琴音 愛をめぐる奇妙な告白のためのフーガ

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あらすじ

私はキヨミの死を知った。綺麗な夕陽の見えるビルから飛び降り自殺をしたのだそうだ。それはとてもとても辛く、悲しいことだったが心のどこかにそれを予感させる物があった。
キヨミと別れてからすでに二年以上が経過している。私はキヨミが自分と別れたこと、それが自殺の遠因になったのではないかと気に病む。別れたとて愛していたことには変わりがなかった。
間歇的に生まれたキヨミへの思慕は私の罪悪感を圧迫する。結局私は告別式にも葬式にも行けなかった。
私は悩んでいた。
結局私はキヨミの大学のゼミで資料を預けていたという虚偽の申告をしてキヨミの実家に入り込むことにした。向こうは易々と信じ込み、彼女の部屋に通された。強い香水の匂いの漂う部屋で記憶の中のキヨミを蘇らせる。そしてそこで私は彼女の写真とそこに一緒になって置かれていた地図を見つけくすねていった。キヨミの母親は彼女を一族の汚点の如く「ココダケノ話」を繰り返したのだ。必要のない物だろう。
翌日私はその地図の場所へ行ってみる事にした。その途上で占い師にこう云われる。
「あの角を曲がると狂ったようなピンクのアパートがある。
「探している場所はそこの三階だ。お前はあそこで働く。」
私は答えも返さずにその通りに向かってそのアパートに着いた。そこで確かに働くことになった、告白を聞く者として・・・。
そして私は葉(イップ)とアヤメとパンノキとブルと天使(アンジェ)、老婦人と革命家、ミシンと海亀、そして様々な告白をしに来た人々と触れ合うこととなる。

