アガサ・クリスティ そして誰もいなくなった

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あらすじ

アメリカ人の実業家が払い下げた孤島インディアン島。買った人物はようとして知れず、ゴシップ誌の紙面を飾るほどだ。そこに十人の人間が集うことになる。
高名な元判事ローレンス・ウォーグレイヴ、家庭教師を生業とする若き女性ヴェラ・クイソーン、元陸軍軍人で食い詰め者のフィリップ・ロンバード、信仰心の厚い頑固な老婦人エミリー・ブレント、退役して今は悠々自適の元将軍マカーサー、医師としてそれなりの名声を得ている男アームストロング、車を飛ばすことが生き甲斐の遊び人アンソニー(トニー)・マーストン、悪い噂のある元警部のブロア。この八人が着いたのはインディアン島を少し歩いたところにある四角い近代的な建物だった。そこで最後の二人使用人のロジャース夫妻が出迎えたのだった。
ロジャース夫妻は仲介所を介して雇われており、今までの所雇い主であるオーウェン夫妻には一目たりとも会ってはいないのだそうだ。その他の八人も手紙や伝法で呼び出された格好で、誰が自分を呼んだのか?という問いに答えは出なかった。あるものは友人が居るからと誘われ、昔であった人物から誘われたりと間接的に呼び出されたような者が多かった。訝しく思いながら八人は散会し、それぞれの部屋に散っていった。使用人夫妻は勿論客の為の世話をしていた。それぞれの部屋にはクロームの額縁に入った羊皮紙が飾られていた。マザーグースに出てくるインディアンの少年の歌だった。そこにはこう書かれていた。

十人のインディアンの少年が食事に出かけた
一人が咽喉をつまらせて、九人になった

九人のインディアンの少年が遅くまで起きていた
一人が寝過ごして、八人になった

八人のインディアンの少年がデヴァンを旅していた
一人がそこに残って、七人になった

七人のインディアンの少年が薪を割っていた
一人が自分を真っ二つに割って、六人になった

六人のインディアンの少年が蜂の巣をいたずらしていた
蜂が一人を刺して、五人になった

五人のインディアンの少年が法律に夢中になった
一人が大法院に入って、四人になった

四人のインディアンの少年が海に出かけた
一人が薫製のにしんにのまれ、三人になった

三人のインディアンの少年が動物園を歩いていた
大熊が一人を抱きしめ、二人になった

二人のインディアンの少年が日向に坐った
一人が日に焼かれて、一人になった

一人のインディアンの少年が後に残された
彼が首をくくり、後には誰もいなくなった

それぞれはそれに全く気をとめなかった。そして晩餐の最中、唐突にその中にいない誰かの声を十人は聞いた。それは十人のそれぞれの罪を告発する物であった。結局その声は使用人のロジャースが手紙で言付けられたレコードに吹き込まれていたのだった。そのレコードには白鳥の湖と記されており、てっきりBGMとしての物だと思っていたのだそうだ。それぞれが自信にかけられた容疑に反発し、誰が自分たちを呼んだのか再び口に上った。そこで登場したのがUlick Norman Owenという人名で、クリスチャンネームもUna Nancyだった。そこでウォーグレイヴは頭を働かせ一つの結論に達する。どちらもU.N.Owen、つまりはUnKnown(どこの誰とも分からぬ者)だというわけだ。その後十人はそれぞれの嫌疑について反論を試みた。アンソニー・マーストンがウィスキーを煽って死んだのはその衆人環視の中だった。果たして彼の死は自殺なのか他殺なのか?そしてマザーグースの歌に載せられた詩は完成してしまうのだろうか?

