石持浅海 セリヌンティウスの舟

ASIN:4334076211

あらすじ

かつて石垣島でのダイビングで漂流を経験した、児島克之、吉川清美、三好保雄、大橋麻子、磯崎良治、米村美月の六人は一般的な生活では決して得られることのない一体感、連帯感を感じ、顔見知り程度だった人間関係も、月一でつるむほどのものになっていった。その日、伊豆半島まで潜りに行った後に三好の家で夕食兼飲み会になった。夜は更けゆき、六人は思い思いの時間に雑魚寝をし、酒宴はいつの間にかお開きになっていた。児島が起きたのは午前五時半、酷く喉が渇いていた。小用を終えて、渇きを潤すために手近なコップを濯ぎ、飲もうとしたのだが、身体はまだ完全に覚醒はしていなかったらしい。指から滑ったコップは倒れ、うつぶせに寝ている美月の腕に水がかかってしまった。ティッシュで拭いたのだが、美月の様子がおかしい。それもそのはず、美月は既に死んでいたのだった・・・。
美月が死んで今日で四十九日、六人から一人減った五人は再び三好の家に集まった。あの後警察の捜査の結果、美月はシアン化合物が胃酸と結びついての青酸ガス中毒で死んだことがわかった。美月のダイビングのログブックに書かれていた遺書のようなものにはこのような内容が書かれていた。
石垣島での経験でこれまでに感じたことのない一体感・連帯感を感じることが出来た。みんなにとってはこれが始まりなのかもしれない。でも私はこれでもう満足、いつ終わっても良いとそう思っていた。生還できたけれどもう私の一部はあの場所で死んでいたの」
五人は美月の死への願望を理解することとなったが、ここまで来て奇妙なことが残っていることに気がついた。警察の調べでは美月はシアン化合物を茶色の小ビンから直接飲んだことになっている。しかし、美月が寝ていた場所はエアコンだけでは空調が満足に出来ないことから扇風機が回っていた。シアン化合物は結晶状のものだったし、実際にどれだけの時間を経て死ぬものなのかもわからない。それなのにビンの蓋をきちんと閉めることが出来るかもわからない状態で果たして美月は死ぬだろうか?ほかの五人を巻き添えにしてまで。しかも結晶状態ということは実に飲みづらい。
美月が死んでしまった事実は変えることは出来ない。しかし、五人は美月が死ぬに際して協力者がいたのではないか?と考え始めていた。話は段々とその協力者捜しに進んでいくことになった・・・。

感想

石持浅海の本四冊目ですね。
石持浅海という作家は意外性と異界性の作家なのだと私は思う。意外性はミステリーで常に求められているので帰って普遍的なのだが、それに異界性が加わると実に変わった味わいの物語となったりする。通り一遍の殺人事件解決であっても巧みに独自色を出して外の作家との差別化を図ることも出来る。中々出来ることではないと思う。特にミステリーにおいてはネタの陳腐化が年々刻々と進行し、オリジナリティーを保つのは容易ではない。とはいえ好きか嫌いかという話は別問題だ。本書の作者に関しては今作で私の好悪の感情が振れたと思う。そう、嫌いになったのだ。論理が支配するという部分がどうとは言わない。むしろそこにたどり着いてしまう舞台の配置に隠れた意図が生理的に受け付けないのだ。
前回読んだ『水の迷宮』で感じた齟齬は大したことがないのだろうと私は高をくくっていたのだが、これが本質なのだとようやく気がつかされることになった。絵描きなどでもよく言うことだが、「自分の見たままに描く」という事がある。つまり、選美眼が通常人と異なっている事が一つのアクセントとなり、絵に何らかの情景以上のものを込めたり、普段気がつかないことの一側面を明らかにする一種の才能だ。才能ということで財産かもしれないが、これは一方で普通の感覚からずれているということでもあり、障害である場合もあると思う。
文章であっても同様で、本作においては「自殺した人物に協力者がいたのではないか?」という推理物ではちょっと考えにくい側面に向いている。普通もっと問いは単純だ。「誰それという人が殺された、犯行を行ったのは誰だ?」という類のものだ。自殺に見せかけるということはあったとしても、自殺した人物の幇助役が話の焦点を結ぶとは実に変わっている。
しかし、ここまではいいとしても作者は一つ忘れているのではないだろうか。風土宗教的なならいを。日本では死んだらみんな仏様(神)という土俗思想がある。そしてまた「死んだらお終い」であり、「死んでしまったら帰ってこない」なのだ。一部の人は「天国で会えるかもしれない」、そう思ってるかもしれないが実際不確かな話なので細い蜘蛛の糸の希望程度しかない。作品の舞台となるのは自殺した美月が死んで四十九日が終わった後で、仏教では一般に転生する日だ。殺されたならばまだしも美月がしたのは自殺なのだ。昔話に興じることはあったとしても、疑問を呈し場を荒げようとする事に対して不快感を持たない人物が五人の中で一人もいなかったとはとても思えない。親しくないなら兎も角、この五人は美月を含め生死の境を共にくぐり抜けた戦友のようなものだ。その上で言いよどんだり、発言をためらったりするだろうか?感情的な怒りに突き動かされて反論する人物が何故一人もいないのだろう。そもそもそんな話をしても自殺は確定なのであり、殺人には成り得ない。そして犠牲者は帰っては来ない。そう「不毛」きわまりない話なのだ。題材は斬新かもしれないが心情的に得心いかない。そんな作品のように思った。
まぁ、ミステリとしては推理というより、一種のディベート合戦ですな。
今まで作者の弱点だと思っていた部分は改善というより修復されたように思う。それは何かというとキャラクターの名前の取扱である。どうにも付帯する背景と名前が一致しないことが今まではあった。可及的速やかに登場する人物達が個人的には多すぎたようなのだ。しかし、多くても安心な手法に作者は気がついたようだ。それはキャラクターの記号化、つまり愛称・ニックネームの導入だ。これによって非常に読みやすくなったように思う。わざわざ始めの方まで戻ってキャラクターの名前を捜す手間も省けるというものだ。一方で新たな特色も発見した。これは特色なのか、はたまた「弱点」となりうるのかは人によると思うのだが、「登場キャラクターの感情の揺らぎが小さい」事だ。みんな一様に達観しているように思う。感情が決して無いわけではないが、あまりその手触りを愉しむことは出来ない。これについては私はそれを求めるために読んでいるような物なので「弱点」たり得る。天真爛漫キャラでも登場させてみることを薦めてみたいが、そうすると作品に通底する硬質な特色が消えちゃうしなぁ・・・。難しい部分ではある。
55点
単に好悪でついている点なので、作品そのものの完成度は決して低くないことを明示しておきますが、やっぱり気持ち悪いことは気持ち悪い。

そういえば未だに作者はシリーズものに手を出してないね。もう六作も描いてるからそろそろやり出しても良いんじゃないかな。イメージがつくのが嫌とかいう事で一期一会精神でやってるとかあるのかもしれないけど、シリーズだと収入の安定もするだろうし・・・。もしかしたら編集サイドで企画がとめられてるだけなのかもしれないけどね。

参考リンク