貴志祐介 十三番目の人格(ペルソナ) −ISOLA−

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あらすじ

賀茂由香里には生来エンパスの能力があった。一般人にとってはテレパスといった方が分かりやすいかもしれない。テレパスとエンパスの違いは思考を読み取ることが無制限に出来るものがテレパスであり、エンパスは高ぶった感情のみを聞き分けることが出来る。その能力は嬰児の時期には既に発現していたらしい。しかし幼少期にはほとんど影を潜めて長らく潜伏して忘れていた。由香里は勉強も出来たし、容姿もそれなりの物を持っていた。しかし、思春期に入ってからはエンパスの能力がどんどんと一人暴走していった。結局制御して一切他人の感情をシャットアウト出来なかった由香里は不登校児となり、精神病院の外来に通わざるを得なくなった。恐るべき能力を誰に口外するわけにもいかず悩んだ挙げ句、由香里は家族からも疎まれていることを彼らの胸の内から聞いてしまい家出を決意するのだった。幸いエンパスの能力を制御する事の出来る薬エンサンクロルプロマジンに出会っていたのでなんとか能力を封印することは出来ていた。しかし、副作用が強いのも確かだった。意欲は減退し、強烈な眠気と無気力に苛まれるのは仕方なかった。やがて簡易ホテルに暮らしながら何とかだましだまし生活していたが、蓄えはあっという間に尽きてしまった。そんな彼女が最後の手段としていたのは女という武器、水商売の世界への道を歩くことだった。そんな道を選んでからの彼女は忌まわしく思っていたはずのエンパスを駆使して一種のカウンセリングの様なことをしていた。性的なことよりもそちらの方が喜ばれ、初めて能力に活路を見出したのだった。
そんな生活にも慣れた頃、関西で大惨事が起こる。阪神大震災である。由香里は自分の能力を生かして被災者の心の傷を少しでも癒すために仕事に休みを取ってボランティア活動としてのカウンセリングを始める。勿論専門家ほどの知識はない由香里であったが経験則で大抵上手くいった。ただ由香里は能力を使って少し派手にやりすぎてしまっていたようだ。それが元で同じボランティア活動員に押しつけられるように引き合わせられることになったのが森谷千尋だった。彼女は普通の人間と少し変わっていた。由香里が会ってすぐに解ったのは千尋は自身の中にいくつもの人格を持っていると言うことだった。そんな彼女に興味を持った由香里は繋がりを強くしていくのだが彼女の人格の中に病的で獣的な人格のイソラという存在が由香里の中で影を落とした。元々学校でカウンセリングを受けていた千尋の状態を詳しく知るため由香里は千尋の通っていた学校に足を伸ばす。

