エラリー・クイーン Yの悲劇

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あらすじ

海で見つけられたぶよぶよの死体は数週間行方不明になっていたヨーク・ハッターであることを持ち物から容易に判断することが出来た。防水加工されていたタバコ入れにはこう書かれた紙が入っていたそうである。
「関係者各位へ
完全に正常な精神状態において、私は自殺する。
                      ヨーク・ハッター」
ヨーク・ハッターが自殺したのはどう考えてもその妻エミリ・ハッターが原因に違いないとハッター家に関係する人物達ほぼ全てが思った。大金持ちのエミリに屈服し、従属を余儀なくされていたヨークが自ら死を選ぶことは意外ではなかったのである。この事を新聞は書き立てた、気違いハッター家の犠牲者として。大金持ちの不幸を書き立てることが購読者の興味を煽ったからだ。
ヨークの死から二ヶ月ほど経ち、新聞の喧噪もなくなりかけてきた頃だった。事件は再び起こる。
エミリ・ハッターの親族は多岐にわたるのだが、まずはそれを説明する必要があるだろう。彼女はヨーク以前にトム・キャンピオンという男と結婚していた。その時の一粒種がルイザ・キャンピオンである。彼女は生まれながらに三重苦を味わっていた。盲目で聾で言葉を喋ることが出来ない。幸い生まれてから二十年ほどは難聴であったが耳も多少聞こえていたため、点字や指文字で外世界と意思疎通がとることが出来たが、それでも可哀想な婦人ではあった。歳は四十、彼女はハッター家において実に珍しい物静かで心優しい人物だった。
エミリとヨークの間に出来た子供は三人。長女のバーバラは天才詩人で家族の中では唯一まともな女性だ。その次の長男のコンラッドは酒に溺れているアル中でいつも何かに当たり散らすような低脳、末娘のジルは社交的ではあるが高慢ないけ好かない女であった。また、コンラッドには二人の息子ジャッキーとビリーがいるのだが、これが一家からは手の付けられない悪ガキと黙されていた。その他住み込みの家政婦と住み込み運転手のアーバックル夫妻、女中のヴァージニア、ルイザ付きの住み込み看護婦スミス、そしてコンラッドの息子二人の家庭教師としてエドガー・ペリー、以上をもって気違いハッター家は成り立っていた。
さて、事件であるが、ルイザ・キャンピオンの日課の一つ、卵酒についても話さなければならない。彼女はエミリの命によって毎日卵酒を飲むことになっている。彼女は心臓が弱く、その為の滋養らしいのだが福々しい彼女の肢体には必要ないように卵酒を造っているアーバックル夫人には思えていたが、エミリの命は絶対である。故に毎日欠かさず呑ませていた。だが、その日は呑ませようと置いた卵酒はルイザに飲まれることなく、悪ガキのジャッキーに呑まれてしまう。しかし、それはルイザにとって幸運だった。卵酒には毒が入っていたのだ。卵酒を飲んだジャッキーはもがき苦しみ始め、幸いすぐに飲んだものを吐き出す処置をしたため大事に至ることはなかった。だが、ジャッキーが吐き出した卵酒をビリーの飼っていた仔犬が舐め痙攣しながら死に至った事からして相当に強い毒であることは間違いがなかった。ルイザ付きの医者はすぐにやってきて毒物がストリキーネであることが判明する。その後ジャッキーは回復しこれで全てが終わったに見えた。
しかし更に二ヶ月後、再び事件は起こる。ルイザとエミリは同じ部屋で寝ているのだが、エミリ用のフルーツバスケットに前日に無かったはずの腐りかけの梨が一つ追加され、その梨の中に重クロム酸水銀が注入されていた。だが、それは事件とは少し違う。ルイザと一緒にいたエミリが死んでいたのだ。死んだ原因は楽器のマンドリンの殴打による心臓麻痺である。何故ならばマンドリンが放置されていたし、傷はそれほど酷くなかったからだ。犯人はその他に二つ証拠を残していった。一つめはマンドリンで倒してしまった天花粉によって付いた靴痕、そして重クロム酸水銀が検出されることとなった注射器だ。自殺したヨークは科学者だった。自室を研究室に改造したヨークはそこで細々と化学の研究をしていた。その為様々な溶液や結晶に事欠かず、勿論その中には有毒な物も含まれていた。どうやらその研究室から毒物や注射器などを持ち出されているようなのだが、ヨークの死後部屋はエミリによってふさがれ、鍵は常にエミリが持ち歩いていた。ちなみにマンドリンもエミリによって触れることが許されない物の一つであった。故人を尊重する意味での感傷の一つなのだろうがそれによって不可思議なことが浮かび上がる。エミリの死後研究室の扉を開くと分厚く積もった埃によって殺人者が扉を使っていないことが解ったのだ。窓には鉄枠がはまり、そこを通ることは出来ない。靴痕は上手くごまかされていたが、どうやら暖炉を通じて侵入したようなのだが・・・。
老俳優ドルリー・レーンは再び事件の謎に迫る。

