東野圭吾 悪意

ASIN:4575232645
ASIN:4062730170
ASIN:4061821148

あらすじ

野々口修が今これを書いているのには訳がある。作家という職業柄自らの経験を切り売りする事もあるだろうが、滅多にない体験をした場合にはそれを著作に生かすことを躊躇ってはいけないと思ったのだ。それが例え友人の殺人事件だとしても・・・。
その日野々口は同業の作家で幼馴染みである日高邦彦に会いに行った。日高は作家というどこでも出来る仕事故に日本を離れ、カナダに移住する計画をたてて今まで住んできた家を離れることにしたのだ。野々口はそんな日高を送り出すためにシャンパンを持ってやってきたのだった。
野々口の家にやってきてちらりと庭を観てみる。そこには見たことのない女性が居たのだった。野々口の妻とは違った。怪訝に思い声を掛けるとそそくさと立ち去っていった。
それから五分ほど経ってようやく日高が現れたが、買い物に行っていたらしい。家の中に通されたが既にほとんど荷造りは終了していて仕事場以外はほとんどガランとしている。もうホテルで寝泊まりするつもりらしいのだが残っている原稿を片付けたいという話をしていたら、先ほどの女性を思い出して問いかけてみた。なんでも猫にまつわる女性なのだそうだ。最近その女性の飼っていた猫が死んだのだが、獣医に診せたら毒にやられたのではないか?と言われたのだという。しかも日高が「我慢の限界」という題の付いたくだんの猫にまつわるエッセイを書いたことから女性は「日高の仕業」と確信した物らしい。怒鳴り込んできた女性を日高の妻の理恵がそんなことはしていないと追い返したという。勿論バンクーバーに移住する彼らが忍従を重ね、ようやく解放されるというのに毒を使って殺すというのは腑に落ちない。しかし女性が未だ庭を窺っていたということならば再び毒の入った食べ物が落ちていないか見て回ったのだろう。得心のいった野々口だったが、そこで日高がぼそりと追加した言葉には驚きを隠せなかった。
「俺が殺したんだよ」
そう言った日高の懸案はカナダへ行ってしまったあとに残される家の借り主が未だ決まっていないこと。猫の糞が散見されるような家を借りたい人物など居るわけがない、それが日高の言い分だったのだ。それならばと後腐れの無いように先に憂いを絶つ為にキャットフードに農薬を混ぜた物を放っておいたのだという。躾の悪い猫はそれを食べたのだろう。日高は野々口に妻には言わないでくれ、無闇に騒ぐだけだから、と言い置いた。野々口は居心地の悪さを感じて黙ってしまったが、かける言葉が見つからない。
そこへ佳いタイミングで電話がかかってきた。編集者からだということで暇を告げて野々口は立ち去ることにした。そこへ更にドアがノックされて理恵さんが現れた。藤尾美弥子が現れたという。野々口には一つ頭にひらめく物があった。日高がかつて記した作品に『禁猟地』という物がある。これは中学時代の日高と野々口を暴虐に晒していた藤尾正哉という人物をモデルにした小説だ。当然舞台は中学時代のことを使っている。そこで詳しく聞いてみると案の定美弥子は正哉の妹で、正哉が故人になっているから故人の名誉を傷つける『禁猟地』の回収・書き直しを要求しているのだという。所謂小説のモデル問題という奴だ。金で片が付けばいいのだが、愚直に要求を曲げない美弥子に難渋しているのだという。邪魔になってはいけないからと野々口は日高邸を後にした。

