浦賀和宏 記号を喰う魔女 FOOD CHAIN

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あらすじ

小林英輝の目の前で死んだ男の名は織田といった。高校の同級生で同じ天文学部の部員だった。彼は見目麗しく、学内にファンクラブが出来るほどであった。そんな織田は陽明門の逆柱の如く神からの怒りを避けるように一つの欠落点があった。左手の小指が無いのだ。幼い頃に機械で挟んだとか言う話を聞いたことがある。だが、事実はどうなのか本人に聞いたことはないのでわからない。だが、不完全である故に彼は完全だった。
織田が死んだのはクラブ活動の行われていた理科室でのことだった。
「安藤さん、さよなら」
唐突にそう織田が言って手近の窓を開けてサッシに上る。それに対して安藤優子は小さく、それでもきちんと通る声で返答した。
「さよなら」
織田は微笑みを顔に湛えたまま落下していった。
織田は三階にある理科室から落ちていって頭から地面にキスをした。即死だった。その時理科室にいたのは英輝と安藤、そして同じくクラブのメンバーである坂本、石井、山根の五人だった。
坂本は織田と付き合おうと必死だった女子である。当然織田が死んだことに半狂乱になった。そうして安藤に対して猛烈な殺意・敵意を燃やすことになった。安藤に飛びかかって引きはがされた後も坂本はこう叫んでいた。
「あんたの所為よ――あんたの所為なんだから――。あんたの所為で織田君は飛び降りたのよ!」
安藤はそんな坂本の声を意に介さないかのようにいつものように無言だった。
その後織田の通夜が催された。喪主は織田の叔父夫婦とか言うことらしかった。天文学部のメンバーは皆きちんと出席していた。だが、坂本は先に帰ってしまったようだ。坂本を欠いたままあの時に現場にいた四人は織田の叔父に呼ばれていた。織田の遺言で彼の生家がある角島という離島に招待したいという。
結局みんな悩みながらそこに行くことになった。英輝自身は安藤が一番にそこに行くことを承諾したので嫌も応もなかった。彼は安藤に対して恋心を持っていることを自覚していた。しかし、安藤は虚無的な存在だ。静謐な彼女に鑑賞することは躊躇われた。勿論自分に自信がないというのも関係しているだろう。でも一縷の望みをかけたのだ。
織田が死んでから坂本の様子は日に日におかしくなっていった。それでも、織田の遺言に従って島には来るらしい。石井と山根も同様だった。結局あの時に居たメンバー全てが角島に行くことになったのだ。