感想

エラリー・クイーン二冊目。確かこの本が出た頃ってバーナビー・ロス=エラリー・クイーンがばれる前後じゃなかったっけか。ま、何にせよ黄金期後期最後の大物の代表作をようやく読みました。相変わらず毒殺大好きですなぁ。
古典であるから仕方がないことだけれど、やはり訳が古い。「横着」という言葉一つとってみても、「図々しい」というニュアンスはあってももはや「ずるがしこい」というニュアンスで使われることはほとんど無いと言っていい。しっかしわからんのは「そっくり」という言葉が何故か動詞形で使われている形跡があることだ。「そっくりする」ってなんだよ、意味が通じんわw。それに何故か度々「ハッター」が「ハツター」のまんまだったり、ちゃんと改稿してるのか不明すぎ。おまけに何故か縦書きの所で「の」が唐突に横書きで書かれてたり・・・。これ昭和五十二年にでた奴だけど、全然直してないっぽいな。現在の奴はどうなってるかしらないけど結構気になる。あと、原文に忠実なんだろうけど顎がどうのこうのと言う部分は補遺が必要かと。日本人には顎が気力の象徴なんて言うのは普通解らないでしょうに。似たような慣用句を使ってる場面は結構散見されるのでそういった部分では読者にあまり優しい本ではないわな。あと原文も古い。その時代の既成概念に縛られている。ここで言う既成概念はどっちかっていうと迷信深いって類の奴ね。これがホラーのような妖しさを帯びた呪われしハッター家を演出してるわけだけど、いかんせんホラーな感じはしない。なんかずれてる気はするんだけどそれだけ。
なお、今回はあまりに読むのに時間がかかるのでちょっと奇を衒って朗読を試みてみました。ん〜案外佳いかもしれない。序盤での地の文の朗読は結構愉しかった。それに黙読よりも興が乗ったのは予想外だったわ。ただ、中盤以降はサムとレーンの掛け合いが増えたためにそれも無くなっていってしまったけれどね。レーンは基本的に自分の意見を隠す伝統的探偵の性行を継いでいるため掛け合いが成り立たないんだよね。否定否定否定で成り立つのだから。実際サム警部がよく我慢できるなぁというのが本音。そう考えてみると私にはレーンが決して魅力的ではないわけか。ん〜魅力的でない探偵小説を読むのが愉しいわけもないのは確かだなぁ。
本書の時代性なんだろうけど科学万能を作者は当たり前に思っているんだろうな。ハッター一家の性格の異常性を強調するのは病として扱っているからだし、遺伝的な物として忌まわしさを強調するのは物語のダイナミズムが欲しいからだろうと思う。これは横溝正史の因習的世界観(『八つ墓村』や『獄門島』の様な物ね)と同一効果をもたらす。妖しさが加わって幻想味が強調される、というよりこの場合「された」と言うべきか。悲しいかな現代人からすると甚だ馬鹿馬鹿しさが漂ってしまうのだよ。忌まわしい血のなせる業なんてまともに取り合う人が常識人に居る?私は流石にそれはないと思う。遺伝性の精神疾患が無いとは言わないけど、全然一貫性がないじゃない。同一の病にかかっているとかなら解るけれど、そういうわけでもないし流石に無理があるわ。天才・アル中・ずるがしこい性格ブスが遺伝だと言い切ってしまうクイーンの間違った科学万能信奉者っぷりは滑稽ですらあるよね。
感情先行な読み方を私は愉しむけれど、今回は朗読で地の文の良さを楽しめた。反面芝居がかりすぎているドルリー・レーンに不満が残ったのは問題かもしれない。ま、ドルリー・レーンは役者だから仕方ないんだけどね。それにちょっと理性的すぎて冷酷ですらある。感情面を現すのが言葉ではなく沈鬱な沈黙によってしまっては読者が楽しめないと思うんだが・・・。
最後に作者はキリスト教的分別で子供を軽く見すぎていると思う。十三歳なら十分だよ。助けてやれば良かったのにねぇ。ある意味ではレーンは殺人者の仲間入りをしたに等しいよ。これはどう言ったところで覆らないことだからね。
良かった点としては登場人物が多いのにゴチャゴチャしていないところかな。それに死人のトリックなんかも上手いと思う。
70点
どうでもいいけどペルーバルサムって実在するみたいね。

参考リンク

Yの悲劇
Yの悲劇
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