殊能将之 美濃牛

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あらすじ

フリーライターの天瀬啓介はVXI誌の編集長から持ち込みの企画をやらないか?と誘われる。とはいえ、編集長はどう見ても乗り気ではなかった。天瀬は日銭に事欠くというほどではなかったのだが、編集長の暗にお前の他にも代わりはいくらでも居るんだという暗示に危機感を憶えカメラマンの町田と共に受諾した。
取材先は岐阜県暮枝村*1という場所で案内をする人物というか、企画を持ち込んだ石動戯作という男と同行することになった。なんでも暮枝村には亀恩洞という洞窟があり、そこの奥にある泉に身を浸すことで末期癌が治ったとかいう話があるらしい。なんとも眉唾なオカルト話だ。
その体験者である倉内高子という女性のうさんくさい話を一通り聞いた後、現地へ向かうことになった。ここで判明したのだが、石動という男は編集関係の人間ではないとのことだ。しょっちゅう彼の口から出る先輩なる人物がアセンズ建設という大手ゼネコンに勤めておりそのつてで上げる提灯記事というのがこの取材の骨子のようだった。なにしろその奇跡の泉をメインにリゾート開発に乗り出しているというのだから。
基本情報も与えられないまま、着いた先で早速取材が始まる。石動の話によると亀恩洞はこの地の大地主である羅堂一族の持ち主なのだそうだ。この地にいるのは一族の長である陣一郎、その長男真一、真一の息子の哲史、娘の窓音である。陣一郎氏には他に二人の息子がいるらしいが、次男が大阪と名古屋の土地を管理し、三男は個人病院を開いているらしい。どちらもこの暮枝村にはいない。
実質的にこの地を仕切っているのは真一なのだそうだが、亀恩洞を解放することにもリゾート開発にも反対なのだという。彼は自分の一生の仕事と決めた牛の肥育にかけているため、それの妨げにしかならない物はことごとく捨て置いたのだ。結局、肝心の亀恩洞は閉鎖されたままだし、中を見ることも叶わなかった。おまけに真一の養畜を義理で取材する必要まで出てきた。まったく山野を駆けめぐるわ、牛を褒めにゃならんしさんざんな仕事だった。勿論数日で帰るつもりだったのだが、不可抗力で足止めをされることになった。殺人事件が起きたのだ。首を切断された死体は、亀恩洞のすぐ側にあった。前日から行方不明になっていた真一の息子の哲史と確認されるまで大した時間はかからなかった。

感想

殊能将之二冊目ですね。デビュー作の『ハサミ男』と引き比べて賛否両論の本書です。
中々変わった趣向の本ですなぁ。初っぱなから引用引用引用とこれでもか!と繰り返される引用。兎に角引用を載せたいが為に一つの段がごく短くなってます。よくもまぁこれだけの資料から適切に文章を引っ張ってこれるもんだなあと感心するぐらいです。それだけに留まらず加えて文章中にも引用がかなり出てきますね。コール・ポーターとか古文諸々。一言で云って圧倒されますが、問題は作品に寄与しているのか否かでしょうね。正直に言えば、そんなに寄与してはいないようです。むしろその段の説明を軽くするために引用を用いているような節があります。でも引用をしたいが為に段の内容量が数ページとかざらなので物語の流れが目茶苦茶ぶつぶつ切れます。
なお、プロローグの冒頭に書かれている引用について卓見の考察をしている人が居たのでプロローグに関しては必然性があったようです。プロローグの冒頭、北村透谷の『我牢獄』が記されているわけですが、北村透谷は『我牢獄』を書いた翌年に精神に異常をきたして首を吊り自殺したそうな。主人公をどこか彷彿とさせますねぇ。狙ってやったのかはたまた偶然なのかは分かりかねますが、趣深いことは確かですな。
ではネタ検分に向かいましょうか。まず、美濃牛をミノタウロスに例えたことでミノス王・テーセウス・アリアドネーの三人は確定ですな、ギリシア神話から。てー事は迷宮とアリアドネーの糸も当然ありますよって事です。更に物語のガジェットは横溝作品から持ってきているようですね。『八つ墓村』に『獄門島』、『悪魔の手鞠唄』、そして『犬神家の一族』。これらの作品に見られる雰囲気もどうやら借用したようですな。そこに付け足すように同性愛という物を含んでいるので、どうやら乱歩もくっついているようです。とはいえ語りは乱歩のような粘りけのある物ではなく横溝正史っぽい感じではあります。ここまで来ればある意味露骨なわけですが、探偵小説なんですよね。でも作者、単なる探偵小説に落ち着かないんですわ。様々な人の意見を読むと「オードソックス」とか「探偵小説にありがちな設定」とかいうのが結構散見されましたが、私にはそうとは思えませんでした。この小説は「探偵小説」でもあり且つ、「アンチ探偵小説」でもあり得る作品だと思えたのです。ええ、確かに現代版クラッシックミステリーであるのは確かなんですが、作中探偵役を非難する数々の言葉はそれを裏付けているように感じます。ある意味逆説ですがね。かといって探偵が推理においてノックス十戒やらヴァン・ダインの二十則を破っているわけではないので厳密にはそうともいいかねる部分もあります。ですが、推理小説であるのは確かなのに、超自然の事柄を盛り込むのはフェアかアンフェアかという点ではフェアとは云いかねますよね。でもややこしい事に超自然を絡めるのは嫌いじゃないんですよ、私は。謎は解かれるためだけではなく、想像力(妄想とも云う)を膨らます役にも立つわけで、一概に説明できない現象を幻だと決めつけたり、有り得ないからないと言い切ってしまうのは勿体なく思うんですよね。まぁ、だからといって「アンチ探偵小説」だというのは言い過ぎだと思われるでしょうけど、一つ思い出して貰いたい。そう、逆説なんですよ。こうなってくると表か裏か、裏か表かという二元論に落ち着いてしまうので、更にその中間を適度に書き記してもあったりして、中々ににくい趣向になってます。
こう書いてみるとすばらしい作品のような気もしてきますが、多分違いますw。確かにネタを大量に仕入れて大量に捌いてるのは凄いことなんですが、どうにも文章がかったるい。三人称で語られる本書では事件にはいるまでダラダラしてるし、殺される予測の立ちそうなキャラクターはすべからくやられちゃうまで間抜けに放置されちゃうし、どこか締まってないんですよね。キャラクターに感情移入もしにくいし、探偵役がそれっぽいことをしてそうなんだけど本当にこいつは探偵なのか?という疑念も振り払えないし、確定条項が曖昧なんですよね。なので安心して読むという事は出来かねます。主要人物の人となりでは好みのキャラクターだと出羽と藍下村長ですかね。実に愛すべきキャラクターであるのは確かです。残念ながら本筋とはあまり関係がないキャラなのが悔やまれます。
というか、主人公と探偵役が微妙すぎるのでそこら辺が何とかならないかなぁとか思った次第。アメリカのクラッシックポップスヲタクとか正直興味ないわ。ジャズならまだ分かるんだけどねぇ。
とはいえ、3/4あたりまでかなりダラダラしているものの、残りの1/4が内容濃いめになってます。謎の解法に本筋に関係のない謎の付加。で最終的な読後感はそんなに悪くないのです。ある意味でミステリーの元祖であるホラーへの回帰を果たしていると言えます。その上で人に勧められるか?ってことになるとちょっと微妙ですかねぇ。とはいえかなり妄想が楽しめたので個人的には満足。
70点。
人にあまり勧められないと思うのでこの点数。個人的には+10点してもいいとは思うがね。