それから野々口は自室に戻り、少し仕事をしてからやってきた編集者の大島に書き上がっている原稿を渡して出来をみて貰った。大島が現行の半分を読み終わった所ぐらいであろうか、日高から電話がかかってきた。八時に自宅の方で会わないか?という事だったので快諾した。大島は恐縮したようであったが時刻はまだ六時をまわったあたりだったので引き留めることにした。読み終わった大島は軽く感想を漏らしたが嘘をついてまで褒める質ではないからほっとした。そこで仕事を一区切りつけて近くのファミレスで食事がてら打ち合わせをすることにしたのだった。
その後七時半ぐらいに分かれ、日高邸に来たのは八時丁度の頃合いだった。しかしインターフォンのボタンを押しても応答が無く、ちらりと見た限り家の中からは光の漏れない暗闇で満たされていたようなので野々口は不審を覚えた。来た道を少し戻って電話ボックスから日高の妻が泊まっているはずのホテルへ電話を掛ける。日高はまだホテルには着いていないらしい。向こうも不審を覚えたらしくすぐに向かうと言ってくれた。ただ、四十分近く時間がかかるので、野々口は近所の喫茶店で時間を潰しているといって電話を切った。
三十分以上経ったので野々口は喫茶店を出て日高邸に向かって歩いた。日高邸についたのは時間的には理恵さんがつくのとほとんど同時だった。理恵さんの鍵で邸内に入るとやはり電気の類はついていないようだった。日高の仕事部屋のドアに手を伸ばしたが鍵がかかっていた。最近は鍵を掛けないということだったので首を捻る理恵さんであったが、鍵を開けてみると中には中央に倒れている日高の姿があった。

その後警察がやってきて様々なことを聞かれた。野々口と理恵が聴取された後パトカーで自宅へ送ってくれるとのことで野々口は送ってもらうことにしたが、そこに同席した人物は意外な事にかつての同僚であった。
「お久しぶりです。野々口先生」
そういった男を怪訝な顔をして確かめるように見つめてようやく思い出す。かつて野々口は中学校で教鞭をとっていたのだが、そこへやってきたのくだんの男加賀恭一郎であった。人生とは分からない物だが、十数年ぶりに再開した二人はそれぞれ教師から作家と警察官と職を変えていたというだから面白い。しかし加賀は世間話をするが如くパトカー内でも聴取に近いことをやるためにやってきたらしい。小説について少し話した後に本格的な事件についての聞き取りを行うが野々口からは先ほどと大して変わらない内容しか引き出せなかった。野々口は黙っていた、猫に関することを・・・。

加賀は一体この事件にどんな絵を描くというのだろうか?