感想

貴志祐介三作目。第三回日本ホラー小説大賞長編賞佳作をとってこれでデビューしたみたいですね。佳作とはいえ良くできてますよ、ええ。超能力と精神医学、ホラーにミステリーと一つに拘らずに「何かと何か」を足して良いところ取りした作品に仕上がってます。
これの前に時代がかった古典の文を読んでいたからなおさら面白く感じた部分は否定しません。所謂揺り返しって奴です。そのおかげかページの減りは驚異的に早く感じましたね。20分足らずで100ページ消費とかちょっと有り得ないほどエンターテイメント性に飢えを覚えていたようです。スポンジが水を吸収するが如く空腹は満たされましたけれどこれが正常な感覚なのかには疑問があるのでちょっと困りますねぇ。ま、サスペンス性がきちんと効いていて面白かったのは事実なのでいいですけど。
本作は多重人格(解離性同一性障害)を取り扱っている関係で精神医学、心理学用語が頻出します。その説明はやや蔑ろになっているところは難点ですな。ただ、そこの難解なところが必ずしもストーリー上で大きな意味を占めているわけではないので気にはならないかもしれません。ストーリーに絡んでくる描画法(木を描かせて内在する精神の状態を判断する。バウムテストとも言う)なんかは比較的に有名所ですしそれほど問題ないでしょう。ただ、DSM-IV(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders-IV)については解らない人が居るだろうから補足。DSM-IVっていうのはアメリカ精神医学会が出している診断マニュアルのことです。これを使うことで診断が格段に楽になってはいますが、画一的すぎる面もあり、症状から確実に病名を判断するということに意味を置いています。故にとりあえず「こう診断しておく」というような指標的教本であって病名を付けることが出来たから治療進むというわけではないわけです。ただ、それでも症状からの病状の類推、症状の緩和や緩解をもたらそうとした場合、経験不足な医者が判断を下す上で経験を補いうるのも事実です。また、国毎に用語が違う側面からある意味でデファクトスタンダードになっていたりします。
ちなみに翻って描画法やらロールシャッハテスト等の投影法には正常と異常の線引きが必ずしもしにくいことで妥当性や信頼性で問題があるという見解もあります。未だ精神医学の分野では投薬治療が効果的で、根本原因の解決をカウンセリングに求めるのは難しいのも事実です。なお、本作においてはテストの信頼性に疑問を持たせるような事はしていませんからここについてはスルーして構いません。第一そんなこと考えるのは専門的な知識が有った上での話なので普通の人は興味もないだろうし、あったとしてもストーリーから外れていくだけですからねぇ。
立ち返って多重人格について考えてみるとこの話ではビリー・ミリガンをやはりお手本にしたようです。ビリーが人格交代するときは目をつぶって表情がぴくぴくと動き、人格が入れ替わると表情が変わり言葉遣いが変わるという映像を見たことがあります。ただ、ビリーの場合は一つの人格が表に出ているとき他の人格はほとんど寝ているということだったので情報の流通が必ずしも満遍なくなっていたわけではなかったようですね。また、人格毎の年齢の違いや、特性、生まれた理由などが虐待に一因を置いている所なんかも似てますけどここいらへんはあくまで多重人格障害という疾病を患っている人のほとんどがそうみたいだから必ずしもビリー・ミリガンがどうこう云う問題じゃあなさそうですな。
なお、もう一つネタとして本書にからみついている物があります。『雨月物語』の「吉備津の釜」ですな。本書の焦点となる千尋は十七歳の女性ですが彼女は両親と一緒に交通事故に遭ったことで両親を失って叔父夫婦に育てられることになりました。そこで虐待を受けたことで多重人格に陥るんですが、それぞれの人格には名前があります。ええ、普通あるに決まっているんですが、そこには明確な意思が存在するんですね。それぞれの名前にはその名前に使われている漢字の意味を役割としているわけです。彼女は叔父夫婦に数々の本を捨てられ、残されたのが心理的恐怖を抱いている『雨月物語』と辞書として使うにはあまりに無骨な『新字源』だけでした。彼女はその『新字源』の中から目的に合う名前を人格に付けていくルールが有りました。しかし、イソラという人格はそのルールから外れ、『雨月物語』の「吉備津の釜」に出てくる磯良から取られたようです。ちなみにこの本のストーリーにも「吉備津の釜*1の話はオーバーラップしてきます。現代風に上手くまとめましたね。ただ、作中で作者は『雨月物語』は普通に読まれる作品だと言いたげでしたが、どう考えても相当の趣味人じゃないと普通は手を出さないと思います。そこら辺は作者がずれてますよね。そういえば「吉備津の釜」は「鳴釜」として京極夏彦京極堂シリーズのスピンオフで書いてましたなぁ。『雨月物語』には全部で九編の物語が入っているようなので時期を見て読んでみたい物です。一応画像として公開はされてるんですけど流石に崩し文字は読めませんから・・・。
ホラーとミステリーはどうにも不可分なのだなぁ、等と思った一冊でした。ただ、ちょっとオチに難があるかもしれない。猟奇性には発想の面白さがあって良かったけどね。
80点
蛇足:ビリーミリガン+ナイトヘッド+パラサイトイブ/3かな。

参考リンク

十三番目の人格(ペルソナ)―ISOLA
貴志 祐介
角川書店 (1996/04)
売り上げランキング: 73,903

ISOLA―十三番目の人格(ペルソナ)
貴志 祐介
角川書店 (1999/12)
売り上げランキング: 1,529,005

*1:釜鳴り神事(湯を沸かして釜が鳴ったら慶事、鳴らなければ凶事)を行って凶と出たのにもかかわらず結婚した男女であったが、男の方が嫁をさしおいて外に女を作り逃げてしまう。妻は夫を生き霊となりながら追い求め、寝取った女を殺し、死霊となって夫も殺すという話。なお、その怨霊となった女の名前が磯良なのだ。