貴志祐介 黒い家

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あらすじ

若槻慎二は入社五年目の生命保険会社の社員である。今の職場に異動になる前は本社の外国債券投資課に居たため単なる金融機関に入社したような心持ちだった。それに引き替え京都支社で死亡保険金の査定を始めてからは確かな実感を手にしていた、生命保険会社に居ると云うことを。
どれだけこの仕事が重い物なのかはここに来て初めて実感したと云って佳い。毎朝山のような書類と格闘し、そこには誰かの死を無味乾燥に書類にまとめ上げる。さながら死神の刈り取った魂を検分するかのようだ。付き合っている黒沢恵と仕事の話をしなくなったのも気が重いからに違いない。
しかも、この仕事は誰かがやらなければならないという物だが、必ずしもこの書類に真実が書かれているとは限らないのだ。モラルリスク*1な病院に入院し続けて入院給付金を手に入れようとするケチな詐欺師は横行している。保険金殺人よりも小物であるからメディアも取り上げないし、なにより頸椎捻挫、所謂むちうち症という奴は本人が主張してしまえば比較的簡単に病名としてあげることができる為に後を絶たない。それもそのはず、数社の保険に入っていればただ入院しているだけで一日数万円の現金を手にすることが出来るのだ。一度その味をしめてしまえば再びまじめに働くのは馬鹿馬鹿しくなってしまうのだろう。そういう客もどきの会社に損害を与えようとする害虫にはしかるべき手段を取るようになっている。それ専用の交渉員がいるのだ。大体そういう人物が駆り出されてくると事案はピタリと収まる。だが、若槻の上司である葛西好夫副長はいい顔をしない。若槻は日頃卑屈なまでの腰の低さを客に見せている関係上痛快さを覚えていたが、葛西副長曰く「大概は上手くいくが駄目なときはとことんこじれるから」好きではないらしい。
一九九六年四月八日の月曜日、若槻はとある電話を受け取った。問い合わせの内容は「自殺した場合保険金は出るのか」ということだった。それに対して若槻はきちんと丁寧に受け答えをした。そして余計なことを云ってしまったのだ。それは若槻の過去だった。若槻の兄は学校で虐められていた。そして若槻はそれを見てしまったが、見て見ぬふりをした。やがて兄は屋上から飛び降りて死んだ。彼はその見知らぬ女性にある種の親しさを込めて云った。「自殺をしようとしているのではないか?」と。そして「自殺はそれ以外の周りの人間に深い傷を残すから思いとどまって欲しい」とも。そこで若槻は自分の名前を教えてしまった。電話口の女は納得したように「おおきに」と云って電話を切った。全てはここに起因すると言っていい。
五月七日の火曜日、若槻を指名した電話がかかってきた。相手はコモダ・シゲノリという男性らしいのだが若槻には何の事やら解らない。電話を受けたのは葛西で、籠もったぼそぼそしたしゃべり方は何を言っているのか判別がつきづらかったそうだ。どうも集金に来る外務員の態度が悪いとかいう話らしい。それほど激昂しているわけではないようではあるが、若槻を指名して来てくれとは一体何故なのだろうか?。若槻は自分の名前を知っているという事に関して疑問を持ったが、やはり一向に心当たりが無く、支社でいつ来るともしれない厄介な客を相手に業務をするよりも外回りをしたい気持ちも手伝って引き受けてしまった。
電車を乗り継いで閑静な住宅街にやってきた。名指しをしてきた顧客の家は近所からは確実に浮いていた。かなり古い家らしく立派ではあるがどこか陰があり、半ば朽ちかけていたりして黒い家というのがぴったりだった。表札には菰田とあったので若槻はインターフォンを押してみたが犬の鳴く声以外に応答はなかった。あたりを窺っても若槻を見た途端に姿を消す隣人の挙動などから菰田家が近所から孤立している状況が伺えた。しかし、そこにあるであろう奇妙な途絶の関係には恐怖が匂っていた。待っても待ち人は居ないらしい、そう若槻が帰りかけたところで油染みた作業服に身を包んだ男が現れた。電話をした菰田重徳だった。菰田は家に誰も居ないことを若槻から聞かされて変だと云いながら家の中へ案内した。
どの家にも必ず何かの臭気が籠もっている。それが普通である。住人はそれに無頓着になる物だが、菰田邸はあまりにも酷かった。排泄物やゴミの饐えた匂いに麝香のような生臭い匂いが渾然としていた。何をどうやったらこんな匂いが出るのだろう。菰田は「臭いやろ」とにやにやしている。結局菰田の妻は居ないようなので菰田が若槻の相手をすることになった。通されたのは庭に面した部屋で窓を開け放ったことでようやく息が出来た若槻はほっとした。菰田は若槻に用件を切り出すでもなく、唐突に息子を呼ぶ。客が来ているのに知らん顔をしてはいけない、そんな内容のことを滔々と繰り返す。そうして若槻にそこの襖を開けてくれと頼んだ。
若槻が「こんにちわ」と云いながら開けた襖の先には宙吊りになった子供が居た。蒼白の顔色、伸びきった首、鼠蹊部から濡れそぼった液体は床に溜まっていた。それはどう見ても死んでいた。固まる若槻の隣で菰田はじっと若槻の顔を覗いていた・・・。
後日、菰田の息子には五百万の保険金がかかっていることが解った。発見者は若槻である。しかし、本社の決定、警察の断定が成されないと保険金は下りない。菰田茂徳は毎日窓口に若槻を呼び出して保険金がいつ下りるのかを聞き続けた。毎日毎日毎日毎日若槻は呼び出されてぼそぼそと聞き取りづらい声でいつになったら保険金が受け取れるのかを聞いた。激昂するではなく、脅しをかけるわけでもなく、淡々続けられる方がよっぽどプレッシャーが貯まることを若槻は初めて知った。毎日が逃げ出したくなるほど辛かった。でも毎日朝はやってきてあの男も必ず現れる。他の人間が応対しようとしても若槻が戻ってくるまで待つという徹底ぶりだった。若槻は逃げ出すわけにはいかなかった。
辛い日常に縛られながら若槻は第一発見者という事から確信していることが一つあった。息子の首吊り死体を発見したというのにじっと観察するが如く若槻の顔を覗き込んでいた菰田の異常である。菰田の息子和也は自殺ではないだろう・・・、そう確信していた。しかし、警察はいつまで経っても和也の死の断定を避けていた。やがて訪れた本社の決定は驚愕すべき物だった。なんと自殺としてきちんと満額支払うというのだ。若槻はプレッシャーが無くなると云うことでホッとしたけれど釈然としない物が残った。しかしこれでお終いではなかったのだ。
それからまた、菰田という名前をすぐ聞くことになってしまう。保険金詐欺をはたらく連中は「同じような手口を繰り返す」のだ。これは習性といっても云い。そうしてまた若槻は真相を探ろうとひとり頑張る・・・はずだった。

