ジュード・フィッシャー エルダ 混沌の<市> (上・下)

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あらすじ

この世界はエルダという。この世界には二つの国がある。仇敵同士のイストリアとイーラだ。つい二三十年前まで戦争をしていた仲だが、現在ではそれをぐっと腹に押し込めて建設的な交易関係を築いていた。年一度の大バザール、<統一市>がイストリアの地ムーンフェル平原で開かれようとする時期にイーラの一行も彼の地へ向かっていた。
イーラ人はかつてこの地の盟主だったのだが、イストリアとの長き戦争の果てに北の辺境の島々へと追いやられてしまった。
イーラ人側の主人公はロックフォール一族のカトラ・アランセン。彼女はイーラの女性としても活発な方で、刀剣鍛冶と金属細工に長けた職人なのだが今回初めて<統一市>に参加することになった。彼女はきかん気の持ち主でもあり、また大岩を見ると登らずには居られない性情の持ち主だった。このムーンフェル平原にはイストリア側では「ファラ*1の岩」、イーラ側では「スール*2の城」と呼ばれる岩の丘があるのだが、ムーンフェル平原に着いた翌日の早朝、後先を考えずに彼女はこれに登ってしまう。元はイーラ側の神話に出てくる物であったのだが、イストリアに征服されて以来女性が登ることを禁じられており、女性が登ったら火あぶりにされるという禁忌の聖域となっていた。そんなことは知らないカトラはそれを咎めるイストリア帝国議会の名物議長双子のディストラ兄弟から逃れる時に面倒なことになったぐらいの事しか考えなかった。それが致命的に近い災厄を生むのはほんの数日しかかからなかった。
イストリア側の主人公はヴィンゴ家の次男サロ・ヴィンゴ。彼は兄のタント・ヴィンゴと常に比較されながら育ち、甘やかされまくったタントのいい気晴らし相手という地位に甘んじていた。肉体的な強壮さと強靱さ、それに甘いマスクを手にしているタントは一族から甘やかされ誇りであるのに比べて、サロは特に何か取り柄があったというわけでもないので仕方がない物と諦めていた。そんな彼も生まれて初めての統一市だった。前日サロの好みではない酒宴に強制参加させられて毒気を抜くためにも朝起きをしたのだった。そこで目にしたのは「ファラの岩」に人が登っているという光景で、その人物は挑発するように誰何する声に自身の髪を手で持ち自身の性別を誇示していた。そう、女だったのだ。イストリアでは女性は保護される存在であり、衆人環視の中では自身の手と口以外の箇所を覗かせることはしない。同性同士ならばまだしもあのように破廉恥な格好で居ることはファラへの冒涜でもあった。しかし、サロの予備知識ではイーラ人の女は非常に見目美しいものだと伝えられており、彼のよき視力の目で見た限りそれに偽りはなかった。破天荒で野蛮ですらある格好だったが、長身に映える赤髪と陽光に輝くその顔は彼の心をぐっと掴んだ。放心が極まり膝を落として再び見上げるとそこにはすでに誰も居なかった。彼はその娘と再び出会うことになる、仇敵として。

