麻耶雄嵩 翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件

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あらすじ

山深い陸の孤島に蒼鴉城と呼ばれる因習深い館がある。名探偵木更津悠也とその友人でヘイスティングを自認する香月実朝は、蒼鴉城の当主である今鏡伊都からの手紙を受け取っていた。だが同時に、来ることを拒む脅迫状をも届けられていた。事件のえり好みの激しい木更津であったが、これにピンと来たらしく珍しく事件を引き受けて交通の便の悪い彼の地の古城へと向かった。
しかし、その地で待ち受けていたのは手紙の主ではなくなんと顔見知りの辻村警部であった。既に依頼者は殺されていたのだった。警察の方が先に来たということであったが、タッチの差であったらしい。事件の状況の概略はこうである。多侍摩は自室でベットに横たえられていた。勿論普通の死体というわけではない。首から上がなく、加えて足には階段の所にあったはずの西洋鎧の靴が履かされていた。ただ、履かされていると言っても装飾用の鎧の装具であるから実際に人間が身に付けることは難しい。調和的美しさを持たせられている鎧は人間が実際に身に付ける物よりも小さく作られている。つまりは履くことは出来ないということ。実際外してみると靴を履いているはずの部分は切り取られ棒に靴を引っかけている体であった。
それを木更津は説明し終えたあとに更にもう一点加えた。部屋に入ってきたというのにしつらえられていた帽子掛けを使わずに何故帽子を未だ被っているのか?と。何故ならばその玄関ホールにしつらえられていた帽子掛けに切り取られた首が引っかかっていたのだ。
警察はすぐさま急行して調べてみた。勿論まごう事なき人の頭部であったが伊都の物ではなかった。辻村警部は何故解ったのか?ということを聞いてみるが木更津は推理でも何でもない、ただ見たからと答えた。さて、この切り取られた頭部はであったが、確認してみると伊都の物ではないことが解り、伊都の弟である今鏡畝傍に確認を取って貰うと伊都の息子である有馬の頭部だと言うことだった。木更津は畝傍に死体のありそうな所を聞いてみた。畝傍はどこか怪訝そうだったが、地獄の門と呼ばれる場所ではないかと言った。地獄の門とは大理石で彫刻された重厚極まる代物の扉で中には部屋が一つある。その部屋へは彫刻の隙間から穴が多少空いていたが密室状態だった。予備の鍵は全く使っていなかったのでしまっておいた箱には埃が積もり、本来使われているはずの鍵は中に居た首を切り取られた有馬の左手に握りしめられていた・・・。
円筒形の窓のない部屋には断頭台、そして首のない死体と切り落とされた頭部が転がっていた。

さて、ここで今鏡家の係累を整理しておこう。
今鏡家の今は無き前当主多侍摩と絹代の夫婦には四人の子供が居た。長女の椎月、長男の伊都、次男の御師、三男の畝傍である。このうち椎月は駆け落ちをして行方不明、次男の御師は既に亡くなっている。
伊都には一人息子の有馬がおり、有馬には二人の娘がいた。加奈絵と万里絵であるが、この二人は知恵遅れであった。
御師には静馬と夕顔の二人の子供がいた。ただ、夕顔は義理の娘で血縁はない。二人は愛し合っている様子である。
畝傍には一人息子の菅彦がいて、菅彦にはアメリカ人女性との間に霧絵という娘がいた。だが、結婚を反対されたために合うことは出来なかった。一年ほど前に霧絵の母が死んだことで菅彦が引き取る事が出来たが、菅彦はそれを今でも悔やんでいる風である。
その他に蒼鴉城に普段居るのは家政婦をしている久保ひさ、そして通いの作男である山部民生がいる。
事件が起きたのは場所が場所であるから加害者は第三者ではあるまい。事件は立て続けに起き、伊都そして有馬の次は畝傍が、静馬が、首斬り死体となって発見される。
木更津はこの事件のきっかけを一ヶ月前に死んだという多侍摩にあると踏んで納棺所に向かった。ギリシア正教を信仰していた今鏡家には火葬の風習はなくカタコンベの様な場所に遺体を棺ごと放り込んでおくのだそうだ。勢い込んで木更津は多侍摩の棺を開けるのだが・・・中にあったのは多侍摩の首斬り死体だった・・・。
その事実に木更津は愕然とし、敗走するが如く推理のカンを研ぎ澄ますために山ごもりへと出かけるのだった。
そうして事件が解決しないまま、去る者がいれば現れる者が居た。男の名はメルカトル鮎という。タキシードに蝶ネクタイ、シルクハットにステッキとマジシャンの様な格好をした男は今鏡静馬に呼ばれた探偵であった。辻村警部曰く木更津以上に事件のえり好みをする男だという。慇懃無礼、傍若無人に振る舞うメルカトルは香月に一つ言った。「双子に気をつけろ」と。
惨劇の幕は未だ続いて居たのだった・・・。