感想

初読みアガサ・クリスティです。ミステリーの大家として燦然と輝くきら星の一人ですが、合うかどうかは別ですな。
読み終わって始めの感想としては、なるほど綾辻行人の『十角館の殺人』はこれをベースに書いているんだなという事ですかね。流石にトリックをパクっているわけじゃないんですけど、あらかじめ本書を読んだ後に読んだ方が楽しめる本ではありますね。偉大な作品にはパロディがつきものって言いますけど、果てさてどれだけの作品にパロられている事やら見当も付きませんな。ま、なんにせよ「嵐の孤島」物の原型ですな。
それにつけても、ネタバレが頻出する古典中の古典だけに解答編までが退屈でした。一体いつトリックのネタバレを知ったのかは憶えてませんが、先の読める展開が延々続くので仕方ないですね。
ググってみると絶賛する声は沢山ありましたが、そこまでの物は感じませんでしたね。オリジナリティという物は時代を経るに従って感じにくくなる物ですし、その亜流をあらかじめ読んでいると濃度の強弱程度にしか感じませんし、そも本書には文体になんら好感を持たなかったので仕方がないんだと思います。例えば導入部は唐突に8人ないし9人も登場させて読者がすんなりと入って行きにくいと言うのはありますね。名前と職業、性別が一致するのがすぐというわけには行かないでしょう。それにモノローグもしばしば登場しますが、前時代的で作為的ですな。文章の世界では良くあることですが、だ、である調で独り言をぶつぶつ呟く人物なんてリアルではお目にかかったこと無いですよ、気持ち悪い。それに古くさいのは何でもかんでもキチガイキチガイ言ってればいいっていうあたりですかね。「殺人=キチガイ」とか乱歩はここら辺に感銘受けちゃったのかなぁ。殺人芸術とか乱歩好きそうだもんなぁ。
それはさておき、えらい気になったことがあります。早川のミステリ文庫の奴を読んだんですが、どうやら原題は『Ten Little Niggers』らしいんですな。はて?Niggersってことはくろんぼ達って事じゃないですか。どこがインディアンなんですかね。ということで少し調べてみますた。現在の題名は『And Then There Were None』に改題されているようです。『そして誰もいなくなった』はまんま直訳ですね。で、あらすじで出てきた歌ですがあれは題が「TEN LITTLE NIGGER BOYS」という物らしいです。これはフランク・グリーン(イギリス人)という人間が作った物らしいんですが、1869年に成立する以前にその元となる歌があったんだそうです。セプティマス・ウィナー(アメリカ人)という人が前年に書いた「TEN LITTLE INJUNS(INDIAN) BOYS」がそれです。元の方よりも後の物の方が有名になってしまったそうです。なんか英語の版元も色々と改訂しているようなのであれなんですが、差別表現を避ける意味でNIGGERをINJUNS(INDIAN)としたんじゃないかなぁと推測。まぁ、本書の表題そのものがクリティカルにヒットしちゃってるんでそりゃ改題もするわな。まぁ、内容の詩についても「TEN LITTLE NIGGER BOYS」の物なのにインディアンとかになってるのは必死だなって感じですが。どうやらアメリカ版では始めから『Ten Little Indians』だったらしいですね。ごたごたしすぎです。もっとストレートな形にしておけばいいのに。ま、背景にはNigroとかNiggerってのが英語圏でも蔑視かそうでないかという明確なライン引きが当時は微妙だったみたいですな。現在はどちらも差別用語扱いですが、書かれた当時のイギリスではNiggerってのは別に差別用語ではなかったと。で、どうやらアメリカの方じゃヤバイみたいだから原題から持ってきてインディアンにしちまうかって感じみたいですね。英語圏の人間以外にはちと分かりづらいですな。
どうやらアガサ・クリスティマザーグースをネタにして書かいた本はほかにもあるそうなんですが、文化背景が違うといかんせん興味が湧きづらいですな。他文化圏にいろは歌の「とかなくてしす」ネタとかかごめかごめの意味解き民俗学ネタが理解されづらいのと同じなんでしょうが、仕方ないですな。わたしゃどちらかというと楽屋落ちとかが好きなんで、あくまでも様々な物のネタ元としての価値しか見出せないかも。うがちすぎなのかなぁ。
あくまで古典として原点回帰したいとか、元ネタを知りたい人とか、推理作家の人とかじゃないとあんまり読んでも意味なさそう。最近の作家の方が読みやすいし読み物としての付加価値もきちんとあるしね。
60点。

蛇足:今まで演劇や映画等に何度もなっているようですが、それらは原作と違いきちんと観客に説明できる人物が必要なため二人生き残らせるそうです。

参考リンク

そして誰もいなくなった
アガサ クリスティー Agatha Christie 清水 俊二
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そして誰もいなくなった
アガサ・クリスティー 清水 俊二
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