感想

ジュード・フィッシャーの本初読みですな。この本は珍しくカバーイラスト買いをした本です。参考リンクの絵を見て貰えれば分かるとおりイラストの書き手が沙村広明さんというわけで買ったのです。早川もSF三大巨頭あたりに関しては古い装丁でいいとは思うんですが、そろそろ時流にあった装丁のイラスト作りを心がけていって欲しい物です。萌えに走らず、硬派で写実的なイラストなら誰も文句いわないでしょうしね。新潮文庫的な芸術なんだか古典的イラストレータ*3の手を踏襲するとかじゃあ無ければそれほど強くいうつもりはないんですが、漫画大国ですから上手い人はゴロゴロ居るわけですし、そっちに目を向け始めた方が売り上げ伸びると思うんですがね。
さて、筆者の名前は全くもって聞いたことがない人物です。もしかしたら知っている人もいるかも知れませんが、その人は相当のファンタジーマニアですな。でも、一般にはほぼ聞き覚えがないってのに間違いはないはずです。元々この人は編集者ですし、この本がファンタジーの著作としては処女作ということになりますしね。一応ノンフィクションでは先に本を出しているようですが、別ペンネームらしいので割愛しておきます。著者は名前からすると明らかに男性なんですが、これペンネームで本名はジェーン・ジョンソンで女性なんです。大学で英文学を学んでいる最中に『指輪物語』に嵌ってしまい、のちの人生を持ち崩す事になりましたw。彼女の生まれは英国のコンウォール州で、『指輪物語』の元となったアーサー王伝説の様々な伝承が残る地であったのがそもそもの要因でしょうね。でキャリアを投げ打って入った会社が『指輪物語』の出版社なわけでマニア魂筋金入り。
じゃあそろそろ本編にいきましょうか。本書は≪Fool's Gold≫三部作の一作目≪Sorcery Rising≫が原本です。シリーズ名の≪Fool's Gold≫は直訳すると「愚者の金」ですが、向こうの慣用句だと「黄鉄鉱」を意味する言葉でもあります。「黄鉄鋼」とは鉄と硫黄の化合物で淡黄色で金属光沢があるところから金に似ているわけです。この場合むしろ偽の金と言った方が佳いのかもしれません。何故この言葉がシリーズ名に据えられたのか、それは本書の下巻を半分も読めば分かることでしょう。ばらしても佳いぐらいの事柄なんですがとりあえず据え置いておきます。もう一方の≪Sorcery Rising≫ですがこちらは腹蔵無く「魔法の復活」でいいでしょう。三部作の一作目ですからこの上下に分かれた二冊の本ではまだまだ序章に過ぎません。この世界は中世あたりの文化レベルで剣と魔法の世界でしたが、魔法が何らかの要因によって封じ込められたという状態でした。この本ではまさに「魔法の復活」が起きている世界の変革を描いています。やはり、中世と同じで魔女狩りすら行われたようですが、極一部ではその魔法は秘められ隠棲した賢者によって細々と繋がれてもいました。あらすじ部分では割愛しましたが、本書の冒頭は極北の地で封じられたはずの魔法を使う者とその従者の話が出ています。従者は狂気に陥って見える師の姿を見てこの世から消え去ろうとしている智慧を守るため、深い眠りに落とす薬を使って逃亡を図ります。数年放浪した後彼は舞台となる<統一市>に姿を現すのです。彼は何故師を殺さなかったかというと、彼は人を殺すという事を禁忌として精神にすり込まれているため師を殺すことが出来なかったわけです。しかしながら、恐怖の源をなんとしても消した去りたい彼は≪聖域≫と呼ばれる彼らが住んだ地に人をやり殺して貰おうと思い、財宝の話を折り込みながらその地へ赴かんとする冒険心溢れた人物を捜していました。彼の行為と目的はこの<統一市>で一つの形になるんですが、その為に色々な出来事が起こるわけです。恐らくこの魔法使いとその従者の話が確信に向かうんでしょうね。