感想

麻耶雄嵩二作目。京大ミス研出身ということなのでマニア向け。
所謂館物、そこに漂う血の因習、そして連続する惨劇、そして死体の異様、本格好きには堪らないのかも知れませんけどなんか溝口正史とか小栗虫太郎を思い出しました。所謂モダンミステリーの方向ですね。
二転三転する推理劇ですが、捻り過ぎな感じが漂います。探偵役が二人とか、一度に殺される数は少ないのに連続して起きるとか、死体が首を切られているとか・・・。いつも思うんですけどなんで警察はそれぞれの容疑者兼被害者になりうる人物をそれぞれ隔離しないんでしょうかね。探偵という存在に寄らば大樹の陰とするのはいいですけど病気も犯罪もまず未然に防ぐことが大事であって、犯人を挙げれば佳いってもんでもないでしょうに。推理劇なんかよりも、脈拍、発汗、現在位置をトレースさせるような装置を容疑者全員に装着して貰った方が理にかなっているような。電気工学関係の専門家でもない限り、物理的にほぼこれで犯人がわかりますし、犯行に及べないですわ。でもこういう意見って"無粋"ってなるんだろうなぁ。
うーんなんとなく思ったけど、今後のミステリーとして残されるのは推理劇として成立しうる可能性のあるプロファイル物・科学捜査物なのかも。現行の名探偵物ってのには流石に無理があるよねぇ・・・。容疑者が複数居てそこから犯人を割り出す。それよりも未だ特定されない容疑者をプロファイル・物証から消去法で割り出していって、削りだしていく方が犯罪実録物っぽくてよりリアリティがあるかもしれない。ただ、犯罪のほとんどは計画的な物じゃなくて衝動的な物、更に顔見知りの犯行が大半を占めるってのがネックかなぁ。
さて、この小説は戯化された本格です。これが本質と言っても佳いでしょう。「これは本格じゃないんだい!」と言いつのっても佳いですが、一皮剥けば大体こんなもんです。そもそもコードが硬直化している本格ミステリーで奇を衒おうとするとメタに走るか、コードの逆を行くかしかないわけです。大概探偵が複数出てくる場合はその探偵のどちらかが犯人であることが多いわけですね。ってことでそこから外れるとかやってみたりしているわけです。うーんそう考えると実験的作品の側面もまた強いのかもしれませんねぇ。ということでやっぱり本格を読み込んでいる人じゃないと難しいですね。それに読み込んでいてもこの瓦解していくドンデンの多さに火傷、胸焼けを起して感覚麻痺が起こるか、感激を覚えるか、人によってかなりの差異があるでしょう。
全編に漂うのはペダントリーですが、ギリシャ正教、美術全般、クラッシック音楽、特撮、古典ミステリと随分節操がないですねぇ。テーマが雑多すぎな気がしますが、個人的には随分コアな特撮ネタが出てたことでクスリと笑ってしまった不覚がありますからあんまり深くはつっこめないかなぁ。
でも21歳でこれ書いたって言うんだから天晴れではありますよ。拘りすぎて味噌糞になってる面は否定しませんけど古典の読み込みに自信がある人は読んでみると佳いかもしれません。
ああ、そうそう、なんか読み辛いという人が居るみたいですけど衒学的なひけらかしにテンポを崩されてるのかもしれません。そこが大丈夫な人ならば特に問題はなく読み進めると思うんですけどね。
ただ、ラストのオチはネタの弱い流水大説読んでる気になるので注意。
60点
私如きじゃ堪能した内にはいらんかな。
神様ゲーム』の方向性の懐の大きな作品はないんだろうか。

参考リンク

翼ある闇―メルカトル鮎最後の事件
麻耶 雄嵩
講談社 (1996/07)
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翼ある闇―メルカトル鮎最後の事件
麻耶 雄嵩
講談社 (1993/06)
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