感想

琴音初読み。第十七回ファンタジーノベル大賞辞退をした曰く付きの作品です。出版はライブドアパブリッシング、奥付を見ると何故か営業が幻冬舎で笑えます。はてさて実体があるのか無いのかちょっと気になるところですね。
辞退理由は「新潮社が読売新聞社との企業融和の関係を続ける為の道具にされて貶められるのは真っ平御免」であったことらしいです。実際の所この賞自身はほとんど機能していない名ばかりの物で、賞を獲っても編集者がきちんと対応しないらしく発掘した作家がどんどん他社にかすめられていくと云う曰くが付いていたりします。全くやる気があるんだか無いんだか。それにしても大賞獲ってもたった三千部しか刷らないってのには驚きを通り越して呆れますね。出版業界が冬の時代、特に小説は殊に厳しいというのにレガシーだけで商売しようとしている硬直姿勢は感心できませんわ。ま、どこまで正しいのかは知りませんけどね。にしてもこのばらし具合。そりゃ内外に敵を沢山作るわ。
さて、表題の「フーガ」とは何かから入りたいと思います。フーガとは第一主部の旋律を繰り返し行う形式をとった曲のことです。これだと何が何だかって人もいるでしょうからもうちょっと詳しくいってみたいと思います。似たような形式のカノンとの違いが気になる人もいるでしょうからね。カノンは同じ旋律を後追いで複数続ける曲調のことです。ポピュラーなところでいうと「静かな湖畔の森の中から〜」で始まるアメリカ民謡の「静かな湖畔」が有名所。フーガで有名所となるとJ.S.バッハの「トッカータとフーガ ニ短調 BWV,565」(参考)が有名所ですね。冒頭の「ちゃらりー鼻から牛乳〜」(年齢限定か・・・)が音階を変えながら同じメロディを弾いているあたりが分かりやすいかもしれません。ようは似たメロディが音階を変えたりしながら弾く曲だと思ってくれればいいかと。なんでそんな細かいことを気にするかというとこれが作品底流になっているからなんですね。もっと詳しく知りたい人はここを参照のこと。
特に本書は人を繋ぐ関係性をそれに見立てているのではないかなと思いました。その上で断言できるのはキヨミというファーストが居て、「私」というセカンドがやってきたという事実ですね。でもこれはあくまで一側面に過ぎずそれだけに留まらない複合性も内包しています。例えば一回目がリアルであり現実であるならば二回目はそれを後追いする残響と取ることも可能です。ただそういった取り方だけではなく一回目が愛を、二回目が絆を、三回目が喪失感を、四度目がシンプル化された情報を表しているやもしれないので絶対がない、確定が出しづらい万華鏡的内容を示しても居ます。
そしてももう一側面である「愛をめぐる奇妙な告白」の部分にもツッコミを。ええ、まんまです。これ以上ないぐらいまんまです。じゃあ何を突っ込むのか?ということになると逆説的にこの「愛をめぐる」ということは「愛に至りたいがそこに至るまでのトラウマをえぐり出す作業」という事になるのですよ。回り道をしないと全てを伝えることは出来ませんからね。で、それを補佐するために「奇妙な」と付くわけです。「奇妙な」というからには多様性を示しているわけで、同性愛やら親愛の情やら愛する人を失った悲しみによる思慕の愛やらストーカー愛とか無私の愛とか沢山あることを全編かけて告白の形式で語っています。ま、愛っていうとエロスだのフィリアだのアガペーだのストルゲーだのってギリシア関係からの言葉が念頭に来るわけですが、今回はこちらは余り関係ないですな。
ちなみにああだこうだ云ってますが、この本はこの本で完結してません。あくまで終わりがスタートラインにようやく立ったということに過ぎないんですわ。ここからのフーガがどう進むか、それは作者のみが知る領域って奴で期待が持てます。ここは既読者のみのお楽しみかな。
内容的には前述したように、主人公が様々な告白を聴きながら社会のゆがみに、グロテスクな実情に肉薄し抉っていく事になっています。ただ、元々日本語で書き下ろされる予定ではなかったらしく、英語主体でやるつもりだったようなのでどう考えても舞台とその問題の深刻さは日本じゃないです。暴力に虐待にそして精神の異常にも普遍性を持たせてある状況はラジカルすぎて受け入れがたいですよね。でもスナッフ云々やらネオナチなんかはちょっと奇異だけど効果的なのは否定しません。ただ、いくら何でも日本の現実から飛びすぎですけどねぇ。でも何故か日本らしさが漂ってしまっているのは日本語が使われていること、そして作者のバックボーンが海外にあるわけではないからかと。その為に「≒日本」の奇妙な舞台が登場しています。恐らく舞台は大久保か六本木のあたりでしょう。無国籍な印象をもつにはそのあたりというとそのあたりが適当でしょうからね。なんかこのトラウマ&幻想味のあたりからえらい村上春樹臭さが漂ってます。
本書は端的に言って作者の脳髄に宿る宝箱(トレジャーチェスト)をひっくり返したまんまですね*1。経験がその原資になってると言って佳いかと。感傷的で性善説主体な理想主義者な像が傷ついてきたという過去と結びついて極度の自己憐憫に浸っているように見えるのであんまり見栄えは良くないです。加えて何故かテロリストがラブ&ピースを語っちゃってるあたりもちぐはぐで痛い*2。こういう人が世界市民とか言っちゃうんでしょうねぇ。
メンヘルな感じが好きな人、主に女性向きな感じかな。ファンタジーというよりは恋愛よりの純文学として読んだ方が吉。
80点
あと釘を刺しておきますが、作者のブログは信者になる気がないならば読まない方が吉かと。鬱病患者と云うことを免罪符に激しくスノッブな言説が目立ちます。相当にプライド高い人らしく、恐らく無意識に敵をいくつも作るような人物なのではないかと見受けられます。加えて自意識過剰でもあるようですね。スルーすればいいのに・・・。故に波長が合わない人の場合は手出しをしない方がいいでしょう。
蛇足:なんかサリンジャーに影響されたりしてるらしいです。暴力・ドラッグ・セックスって初期の村上龍にも近いよねぇ。カギ括弧を一切使わないのにはなんか理由でもあるんだろうか。
追記:謎解きなんぞやるよりももっと大衆迎合した方が売れる気がする。

参考リンク

ネタの深読み

本書を読んでからにしましょう。








































































さて、葉は死んだのでしょうか、それとも死んでいないのでしょうか。一番初めのページには主人公の「私」が告白をするという形になっています。これは本に残して幾たびもいろんな人物に読まれることでそのフーガが生まれることを暗示しています。加えて死んだはずの葉が生きているのと等価に、沢山の人にその遺志を知って貰う事にすらなります。でも果たしてほんとに死んでいるのか?という問いは解決されませんね。ま、答えは量子的に両方あるんでしょうよ。死んでた場合の理由が前述だとすると、生きていた場合の理由はすなわち、「私」達の住むピンク色のアパートにこの町に葉は帰ってこられないから何らかの暗号を含んでいるのではないか?と邪推。
そういえば作者は物語の派生がどうのと言ってたからこのあたりからかけるんだろうな。
妙に遊びやゲームの企画を強調していた作者だけれど読本を出すほどかねぇ。







































































*1:でもそういうことになるとビアンでインフォマニアって事になるけどねw

*2:井上ひさしが激賞して大賞に推したのもむべなるかな。