一般論としてFT(ファンタジー)とSFは一期一会の要素が強いと思うんですよ。その世界観はシェアードワールドにするか、作者が規定しない限り、一作一作別物ですから。故にその世界にとけ込むまで時間がかかるのが読者にとっては難点だと思うんですが、上手く馴染めたならば極上の愉悦を味わえるのが癖になるんですよね。フィクションであると言うことが大前提にあるので構築される世界はどこか似通っていたり、現実に近くても千差万別なわけです。翻って本書ですが、本書は上巻の200ページ付近までかなりダラダラしてます。恐らくそのあたりまでが苦痛でしょうね。一体この本は本当に面白いのだろうか?と自問自答が続くでしょう。段々と慣れてくるとほどほどに面白いのは確かですが、スピード感はそれほどないです。しかも下巻の300ページあたりからはまた冒頭のダラダラに近い内容が続いて話が続くという事を肌で感じさせてくれるでしょう。つまり、三部作という事を筆者は念頭に置いて書いているようなので、この上下二冊の一作目だけでは到底FTに疎い人では満足似たる内容ではないと感じました。『指輪物語』(ロード・オブ・ザ・リング)でFTに興味を持った人などに勧める本では決してないと私は思いますね。まだ二作目・三作目は和訳が出てないようですが、洋書の方は出てから随分経っているようです。完成度という面ではそれらを読み切ってから答えを出すのが一番でしょう。ただ、この巻を読むに冗長な場面を等分に描きすぎだなという雑感は憶えましたね。省略できるところを省略せずに描いているのでスピード感が殺されてしまっています。作者は元々古アイルランド・サガなどが専門の人なので、その知識を生かす為にそれに近い世界の説明を地の文でも平気でするし、会話文でも登場します。作者が読者に世界を伝えるという事に熱心なのは確かなんですが、それが話の勢いを殺しているのもまた明白なんです。物語ると共に世界の構築すら行おうと同時進行しようと横車を押しているのでしょうがないですねぇ。そのあたりで愉しもうと思うならばアイルランドというより北欧神話の基礎的な知識は得ていた方が無難でしょうかね。例えば本書に登場するイーラの人々は北欧のバイキングそのものですし、それに対応するイストリアはイングランドでしょう。そしてさすらい人はアイルランド人あたりですかね。このあたりの理解がないとそもそも辛いでしょう。だって別に血肉わき躍る戦乱の話ではないし、剣と魔法の冒険譚というのにもちょっと違う。多分女性特有の感性からくる変形『ロミオとジュリエット』物というのが基本になっているけれど、上巻だけでは全然そのストーリーが進展しないし、なれそめまで再会まで時間がかかりすぎです。正直これだとかなりアンバランスなのも確か。筆致は丁寧なだけに勿体ないですね。もっとすっきりした形になっていればまた評価も違ったでしょう。
主人公の人となりはそれぞれイライラさせられますね。トラブルメーカーのツンデレ娘と無気力なボンボン。何とかならなかったのかなぁ。魔法が出てきて漸くまともになったかと思いきや終わりだしなぁ。
60点
とは言え、続刊読まないとかなり気持ちが悪いので早く出て欲しいところ。
そういえば上巻の表紙はエルダだとして、下巻はどう見てもサロじゃあない。多分エルノなんだろうけど・・・年取り過ぎじゃないかな。アランの可能性もあるんだけど、アランの髪の色はブロンドじゃなくて黒系統のはずだし。
蛇足:横文字の名前なんかおぼえらんねぇYOっていう感想を発見。人物一覧表がないから商品として落第じゃーという評価は信じられない星一つ。馬鹿じゃないのかとか思った。まぁ確かに相当数人物出てくるけどそれぞれ特徴出てるから名前とその背景が一致しないキャラクターってイストリアの貴族ぐらいなもんでしょう。
追記:この世界は実に変。方位の北と南が逆転している。上下左右でいうと上が南、下が北、左が西で右が東というへんな地図が書かれている。しっかし、こりゃあどんな冗談なんだかさっぱりわからん。

参考リンク

エルダ混沌の“市”〈上〉
ジュード フィッシャー Jude Fisher 金子 司
早川書房 (2005/07)
売り上げランキング: 31,260

エルダ混沌の“市”〈下〉
ジュード フィッシャー Jude Fisher 金子 司
早川書房 (2005/07)
売り上げランキング: 26,845

*1:イストリア帝国側の神で嫉妬深い大地母神型女神であるようだ

*2:イーラ側の神で月より来訪したとされる渡来神型の男神

*3:星新一とかのイラストなんかが例としては佳いかもしれない