感想

東野圭吾十八作目。何の気無く読んでみましたがこれ加賀恭一郎シリーズの一作なんですね。調べてみたところ
『卒業 雪月花殺人ゲーム』>『眠りの森』>『どちらかが彼女を殺した』>『悪意』>『私が彼を殺した』>『嘘をもうひとつだけ』
となっているらしい。それにしても加賀が教職に就いていたとはちょっと意外。てっきり生え抜きのキャリアだとばかり思っていましたよ。でもそう考えると30歳ぐらいには普通一警察署の署長クラスになってたりするのが普通だから流石にそれはなかったか。にしても30代前半だとばかり思っていた加賀がもっと歳がいっていたとはねぇ・・・。大学を留年・浪人せずに卒業したならば22歳、そこから二年勤めたということで24歳、野々口に再会したのが十数年ぶりということは36・37歳以上って事になるかと。ちょっと意外。とはいえ、刑事としては毛色の変わった加賀という人物の成り立ちが解ったので収穫でもありますがね。
それにしても言葉に出来ない核心を上手いこと言外に伝える技術は相変わらず上手いなぁ。表題の『悪意』とは一体何のことなのか?それを伝えるためだけに全編は割かれている構成になっています。
これはある意味でリアルですよね。小さな悪意が長い年月をかけてはぐくまれる過程がどのようにして生まれたのか。こんな話を読んでいると似たような境遇の作家が身近にいるのではないかと勘ぐってしまうほどですが・・・流石に創作でしょう。
手記が形式として物語る作品というとアガサ・クリスティーの『アクロイド殺し』が念頭に来ますね。その基本コードから違えたり、収束したり忙しい作品です。そういう意味ではメタなんでしょうけど、いち人物の視点だけでは終わらずに追いかける側の加賀の手記も織り交ぜるという手法がとられることでブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』をちょっと思い出したりしました。ただ、ドラキュラの方は手記というよりも手紙のやりとりに近い物がありますけどね。そもそもこういう類の書き方は聖書にまで遡れます。でもそんなことはどうでも佳いですね。
本書はミステリーと本格両方の読者を満たす作品だと思います。ただ、ちょっとネタがネタだけに本格よりかな。コードが凝りすぎている部分があるからねぇ。例えば完全犯罪だとか、殺人トリックだとか、叙述部分が早々に明かされるところだとか・・・。でも、「人間は嘘をつく」というごく当たり前の不確定性を取り入れたのは良かったんじゃないかな。所謂名探偵は情報の取捨選択をする上でその情報に重大な嘘が紛れ込んでいるかもしれないという事実からは切り離されて語られることが多いように思います。たとえ事件とは本質的に関係のない事柄でも必ずしも被疑者、そして情報の提供者の情報ソースを追跡して真偽を確かめるという作業はほとんど行いません。大概虚偽の情報を与える人物は犯人、またはその共犯者にしかならないわけですからそういう意味では革新的でしょう。地道な調査に基づく事件の解決というのは地に足がついていて好感が持てます。また、これが作者の読者を誘導するミスディレクションとしても機能していますから一石二鳥です。
反面上手く描かれている「悪意」が偏見の一言で片付けられてしまう部分には齟齬を感じずにはおれないんですけどね。清廉潔白の士にはなんとなくうさんくさく感じてしまうんですよ。妬みで人を殺せたら・・・バレンタインとかではそういう嫉妬マスクな人が沢山いたんでしょうけど、モテているからという理由で持たざる者が復讐をするというのにはちょっと無理を感じずにはおれないんですよ。特に計画的にやるとなったらね。激情が継続的な物である保証がないかと。よっぽどストレスを抱え込んで倦んでないとそこまで突飛な行動には出ないんじゃないかなぁ。いくらモテないからといって長年の鬱積をぶつけるというのは逆ギレ並みなわけで。
一方で作家という職業を芸術家として考えるならば才能を羨み、成功を羨み・・・と考えられないわけでもないんだけどね。自己の存在を否定しかねない存在としての敵になりうるわけだから。でも目障りな人間がようやく外地へ飛びだそうとなった途端に犯行を決意するというのにはちょっとねぇ・・・。
故に一度目のドンデンの方がすっきりしていて胸に落ちる気がします。だからそこから更にひっくり返す作業が蛇足に思えてしょうがなかったのですよ。心理効果を巧みに用いる作者にしては術に溺れた印象が強いです。
もしも、野々口視点で延々と怨嗟の声を綴った鬱憤鬱積の章が追加されていればすんなりと受け入れられたんじゃないかなぁ。でもそれはそれで浮いてしまいそうな気もしますけどね。所謂本格のネタばらしに50ページとか100ページとか×ケース並みに退屈してしまうおそれがありますから。帯に短したすきに長しってことなんですかね。
それにしても動機をはっきりさせようとして、はっきりすることって案外少ないのも事実だったりするんだよなぁ。よくニュースなどで耳にする「〜からむしゃくしゃしてやった。今は反省している」並みの答辞句には実際内容がないわけだし定型文に堕しているのは否めない。理由なんてそんな単純に推し量れるわけはないみたいなところも透かしてみているのかもしれないが・・・そこまではちょっと解らないなぁ。
70点
意欲作であるがややマニア向け。マニアほど楽しめる内容かと。
蛇足:読み違えてなければ「もう一つのモデル問題」と考えることが出来るのか。

参考リンク

悪意
悪意
posted with amazlet on 06.03.13
東野 圭吾
双葉社 (1996/09)

悪意
悪意
posted with amazlet on 06.03.13
東野 圭吾
講談社 (2001/01)
売り上げランキング: 4,573