恩田陸 夜のピクニック

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あらすじ

北高には年に一度変わった行事があった。一年生から三年生の全校生徒が朝の八時から翌朝の八時まで夜通し80kmを歩ききる北高鍛錬歩行祭、通称夜間歩行というものだ。1時間に10分程度の休みを入れつつ、前半はクラスごとに隊列を組んで、後半は自由歩行という形でスピードを競ったりもする。前半と後半の中休みにはきちんと睡眠を二時間取るような形にもなっていた。なにしろ一日中歩き続けるのだから二時間でも休みを入れなければ倒れてしまいかねない。一部運動部では後半部分の着順を競ったりもしているのだが、一般生徒はそんなことよりただ完走する方が重要だし、むしろ一種異常な状況での連帯感を愉しみながら学友と四方山話をする良い機会でもあった。肉体の極限に挑むというこの行事は元々修学旅行の代わりに始まったらしい。昔関西へ修学旅行に行った時地元の高校生ともめたという事件があったらしいとまことしやかな噂が流れるだけだ。だが、事実であろうとそうでなかろうと修学旅行がなくなったのは事実だし、なくなった修学旅行は復活しなかった。代わりにねじ込まれた歩行祭はこの地へ根付いてしまったのだから。初めは一年生で参加して、なんとまぁくだらない行事だと思った人も多い事だろうが、この特殊状況で人と人との結びつきは実に堅固な物になる。時はすすみ二年生を経験して、受験戦争まっただ中に放り出される三年生はこれが高校時代の最期の思いで作りになるのだ。故に眠りから醒めた後半部分では好きな者同士がくだらない話をしながらゴールに向かって歩くわけだが、時間を考えるとこの疲労が溜まっている状態にもかかわらず多少走る必要が出てくる。スタートダッシュをして距離を稼いでおかないと規定時間内にゴールにたどり着くことすら難しい。中には無理がたたってと救護バスに乗せられる生徒も出てくる。高校生活の記念行事の最期の最期に友との語らいをなくすというのは実に厳しく寂しい物だ。
西脇融(とおる)はこの三年最期のイベントを誰と一緒に走るか迷っていた。親友の戸田忍と走るか、それとも気のあったテニス部の連中と走るか、高校生活を締めくくるには最期としてはふさわしい難問だった。彼は子供の頃から早く独り立ちしたいと考え続けてきた人物だった。それはすべて彼の父親に起因する事柄だといえる。彼の父は融の母親とは別に女がいた。後にばれて一切の接触を断ち、養育費に関しても向こうは受け取らなかった。これですべてが解決したはずだったが、父と母の冷えた関係は修復不能で会話のない家庭は圧倒的なゆがみを生んだ。そして父はその精神的重圧から胃ガンに罹りあっという間に死んだ。融は現在高校に通うにも親戚に頼っている。母や親戚に迷惑をかけずに自分一人で社会に立ちたい、それは融の現在の最大の願いだった。
そんな融が高校進学の時に受けた衝撃は大きかった。北高は県内の進学校なのだが、その同じ学校を異母妹が受けていた。一年二年とクラスは違ったのだが、この三年のクラス替えの衝撃はどうしようもなかった、同じクラスだったのだから。
甲田貴子も衝撃は同じだった。西脇融とは彼女自身が一度もあったことのない父親が同じであると言うことと、父親の葬儀で彼女を殺すような殺気の籠もった目でにらみつけられた事、これがすべてだった。同じ学年の異母兄弟だと言うことは二人には自明でも一切誰にも話さずに来たし、三年で同じクラスになるまで一言も口をきいたことすらない。
二人には深い深い溝があった。だが、貴子は一つの賭をしていた。「融と口をきく」ただそれだけのことを。