参考リンク

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ネタバレ

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かなり妄想入りまくりです。











































































































随分変な話なんですが、この話を読んで絶対に不思議な部分があるのに、それに言及されてないんですよね。
まずは天瀬の出会った存在はなんだったのか?合理的に答えるならば、幻聴なんでしょうがね。天瀬だけに聞こえたとするならば幻聴とするのは確かにあたっているかも知れませんね。
二つめは天瀬と窓音。窓音はプロポーズを受けたとされてますが、本文では書かれてないんです。ただ、天瀬が「心配した」ってのを窓音に繰り返しているに過ぎません。これで普通の人はプロポーズだと受け取る物でしょうかね?
ここに更にいくつかの推測をくっつけると面白いことになりそうです。
迷路とアリアドネの糸はそれぞれ二つあると考えられます。迷路は亀恩洞と窓音を表し、糸は亀恩洞の歌と美濃牛の声であると考えられるでしょう。テーセウスは第一章の冒頭の部分で、普通の男だとされていますが、英雄でないという点で見ると、テーセウスを石動と天瀬と考えるのが自然です。ミノス王は恐らく四兄弟にあたるでしょう。
ここからは完全に的はずれな可能性もあるんですが、とりあえず書いておきます。
美濃牛だかミノタウロスだかという存在はこの見立ての上では丁度あたる人物が一人しかいないんですよ。窓音ですね。窓音が異能の能力を持っていて殺し合いをさせたというのは穿ちすぎですかね。でもただ一人の生き残りになった、血が好きである、女であるという点が気になるんですよ。鬼がしきりに「闘え」と言いますね。これをそのままとらずに「性行為」と考えるとか、倒すというのを「押し倒す」ととるとか、剣を「男性自身」と考えるとか、血から「出産」または「処女を失った事による出血」と考えたり出来なくもないかなぁーとか思ったりしたわけですよ。ええ、妄想ですw。で、鬼の声が窓音の声であると仮定して推し進めると、闘う必要がある=敵、闘いを回避する=味方と更に妄想することが可能になるわけですね。そうすると窓音は天瀬を身内として見ることにやぶさかではなくなるのではないかなぁ、と果てしない妄想を繰り広げたりするわけです。だって羅堂一族は赤髪が一族の印で、鬼を退治したという伝説と言うよりは鬼の眷属であるというように考えた方が自然なんですもの。あくまでも鬼の声によると「不死」であるらしいですから。
そういえば、この本の内容を『白鯨』と対比する事考えた人が居たみたいですが、確かに似てますよね。ただ、天瀬は生き残りのキャラクターとしても、エイハブ船長は不在ですなぁ・・・。真一にしてもしっくり来ないし、鋤屋和人も違うか。石動が案内役だから石動かというとこれも違うような・・・。似てるっちゃ似てるけど、そこまでぴったりではないわな。でも恐怖の存在とそれと立ち向かい破れる話であるのは確か。

どうでも佳いことですが、ディダクティブってディティクティブに音が似てますよね。音と意味が似通う珍しい例のような。
ここで提唱、この探偵シリーズはこの方向からするとオカルトミステリーなのではないか?オカルトミステリーというと京極堂が同列に来そうですな。

*1:もちろんそんな村は存在しない