しかし、織田の遺言は嘘だった。カニバルの宴の幕が開く事をこの時の安藤と英輝は知らない・・・。

感想

浦賀和宏五作目。同様に安藤直樹シリーズ五作目。今回はとことんカニバリズムと精神性を突き詰める形の作品となったようです。カニバリズムというと鬼子母神やらゴヤルーベンス*1が描いた「我が子を喰らうサトゥルヌス」などが脳裏に浮かびますね*2
今回は珍しくクローズドサークルを使いました。てっきり館物だと思っていましたが、実際は絶海の孤島物でした。視点主人公は小林英輝、つまりは安藤直樹の父親と目される人物です。ただ、これは確定ではないし、直樹の父親は一人で首吊り自殺したあっちの方を指す方が今までのシリーズとしては正しいようなので微妙な感じです。
にしても英輝は小説家を目指している為か妙に文語的表現が頻出します。例えば
門前雀羅を張る*3とか落莫*4とか、今までの作風は平易な言葉で綴る物だったのにやや難解な熟語、慣用句を頻繁に用いています。
完全に今回は定視点が英輝一人なので今までのシリーズの登場人物達との差異を演出したかったように思えます。でも一方で難しい言い回しを用いるのは小林という主人公のペルソナなのかもしれないと思うと断定は難しいかな。でもこういった文語的表現ばかりだと読み辛いし、文壇文学っぽさがただよって拒否感が出ちゃいましたよ。
ま、今回の話は『時の鳥籠』で語られた安藤優子と小林英輝の繋がりの馴れ初めですね。でも私はどう考えてもこの話が繋がるとは考えづらいんですよ。欠落点というか始点と終点そしてその中間点を描いているように見えてそのどれもがちぐはぐに感じてしまうのですよ。まるでパラレルワールドを覗いている気分です。
だって未曾有の狂気に彩られた二人の女性が友人関係になるってのはどう考えても空論でしょう。片方が呪術的に友人だと宣言しますが、もう片方にはその言葉が意味を持つとは到底考えづらいです。もしもそれが現実の物となったのならば、明らかに壊れています、人間として。つまり、その後の話が語られない限り、断絶しちゃってるんですよ。一応もっと離れた時間の事柄は語られていますが、それではやっぱり駄目ですね。もっと近いところでの変節のストーリーが欲しい所です。
それにしても純文学的要素を含みつつこねられる歪んだ愛の形がアイロニーを持って具現化されたわけだけど、所有欲を欠いたそれは観念的すぎる気がするんだけど私だけ?。ここに書かれているのはただただ計画、プロットでしかなく箱庭的なんだよね。愛の形が選別とその結果に過ぎないと言うことはアナーキズムと変わりがないし一歩間違えれば自分の意思を必要としない装置的な物になってしまう。確かに状況の異常さに言及し、喝破することは可能だけれども、それに気がつかないほどの魯鈍化を受け入れてしまっている英輝の状況を愛は盲目と言ってしまえば楽だけれど、思考停止と極限的な状況はセットになって狂騒を引き起こして暴力至上の弱肉強食を地で行ってしまった優子に対して執着が無さ過ぎるようにも感じるのですよ。だって『時の鳥籠』では意思の感じられない「優しい人」という印象の薄い我のない人物になってしまっているのだから。
ここで謎として残るのは小林英輝という人物が生存と言うことでは強者であったのに何故自己の優位性を武器として優子を縛り、手にしなかったのかということですな。諦めるのが早すぎるし、それに方法論を彼女に合わせること自体が間違いだという我が無いのは流石に理解できないわ。
優子自身が強者と位置付けた英輝が利敵行為をした優子へ報復的行動でている。これはつまり生殺与奪の権利を手に入れたと言うことに等しい。これは同時に英輝自身の絶望がほの見える。解釈としては壊れてしまっている相手と自分自身に絶望してしまったと言ったところか。それでもなお喪失を恐れるわけだから飴と鞭にやられてしまったのかもしれない。ここで下される評価は一様に停滞であり諦観なのだろう。実行能力に乏しいが最低限の悪あがきを試みた彼のみが遺憾ながら常識人であるということになるのだろう。
だが、奇形的な愛しか知らない異形の魔女に恋したことが常識人の悲劇になってしまった。変容は世の常だ。変わらない物は死んでいるに等しい。故に悲しいのだ。幽冥な残像には意味など皆無なのだから。有は無を産んでしまった。やはり特異点は優子自身なのだろう。関係した物がどんどんと壊れていく。英輝もその犠牲者だ。
本書でこのシリーズは清廉であえかな雰囲気が悪趣味に堕したような気がしてならない。基本底流がこれであったのならば私は勘違いをしていたのだろう。
ま、ミステリー的にいじくりすぎてしまった可能性も否定は出来ないけどね。整合性の面で好きにはなれそうもないなぁ。
70点
なんとなく坂本の事を考えているとまるキ堂やら白液書房のキャラクターが思い浮かびましたw。

参考リンク

記号を喰う魔女
記号を喰う魔女
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浦賀 和宏
講談社 (2000/05)
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*1:フランダースの犬でネロが死ぬ最後の間際に見た絵画がルーベンスの絵ですわ

*2:サトゥルヌスはゼウスの父であるクロノスと同一視されています。なお、サトゥルヌスは英語でサターン、つまりは土星を意味します

*3:門の外に雀が群がるので、網を張って雀を捕らえることができる。訪れる人もなくさびれている様子。威勢が衰えて訪ねる人もない様子。

*4:物寂しい様