海堂尊 チーム・バチスタの栄光

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あらすじ

高階病院長に呼び出された俺は居心地が悪いながらもその景色に見とれていた。といっても室内に限定されているわけではない。窓から見える風景、高層からの景色と重厚な権力を感じさせるこの部屋は陣頭指揮を執る人間に許されたささやかな居城に過ぎないのかもしれないが、こういう物を見るとつくづく自分が大学病院という組織のシステムからつまはじきにされている事実に思い至る。しがない下っ端医師には縁がない話だ。
そんな俺、田口公平はこの権力の間に呼び出された理由に思い至る節が全くないので少し面食らっていた。功績を立てたわけでもないし、俺が個人的に高階病院長と親交があるわけでもない。ましてや叱責される様な酷い失態はここ最近遭遇してすら居ない。大体愚痴外来と揶揄される閑職の不定愁訴外来で問題らしい問題が起きるわけもないのだ。血を見るのが苦手で外科を選択肢から早々に消したからこそ俺はここにいる。手を抜こうと思えばいくらでも抜けるし、事実抜いているのも事実だ。それでも居場所があるというのは心地よい。ただ他を知らないだけかもしれないけれど。
さて、不定愁訴とはなんぞや?と首を捻った方もいるだろう。要するに体の具合が悪い兆候が検査で全く見られないのに本人は本人が不調を伝えてくる、という事だ。症状は患者毎に色々ある。倦怠感に抜けない疲労感、微熱が出ているのではないのか?という感覚に頭痛に動悸、耳鳴りに四肢の冷感などが代表的な例だろうか。診療を俺がするわけだが、やることはただ一つだけ。患者の言葉に耳を澄ますと云うことだ。コンセンサスをとることが最も重要で、他に代替するような行為は一切無い。不定愁訴をしてくる患者というのは大概この病院で診療、治療を受けた患者だ。通常の医療行為としての診療の場に度々問題ないはずの人物が割り込んで来るというのは一種の妨害行為に等しい。そういう患者を一手に引き受ける、有り体に言えばそういう側面があるから厄介払いの終着点みたいな場所でもある。同業者から愚痴外来と揶揄される事から容易に推察できるだろうけど外聞も余り良くないし、成果も余りあがらないから昼行灯とみなされている。まぁ、間違ってないけれど。俺は一応一通りのこの組織で生き残るスキルは身に付けたけれど、権力に挑むのも階段を上ろうとするのも性分に合わないらしい。現状維持、それが望むべき最高のシナリオ。でも高階病院長は違うらしい。
簡単に事情の説明を受けた俺はかなりびっくりしていた。どれぐらいびっくりしたかと云えば子猫を千尋の谷に落とすぐらいの驚愕の内容だ。俺には何故だかわからないが重大極まる大役を指名されて拒否できなくなっていた。
この東城大学医学部付属病院には一人大物が居る。外部にアピール出来る存在という奴だ。下手をすると患者からは偶像視されているかもしれない。一般的には通称の"チーム・バチスタ"と云えば通じるかもしれない。バチスタ*1とは人名で術式の通称名だ。移植手術が法的に認められて久しいが、絶対流通量は相当不足している。特に心臓となればそれはもう足りないなんて話じゃないから移植以外の手法もまた一つの分野として伸びてきているのだが、バチスタ手術はその心臓に関する一つの方法だ。簡単に言えば心臓が肥大する病気*2に対して動的に縮小再構成を実施するということなのだが、手術に際して一度心臓を止めたり、一般的に術死の可能性が非常に高いことから難易度の高い手術ということだ。その"チーム・バチスタ"が凄いところは平均生存率六割の所九割近く成功していると云うことなのだ。そりゃあマスコミが担ぎ上げるのも理解できる話だろう。それについ最近まで連勝記録を26まで伸ばしていた。外科に疎い俺でも神懸かり的な能力はわかる。それだけ凄腕なのだろう、桐生という男は。
桐生恭一は鳴り物入りで米国から招聘された外科医であり、"チーム・バチスタ"の支柱といえる。この男無しでは手術は成功しなかっただろうし、この大学病院が注目を浴びることもなかっただろう。
高階病院長の話は端的だった。くだんの桐生から頼まれて俺に調査をして欲しいらしい。ここ最近までの桐生の手術成功率は三十例中二十七例、バチスタ手術の成功例としては非常に素晴らしい成績といえる。だが、桐生は残る三例についてどこか不自然さを感じているらしい。手術は成功した、だが患者は生き返らなかった・・・。なんとも後味の悪い話だがそういうものなのだから仕方がない。桐生は術式の失敗はなかったと明言しているらしい。そこで俺が出張ることになったわけだが・・・本来はリスクマネジメント委員会の仕事のはずだ。その旨を高階病院長に伝えると「その内部監査の為の予備調査」であることを明言したが何とも歯切れが悪い。切り捨てられる可能性が頭に去来する。まぁ、よくわからないがきちんと餌で釣って退路を断たれて進む道は一本、行く先はわからないという状況だ。現状維持を願う俺の思惑は権力者にはわからないらしい。進むも地獄退くも地獄、同じ地獄なら進むこと割り切りが肝心なのだろう。そういうわけでこのよくわからない手術の事故原因の予備調査はこうしてはじまったんだな、これが。

