東野圭吾 分身

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あらすじ

氏家鞠子は幼い頃から常々感じていたことがあった。母がゾッとするような目で、まるで物を見るかのような目で自分を見ていることを。それは多分、自分が母にも父にもどちらにも似ていない事が原因だと思っていた。母は私を嫌っているのだと子供ながらに気がついたのは小学校高学年の頃の話だ。友達とふと写真の話をしているときに両親と似ていないということが話題になったのだ。その時以来「ああ、確かにそうだ。全然似ていない」ということが気になりだした。不安はむやみやたらにどんどんと増えていく。そんな時、確かめる手段として戸籍謄本の事を知った。戸籍には嘘は書かれない。まるで違うからもしかしたら養子なのではないか?そんなすべての疑念を払うべく、鞠子は市役所で戸籍謄本のコピーを取得した。そこには鞠子を指し示す長女の文字があるだけで父と母の係累の部分にも問題はなかった。ほっとした。だが、一方では何故自分はこんなににも父と母、両方に似ていないのか?更なる疑問が募ることとなってしまう。両親が自分を疎ましく思っているように感じたのは戸籍謄本のコピーを取った翌年の事だった。鞠子は両親に中学進学先を私立の全寮制カトリック学校を薦られる事となり、それを素直に受け入れることにした。両親が自分を疎むのならば仕方がない、そう思いながら・・・。学校に入ってからは夏休みとか冬休みとか長期の休みの時ぐらいしか自宅に帰ることは出来なくなった。寮の同室者にはこの悩みを打ち明けたりもした。そして二年生の冬、事件は起きた。久々に帰宅した鞠子に待っていたのは、母が鞠子と父の夕食に睡眠薬を混ぜ、ガスで一家心中を図るという悲惨なものだった。おそらく父に助けて貰った関係で鞠子は外にいて無事だったが、父は軽傷を負い入院、母は全焼した家屋の中で焼死体となって発見された。父は事件後「すべてを忘れろ」そう言うだけだった。
すべてを胸にしまい込み五年が経過した。鞠子は大学生になっていた。地元の北海道の学校に通う鞠子は父の経歴を調べる事にした。父の過去を辿っていけば見えてくる物があると信じたからだ。鞠子は東京へ旅立った。

小林双葉は悩んでいた。母子家庭に育った双葉にとって母は大事な肉親なのは当たり前の話だったが、かといってすべてを母の言うとおりにするというのは無理があった。双葉は現在バンドを組んでいて、願ってもないチャンスがまわってきているのだった。深夜の番組だったが、TV出演と生演奏が出来るというのは魅力だった。だが、母はTV出演をガンとして認めてくれなかった。ある時こういったものだ。「バンドをやるのもいい、でもプロにはなるな」と。母が何故そこまで嫌がるのかを双葉は知らないまま、TVに出演してしまう。そしてそれから一週間後、双葉は自分が取り返しの付かないことをしてしまったのだという事を初めて知る。自分を調べてまわる男の影、自宅にまで押しかける誰だかわからない人物、母がヒステリックに電話口で気持ちは変わらない・・・そういっていた事などが初めて一本に結ばれたのだった。
母が死んだ。交通事故である、そう警察は判断していたが、轢いた車両は盗難車で人通りの少ない道でわざとやった可能性が高い。母は殺されたに違いないのだった。外見が全然似ていない親子だったけれど、母は全然そんなことは気にしていなかった。そしてまた双葉も自分の出生に対して疑問を深め調べることにしたのだった。

