東野圭吾 殺人の門

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あらすじ

歯医者の父、勝ち気な母を持った少年田島和幸はやや内向的で非社交的な子供だった。彼は特定の友達を作ることをせずに一人を好むタイプだったが小学五年生の時にクラス替えで出会った倉持修と仲良くなる。倉持は豆腐屋の息子なのだが山っ気があり、博打ごとのようなことが好きであるらしかった。和幸はそれにつられるように様々な遊びを経験する事になる。彼には父親の母親である祖母が居たのだが、歳はそれほどいってもいないのに寝たりきりであった。母と祖母は犬猿の仲で、寝たきりになってからは父が家政婦を雇うことにして、母はほとんど祖母に構わなくなった。
家政婦はトミさんといい、当時はおばさんに感じたのだが、三十路手前ぐらいだったのだろう、母が出戻りと吐き捨てるように蔑視していたのを憶えている。ある時母に映画に連れて行って貰うはずだったのだが予定が入ったとかでダメになったときにトミさんと父が秘め事をしてしまうのを見た。トミさんはそれだけではなく、家に出入りしている税理士とも関係を持っていた。和幸はそれも見てしまっていたのだった。トミさんはそんな状態でもきちんと家のことをやっていた。
祖母が死んだ。当時和幸は賭五目並べに嵌っていた。もちろん倉持に教えて貰ったのだった。三回勝負で二回勝つと賞金が出る。どうにも勝てないわけではなくて、何度も勝ちそうになるのでついついずるずるとやってしまっていたのだった。彼が祖母がいる離れに行ったのも祖母と話をすると小遣いをくれるからだった。賭五目並べのせいで彼はほとんどすかんぴん同然だったのだ。そこにいたのはいつもと同じように床についたままの老婆だった。ただ、いつもと違うのは大きな鼾が聞こえないこと体が冷えてカチンコチンだったことだ。死体と相対するのは初めての経験であったが、祖母の携えている財布の方が和幸には魅力的だった。漂う加齢臭にひるまず手に握られた財布をもぎ取ろうとする。だが、死後硬直の始まっている手から財布を抜き取るのは困難だった。無事に金を手に入れたときぎくりと固まった。なんとなく視線を送った死体の目が見開いているような気がしたのだ。突如として襲いかかってきた恐怖に和幸は再び確かめることもなく部屋を出た。バタバタと騒がしくなったのは小一時間ほど経ってからの話だ。
その後の葬式で和幸は死体を見るのに恐怖と嫌悪を憶え父に促されてその死に顔をみるのを拒否した。父は平手打ちをして怒り、なんとか献花をすませた。その時に見えた顔が微笑んでいるようで和幸に追い打ちをかけたのだが、火葬で骨だけになった物を見たときは拍子抜けをした。ああ、人の死とはこんなもんなんだと。
それからは駆け抜けるジェットコースターのようだった。和幸の父と母の中が険悪になったのだ。もとより父の方と母の方の親類は仲が良くなかったらしい。そこで飛び出した「母が祖母を毒殺した」というどぎつい言葉が何故か街に流布するようになる。勿論事実無根なのだが、父の経営する歯科は人の入りが悪くなり、父は母を疑うようになった。母は祖母を嫌っていたというのは事実のようだから何とも言えない。出会う人がよそよそしくなり、同じクラスに居るのはいやだという子供まで現れ始めた。結果両親は離婚という手段に出ることになる。これが破滅の始まりだったのだった。

感想

殺人の門という仰々しい名前の題ですが、拍子抜けするぐらいの内容ですね。ちなみに東野圭吾はこれで十冊目です。なお、ミステリーと言うよりサスペンスと云った方が正しい内容ですね。
まぁ、一言で言えば転落していく一途の話と云うことになります。非常に胸くそが悪いです。読者の感情に訴えかけると言うことが本を書く上での必須技能であるとすれば確実に成功していると云えますが、はて、どういう人がこの本を面白く思えるのだろうか?と疑問に思わなくもないです。「逆イワンの馬鹿」とか「詐欺師と間抜けなカモ」、「コントロール」、「臆病者」こんな言葉が表題についてもおかしくないかなぁ。和幸は修という同級生の「友達」に不幸への道を歩まされてたわけです。はっきり言ってここまで馬鹿正直で警戒心が空回りするだけの馬鹿も珍しい。愚直さを描いていますが、同じ事の繰り返しになるだけならば、短くまとめた方がまだ良かったんじゃないかなと。完全に同じ事じゃないにしてもバリエーションというのもおこがましいぐらいの内容ですし、かなり微妙な気がします。まぁ、コントロールする側の話を描くってのは良くあることなので、あくまで反対側の人間を描くことに執心したんでしょうが、騙される展開が続くと流石に読者としてもその結末を予想せざるを得ないですよ。溜めて溜めて溜めて溜めて・・・とやった後にその復讐劇が始まる、とかなら承服も出来ますが、その復讐への転機は常に訪れず、実際にやるのは虫の息の時とか無意味きわまりない。
で、結局表題の「殺人の門」というものを偶然にも超えられた者だけが殺人を犯すことが出来ると、そういうことなんですが、すべてが分かった後に衝動的にやることだけでにっちもさっちもいかない。人生を破綻させられただけの主人公に感情移入をしている場合は明らかに不満が残るし、不快感は隠しようもない。「殺人の門」を何度も超えそうになるが踏みとどまった主人公に対してもフラストレーションが溜まりますし、スカッとはいかないんです。ゴリゴリに暗いドロドロとした復讐という熱情を傾けてそれを果たそうとする人間の話ならば典型的ではあるものの共感は持てます。ただ、本書の場合は騙される側の悲哀、引かれ者の小唄です。感情移入するならば憐憫に近いものを好む人でないと読んでも楽しくは感じられないんじゃないでしょうかね。何よりも表題の「殺人の門」という概念がどこまで深く掘り下げられたか?と言うことには疑問です。単に感情的になった、ただそれだけで終わりでは引っ張ってきた意味というものが霧散してしまいます。
和幸の一人称視点で語られるこの本は『白夜行』のような章ごとの視点の変遷はないので読みやすいです。ただ、一種の年代記であるということは同じです。また、加害者側からの視点がないのも共通していると云えばそうですね。
人の不幸が明確に好きな方、ミステリーなら読むという人なら読んでも佳いんじゃないですかね。保証はしませんが。
60点。

参考リンク

殺人の門
殺人の門
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東野 圭吾
角川書店 (2003/08)
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