古谷実 シガテラ (1)〜(6)

シガテラ (6)
シガテラ (6)
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古谷 実
講談社 (2005/08/05)
売り上げランキング: 1,391

行け!稲中卓球部』で名前が売れた古谷実の(コミックとしては)最新作です。とはいえ連載は去年終わりましたけどね。古谷実は『グリーンヒル』以降青春路線に転換したようです。それが更に顕著になったのはそのすぐ後に発表された『ヒミズ』で当初のギャグ漫画家という位置付けから、作風変化によって青年の悩みや鬱々とした苦悩へと転換したことからしてある意味で純文学的方向に行っていると考えるのが適切なのかもしれません。喜びを描写する方向からいかにして悩みを主眼においたのかは私には解りません。
ギャグ漫画家はその仕事によって精神を病むことが多々あるようです。一種の強迫観念と同衾せざるを得なくなり、抑鬱に悩んだりするみたいですね。加えて漫画業界でも未だにギャグは四コマで主に使われるぐらい地位が低いと言って佳いかもしれません。所謂ストーリー漫画と比べるとどうしても穴埋め的側面、ボリュームを増やす為の一手段に甘んじている点は仕方がないのかもしれません。そして何より売れる漫画になるのは難しいですからね。漫画雑誌においては売り上げ至上主義がかなり徹底してますしねぇ。作風転換を図るのも仕方ないかもしれません。それにギャグというのは感性によってその反応は随分変わりますし、対象層も決して広いわけではなく、再読を愉しむというのが難しい部分もあります。所謂お笑いタレントなどが「常に面白いことをしなければならないけれど、同じ事を何度やっていても飽きられる」というのに似ているのかもしれません。
さて、本作は相当に暗いです。虐められている少年と巻き込まれてしまう者。虐めていた側は報復を受けたり、報復した側は親の会社が倒産したり、実際散々です。それでもバイト先で知り合った友人や恋人をゲットしたり、日常を生きています。やがて少年は大人になり、少年と青年の狭間で揺れ動くモラトリアムの時代に漠然と抱いていた不安は取り越し苦労であったということを知ります。苦い青春は過去の物となり、現在を生きる普通の青年になるわけです。こういう話はなんかスティーヴン・キング的な嫌な青春のイメージがこびりつきますよねぇ。世間の誰しもが何かしらの物語を持っていることを暗示しているわけですが、ちょっとやばすぎるんですよねぇ。反抗はほとんどしないし、気が小さいだけで行動をほとんどしなかった男が、異常性を持った人間関係をかつて持ちながら、こうも普通に生きているというのはどこか居心地の悪さを覚えます。
どこかへ行きたい、何者かになりたい、そういった青臭さがどうにも捨て去ってしまったはず物を呼び起こして不安になってしまうんですが私だけなんでしょうかねぇ。
作者は最終話を作るのが下手な人だなぁというのは相変わらず感じました。どこに帰着点を持たせるのかという点においてはきちんとやってますけどね。ここには異常性があろうとも平凡がそれを内包する構図になっていて終わっています。『ヒミズ』では主人公の自殺を、『グリーンヒル』では日常の延長を、『行け!稲中卓球部』ではエンドレスで狂った日常をそのままに終焉のピリオドを打ちました。ストーリー漫画的な終わりがないからこそこういう形にしたのかもしれませんねぇ。作者にとって物語の始まりとは日常の延長で、物語の終わりとはあくまでも小休止、そういう物なのかもしれません。でもそう考えると『ヒミズ』は悪意は続くという事になったりするわけですが・・・救いがないなぁ。まぁ、『ヒミズ』は本エントリに直接的に意味を持つ訣じゃないから置いておきますけど。