外見が全く同じ二人が東京都と北海道を舞台として交錯し合う。

感想

東野圭吾14作目。作者にしては珍しいすっきりさっぱり系のサスペンス物。細かいところを見据えるんじゃなくて大枠で話は進んでいくんだけど、特徴の後味の悪さみたいなものはなりを潜めてるように思う。ストーリーテリングは特異なものでは決して無く、二人の主人公をそれぞれの視点で動かす
なお、本作は『探偵ガリレオ』の世界とリンクしているみたいだね。帝都大学って固有名詞はガリレオの勤め先と同じです。ただ、ガリレオの属する学部は登場しません。あくまで出てくるのは医学部ぐらいのものですね。前回読んだ『探偵ガリレオ』で帝都大学の名が深く記憶されていたから本作でも出てきたのにはちょっと違和感があったけどまさかねぇ。こっちの方が世に出るタイミングは先*1だったみたいだから別にスピンオフではないんだろうけど、創作の共通バックボーンの一種なのかもね。
ぶっちゃけていうと、本作はクローンを取り扱っています。しかし、僅か十年足らずで時代が追いついてきているために、残念ながら旬は過ぎ去っているものと考えるのが妥当じゃないでしょうか。ほ乳類のクローン技術がまだまだ仮想のものだった当時に書かれた本だったのですから。1996年になってようやくほ乳類の体細胞クローンとしては羊のドリーが生まれます。僅か三年の間に飛躍的進歩を遂げているクローン技術が十年も経ったら流石に認識に差異が起こっても致し方のないことでしょう。しかしながらそれが作品の全面否定には即繋がるものではないと思われます。別段面白さが殺されている、極端にそがれているというわけでは決してないのですから。本作の面白さはあくまで技術に依存したものではなく、それに晒された人間の内面を描写して、苦悩と事件を描いていく類の話です。特に問題のガジェットが現実面との折り合いが付いていないことが大きな問題かと思いますが、その知識は未だ一般化されている類のものではないことですし、おそらくは気がつかれないでしょう。しかし、それはあくまで現段階に於いてのみです。時の流れによってはそうそうに風化する可能性のある風前の灯火であることは揺らぐことはありません。故に早めのご賞味、早めの読書をオススメしておきます。
この小説は作者にしては珍しくSFです。加えてサスペンスでもあるわけですが、後者がベースなのはいつも通りです。ただ、ちょっとストーリーが安易すぎる部分は否めません。まぁ、主眼がそこではないので標準作ってところですか。驚愕まではいかないでしょう。欲を言えばもうちょっとラストに話を継ぎ足してもよかったんじゃないかと思いますね。
しかしまぁ、こりゃ作品の全否定に繋がりかねない感想ですが、ちょっといくらなんでも話を膨らませるために無理矢理作ってないか?って所はあります。単にクローンであることぐらいで生命を脅かされたり、その情報を広められたからといって別段問題はなさそうなものですが・・・。研究者は学会から追放されかねない部分は勿論ありますが、被験者として成人していれば司法上の問題は何もありませんからねぇ・・・。クローンを作るためにクローンとして成長した人物の卵子を使用するというロジックは破綻してません?なんらかの信仰と大差ないと思うんですが。確立された技術の再現とかならまだわかるんですがね。この部分は瑕疵じゃないかなぁ。とはいえ、クローン体になにかの秘密情報が隠されているとかスパイ小説みたいな展開も相当に駄目っぽいですがw。
65点
作者のSFを体験してみるにはいいかもしれない。
なお、本書は『ドッペルゲンガー症候群』から大幅加筆、そして改題したものらしいです。

参考リンク

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ネタバレ

クローンについて本作では一体何がまずいのか?という情報
本書を読み終わった後にお読み下さい

















































































最近の研究では人胚性細胞こと通称ES細胞を用いたクローンに反対する立場を取っています。これは生命倫理、そして宗教上の問題であるわけですが、技術的にクローンを作ることは可能か否かでいうと可能でしょう。一応公ではエラリアンムーブメントという信仰宗教団体が成功させたとのたまっていますが、しっかりとした確証はなく、実際疑わしい所です。あくまで金集め、信者集めのパフォーマンスと考えるのが適当ではないでしょうかね。
クローンを作ることがいいことか、悪いことかはこの際問題ではないので置いておきます。
現在のクローン技術はまだまだ黎明期にあると思っていいでしょう。ですが、不完全ながらも両生類・は虫類・鳥類ではなくほ乳類のクローニングは可能です。世界的に有名になったドリーだけではなく、様々なクローン動物(ウマ、ヤギ、ウサギ、ブタ、ネコ、ラット等)が生まれていますが、今のところそのほとんどに何らかの障碍が発生することが確認されています。病気にかかりやすくなったり、後天的に持病のようなものを発症したり、細胞寿命を司るとされるテロメアの長さが元々短かったり等、本来の同種生物よりも寿命が短いこともほとんど例外がありません。これが本作における齟齬の一つです。主人公二人はその様な障碍は一切抱えていません。完全な技術における芸術品と言って佳いでしょう。ここは技術があれば恐らく何とかなる類の事柄ですから。
しかしながら、昨今わかり始めてきたことですがクローンは完全に外見が同一になることはないのです。外的要因によって外見は変容を受けます。食事一つとってみてもそれだけで随分違うようです。一卵性双生児は天然のクローンと言って佳いでしょうが、完全に同じではありません。しかし、似ていることは似ています。とはいえ、クローンで生み出された人物が生活環境が全く違うのに同じ容姿を持ちうるというのは現在ではほぼあり得ません。とはいえ未来にもほぼ有り得ないのです。何故ならば、ある程度の揺らぎが外見には作用しているようで遺伝的に継承する部分(髪・肌・瞳の色、耳垢の様子、一重まぶたか二重まぶた、直毛、あざ等)以外の変容は未知数だからです。
クローン=鏡を見るような同一人物を作る技術というのはSFで流布されることになった一種の欺瞞ですのでご注意を。ただし、まだ外見が同じには恐らくならない、といった情報は浸透していないと思うのでまだ安全ラインですかね。



































*1:探偵ガリレオ』98年に本になった。『分身』は93年に。