芥川龍之介 河童・或阿呆の一生

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あらすじ

  • 大道寺信輔の半生

芥川龍之介の自伝的半生。ただし未完。

  • 玄鶴山房

結核で隔離されている男と腰をいわしてしまった妻、男の愛人と息子。女中の女はこの家の壊れていく様を愉しんでいた。

  • 蜃気楼

鵠沼の海岸に蜃気楼を見に行く話

  • 河童

河童の国に行ったと主張する男は精神病患者だった。

五十一の章に分けられた芥川龍之介という人物の鳥瞰図(らしい)

  • 歯車

歯車、そしてドッペルゲンガー、不眠と不安は芥川龍之介を壊していく。そんな様を綴った私小説

感想

芥川龍之介ここでは初読み。かつていくつか読んでますが、自発的に読むのはこれが初めてですね。本棚にあった古典をちょっと読む気で読んでみたんですけど大失敗。芥川って『鼻』とか『トロッコ』とか『羅城門』とか『杜子春』とか『蜘蛛の糸』なんかが有名じゃないですか。でもねここにはそんなちょっと異界めいてちょっと悲しい物語なんて無いんですよ。ここにあるのはただただ死への渇望という状況。唯一まともに読めそうなのは『河童』ぐらいですが、その『河童』も寓話で狂いそうな胸の内を吐き出すはけ口でしかないわけです。こうなってくると読むことが苦痛な本としての印象が強くなってきますね。情景描写として苦しむ様を滔々と描かれたあてのない筋の無い文章が通俗小説として評価されるのは正直理解に苦しみます。
恐らく芥川龍之介の研究者か詩が好きな人ならば愉しめるのかもしれないとは思います。こう書くのだから私は素直に愉しめなかったわけです。
ここにあるのは生活に疲れた男の魂の叫びとしか呼べない物です。苦悩と忍従と苦痛の果てで散ることを救いとした哀れな男の晩年そのものなのですよ。そこにはかつて存在したユーモアや陽的な面白さ、道徳的寓話はほぼ存在しません。感情が摩耗しすり切れてしまった残骸が残っているだけです。これは明らかに典型的な抑鬱状態の症状と言っていいでしょう。この状況で書き上げられた作品は菊池寛などに激賞されたらしいのですが、作風の転換が作家性の幅がでたと誤解されたものだと私は感じました。苦悩の発露が芸術たり得るとされた苦悩の美術は、芸術の根幹が異形である点を、忘却している異常性を教えてくれています。快哉を叫ぶ愚か者の群れは筋がない日常を芸術たらしめていると錯覚させる力量に耽溺し酔っぱらっているに過ぎないのではないでしょうか。ここに充満するのは厭世であり諦観なのです。負の魅力に陶然となるのは勝手ですが、結果として目にしているのは示された作品ではなく、あくまで触媒として機能した作品を媒介にした己自身の鏡像でしょう。つまりはナルシシズムに拘泥しているだけなのです。
昏い感情の葛藤は私は大好きです。ええ、多少歪んでますよ、それは認めます。ただ、ここにあるのは葛藤を越えたのっぺらぼうでしかないんです。輪郭も造作も存在しない白紙に近い回答と言うべきでしょうか。これもまた一つの絶望の形でなのでしょうが承服しかねる部分があります。これではまるで死刑囚のように宗教的な力を借りた恐れの剥奪と何も変わらないのではないかということなのです。そこに至って私はどうにもしらけてしまったわけです。
それを人間のもっとも親しく、常について回るありふれた言葉に代入するならば<死>という言葉が残るのでしょう。本書はあまりに<死>を語りすぎています。もはやこぼれ落ちてくる言葉の渦は彼岸の言葉と言っていいでしょう。底冷えのする美しい情景も、生命を失い凍てついてさえいます。この本は恐れられるべき本だと私は考えます。彩り鮮やかな幻想譚の行き着いた楽屋話がこうも寒々しい無機質に変じてしまうのですから。死に瀕して初めて美を発見するような偽りの至福は健全とは言い難いでしょう。あくまでそれは己の悲劇が産み出した脳内作用の幻想の一つに過ぎません。引きずられるべきではない、幻想は幻想なのですから。隠された顎門はただ破滅のみなのですから。
ただ一つ理解できるのは彼岸に嵌った男がなるべくして<死>を手にし、その顎門にかかったこと、それのみでした。
結局本作は作者の死に付帯したあらましを綴った自己弁護の切れっ端でしかないわけです。これを傑作と述べるのは狂人の戯言を一様に芸術と成すのと変わりなく甚だ滑稽なのです。
故に私には楽しめなかったと言わざるを得ません。忌まわしいだけだったのです。そこには美ではなくただ悪徳を共有する共犯者めいたやりとりのみ鎮座していました。ただただ読み終えること、それだけが念頭にありました。芥川龍之介という戯作者の絶望の虚を探求するにはその道案内は実にか細いものだと非力を痛感するのみです。これを傑作だと思う向きはやはり業が深いのではないのでしょうか。
40点
一応唯一まともに読める短編「河童 どうか kappa と発音してください。」についてちょっと。内容はジョナサン・スイフトの『ガリバー旅行記』と大差ありません。人間生活との違い、楽園としての世界、現代社会への痛烈な批判と引き写しのようです。これは資本主義と社会主義の狭間で揺れている男の言葉その者でしょう。
なお、筆者の作品のほとんどは青空文庫ここに収録されているので興味のある人は読んでみると佳いかもしれません。
蛇足:同じ自殺者ではあるものの太宰治の方がしっくり来ますね。

引用

「どうした?」
「いえ、どうもしないのです。……」
妻はやっと顔を擡げ、無理に微笑して話しつづけた。
「どうもした訣ではないのですけれどもね、唯何だかお父さんが死んでしまいそうな気がしたものですから。……」
それは僕の一生の中でも最も恐ろしい経験だった。━━僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こういう気持ちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である。誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?

芥川龍之介著『河童・或阿呆の一生』「歯車」より

参考リンク

河童・或阿呆の一生
河童・或阿呆の一生
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