感想

海堂尊初読み。第四回このミステリーがすごい!大賞受賞作です。相変わらずミステリー色の薄い作品がやってきました。まぁ、面白いつまりはエンタメ方向の作品なのでいいんでしょうけど。
この作者に云えることはただ一つ、ほんとに新人なのか?ってこと。導入と結末までの道のりは実に丹念に丹精込められています。選考委員の香山二三郎と茶木則雄はそれぞれ小説を書くということに馴れていないのではないか、という疑問を持ったようですがうーん、気の回しすぎな気がします。そもそもこの賞は新人賞ですよ?元々作家になりたい有象無象がワラワラと蠢いている状況はわかりますが長年苦労してきてようやく受賞という流れは最近下火です。新進気鋭、という言葉が似合う作家が最近活躍しているような。もうちょっと空気読んで下さいな。
まぁ、新人臭くないって所を一番如実に伝えるのはストーリーテリングとキャラクター配置かな。導入で巻き込まれ型、更に大学病院の言葉でのやりとりのシリアスさなんかを見ると丹念さを想起させるしね。加えてキャラクターがやや誇張された漫画チックさを強調しているところからして最近のはやりを考えないわけにはいかないわけで。奥田英朗の『イン・ザ・プール』の伊良部やライトノベルにおける自我肥大気味のハイテンションキャラクターなんかは漫画文化的な文脈で生まれてきたある意味で日本的な存在ですからねぇ。それに巻き込まれ型っていうストーリー展開も元々漫画的ですよね。めちゃめちゃステロタイプな少女漫画というギャグを描いた場合の「遅刻しそうな少女がパンを咥えながら疾走。四つ角で男性と激突」みたいなもんですから。ラブコメにありがちといえばありがちです。まぁ、本作は全然ラブコメとは縁がないわけですがw。
一方結末部分ですが、こちらは前半に比べても丹念すぎる印象を持ちました。ここまできっちり結末以降のエピローグを書ききる人って最近少なくないですか?なんか清々しさを強調したところに浅田次郎を連想したんですけどこういう印象を持った人って居ないのかな。
なお、この本を読んでシリーズ化への布石を感じない人はいないでしょうねぇ。登場しないけれどある程度そのキャラクターが想像できそうな人物が手ぐすねを引いているというのに書かないというのは勿体ないわけで。それにいくつかの選択肢もこの作品から派生しそうです。今回は田口医師が主人公ということでしたが、実際は第二部以降に登場する白鳥圭輔が影の主役です。つまりは選択肢はもはや一つではないのですよ。シリーズといっても白鳥圭輔が出ればokなのか、田口医師を中心に話を進めるかという選択肢が生まれているわけですな。探偵小説における探偵役に鎮座する白鳥が今後絡んでこないわけはないんですけどその白鳥の座を占めそうな人物が田口医師以外に今回出てきませんが名前だけ出てきているキャラがいる所からして佳い意味で野心的ですなぁ。素直にシリーズ化した方が良さそうだね。
あとはそうだなぁ、この賞受賞したケースでは"ミステリー"色が蔑ろにされている部分は毎度なので佳いんだけど、今回はそれがきちんと謎を煽っているのに中途半端なのは否めないわな。やはりミステリー色を中心にせずとも良かったんじゃないか、っていう意見は当然出ますが誰もそれを意識はしてないでしょうからねぇ。それと病院内を問題を取り扱っているって云うところで当然専門知識が結構出てくるけれど難解さは希薄。でも術式に入ったらわからない部分が多めなのは前情報不足なだけなんだろうか。解説説明が増えてくれると寄り読みやすくなるんじゃないかな。
キャラ立ちのしている小説を読みたい方、医療現場にちょっと興味がある人にはいいかも。あくまで軽い小説なので気晴らしに最適かな。
80点

参考リンク

チーム・バチスタの栄光
海堂 尊
宝島社 (2006/01)

*1:学術的な正式名称は左心室縮小形成術という。

*2:拡張型心筋症など