感想

恩田陸はこれで五作目ですね。またまた投げっぱなしジャーマンで山無しオチ無し意味無しでくるのかと予想してましたけどはずれました。佳い意味で外れればよかったんですけど、単にはずれたというとこですかね。
今回はまごうことなく青春小説なんですが、どうにも甘い、甘すぎる。紅茶一杯、コーヒー一杯に砂糖を100グラム突っ込んだぐらい甘いわけですよ、この話は。心の薄暗い闇の部分をつつき回した挙げ句に出た答えが和解ですか。若い故に和解?柔軟だから和解?むしろ多感な時期だからこそ意固地になり繋がりが断絶し、空回りを演じる方が妥当なのではないかと思わざるをえません。
確かに肉体的に疲れ、精神的疲労もピークに達して感情のわだかまり緩解するのも分かるんですが、別に酒が入っているわけでもない。ナチュラルハイって奴も考えられるけれどもそれもこの状況下ならちょっと違うでしょう。痛みは冷静さを失わせるけれど確固とした意思はよりはっきりする。これで彼は変わったのか、成長したのか、後ろ暗い思いを振り払ったのか。否!否!否!断じて否!!それは違う。昏い確固たる殺意が存在した関係は確かに存在していた。それが近親憎悪というものだったとしても、緩解に向けては相互の歩み寄りというより片方の歩み寄りがこの場合は適当だろう。おまけに秘匿していた恥部はばらされている。大人になりたい、早く独り立ちをしたいと希う青年になりかけのこの少年は果たしてこの状況下でどのような対応をするだろう。非は少年にはない、むしろ少女側にある。まわりがどう思おうと後数ヶ月の繋がりしかない連中だと言うことは事実であるし、強いて交わる必要もかき消える。彼が心から望むのはただ独立であり、この場はあくまでその過程に過ぎない。彼の親友でもある忍には悪いが、自らの恥部をさらけ出す気にはなれないは理解の範疇内だ。むしろ部外者には強いて知らせたくない事柄であるのも確かだし、親しい仲でも礼儀ありって奴でもある。
結果選択は彼に委ねられた。そして少年は敗北したのだ。悪意という名の罪悪を積ませるという少女へのささやかな復讐を放棄して逃げたのだ。人は楽な道を選ぶよう出来ている。これはそんな話だ。けっしてお気楽極楽に「八方丸く収まってよかったね」って話ではない。話の元になっている鍛錬歩行祭は歩みであり、人生だ。彼は傷つきながらも歩みを止めずにゴールまで届くことは出来た。だが、その引き替えに何か大切な部分を売り渡すことになってしまった。罪悪感や自身の卑小さを省みる事が出来るのは一つの才能だが、行きすぎれば自虐的なだけで何かを成そうとするならば、ある程度看過すべき事柄でもある。よくいうだろう「やさしい」というのはそれだけでは意味がないと。恋愛ではそのフレーズがありふれてさえいる。漠然と「やさしい」だけでは薄弱なだけ。彼は自身の内面との折り合いが付かなくなったというわけだ。そして認めてしまった、彼女が家族だと、そして自分が敗者だと。
それに引き替え彼女は賭に勝ったことで自身の出生に関する後ろ暗い事実を正当化することが出来るようになった。勝者は敗者から自信を手にした。これは明暗を分ける分水嶺の勝負だったわけだ。少女の勝ちはでかい。
だが、それがどうかしたのか?
一般にはもっとすっきりした近親憎悪の緩解と和解のすがすがしい小説と見るのが普通なのだろうが、最終的に実がない。それに彼女はまだもう一つの賭には勝っていない。内通者を手にしたのだからそれも時間の問題なのだろうが、こんなに簡単になんの衒いもなく解決して佳いものだろうか?人の闇はそんなにも薄っぺらい物なのか?そこに疑問が残る。父の死の原因と母の不幸、そして経済的な困窮が生んだ負の感情がこんな形で簡単になくなって佳いものなんだろうか?作者は昏い感情を描ききることが出来ていない、それは確かだ。
あとはまぁ、及第点か。いくつかの伏線と友人達の暗躍などは可愛いぐらいの物だ。ミステリというより文芸作品だなこりゃ。しっかし文芸となると若者を表す表現力は誰も彼も月並みだねぇ。いったいどこの田舎の高校生なんだか・・・。漫画とかをもっと勉強したりしてほしいなぁ、言葉の専門家なんだから。それに設定もちょっと奇抜すぎる。しかもそれがほとんど生きていないという無駄の多さ。加えて完璧超人ばっかりってのはどうよ。
男性向けではなく女性向け、且つ青春小説好きじゃないとこれは向かないと思う。どことなく少女漫画っぽいしね。故に私には向かなかった。未来に憧れる人向けかな。
70点
もっとビターならねぇ。
追記:第二回本屋大賞受賞作。

参考リンク

夜のピクニック
夜のピクニック
posted with amazlet on 05.11.19
恩田 陸
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