐められたとかいうところにいくんだろうけど、そのまま読むならば成績が落ちたことが原因なんだろう。でもいくらプライドが高くてもそれが直にノイローゼ的に扱われるのは単純じゃないかな。精神を病んだからといってそれが直犯罪行為に結びつくというのは精神病者を特殊視しているに他ならない。精神病≒犯罪者というのは安直に飛びついているだけにしか思えないんだよなぁ。だから総じて安っぽく感じてしまう。
別に命がかかっている訳じゃない。あくまでプライドの問題で、プライドはいつか折れるんだよ。それも実に容易くね。天狗の鼻が折れたから精神病者になって放火をしました、これじゃ一体日本にどれだけの潜在犯罪者がいるって云うんだ。特殊性がこの物語を格別の物にしているのかもしれないけれど、その特殊性の核心を書き落としている気がする。それに対しては日本を舞台にしているんだからっていう甘えが透けて見える。生ぬるい悪意ほど質が悪いものはないなぁ。カタルシスもないし、だらだらしているだけだし、ジェットコースターというほどの落差は感じない。落ちるところならばもっと落ちた方が佳い。ただ、苦悩をした青年が死んでその後に残された人々が何とか生活しています、じゃ締まりが悪いしね。
まとまりを重視した挙げ句メッキが剥げるというのでは話を作るのも報われないなぁ。それにしてもノワールに目新しい物って少ないなぁ。タイプで言うと今までは「少年の若さ故の暴走」「ちんぴら青年の四苦八苦」「ヤクザかリストラされた中年が金に困る」「老年に達した人物達のピカレスク」。結局の所金・金・金ですな。感情的に暴力的になるならばまだしも、内に籠もって「自殺してやる!」じゃ情けなさ過ぎるよ。優しい人物だからこそこうなってしまった、ではエゴがない。悲しいと思いさえしない、何故なら感情移入できないから。諦観でしめられてしまっては厳しいわ。燃え上がるような憎悪がないとねぇ。紙の上の人物以上の者になれなかったでしかないから彼は幽霊に過ぎない。こう考えると『青の炎』はなんて健全なんだろうか。
こういう話はいくつも読むと粗が目立っていけない。枚数を重ねても重厚さが出てこずにペラペラになっちゃうあたり悲しいね。ディティールは細かい、でもそれだけだわ。でもこういう話を普段読まない人は引き込まれるのかもしれない。
60点
未来の匂いがしない。苦悩から閉塞を描くというのならばエゴのある人物を。じゃないと流される一方で変化がない。あと独自性ももっと出した方が佳いな。
おそらくは女性向きかと。こういう類の本をあまり読まない人だと効果大かな。特にラストの演出が感動的と感じられるかも。
蛇足:団塊の世代が一斉退職した後のノワールな話とか読んでみたいな。社会からはじき出された彼らの足掻きの方が楽しめそうな気がする。

参考リンク

疾走
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