感想

貴志祐介四作目。本作は第四回日本ホラー大賞受賞作です。角川書房の作品だけあって映画も作られました。原作の方はかなり評判が高かったのに対して映像化された作品のクオリティーはかなり問題があったようですが、ちらりと一度深夜にやっていた映画を見たところ、犯人役を演じていた人物の異常さ加減だけが際だっていた様に思いました。ま、全部を見ていないんでアレですが、原作とはかなり違う内容のようですね。
流石に大賞を受賞するだけあって面白い作品でした。作品中において活躍するのは二時間ミステリーではおなじみの生保の調査員です。でも普通嘱託されたりする外部の人間であったり、外回りだったりするのが普通ですが、今回は保険外交員ではなく、内部でデスクワークを基本とする内勤の職員です。ゆえにややなじみは薄いと言えるでしょう。その為か、きちんと生保の抱える問題を色々と列挙して社会的な問題点もきちんと述べていたりします。例えば日本で生保が金儲けの種として使われていた事や寄生虫のようにたかる犯罪者達、自殺装置となりかねないその危険性などがそれです。人間の悪意というか欲望がそういう負の側面を産み出しているのは事実です。これが恐怖を演出する一端ともなって居るんでしょうね。
また、恐怖を演出するためにもう一方で心理学の方向からも手を伸ばしています。そこから「モラルリスク」な犯罪性行のきわめて強い性格異常者が確実に存在している事を証明しています。ただ、それに関しては最後に一石を投じていますが、その一石はきわめて無意味ですね。闇を演出してしまっているのだから心細い希望という名の豆電球では明るくてらすことは出来ないんですよ。
ということで、どこにでも居るかもしれない社会不的確な性格異常者とあなたはいつ、どこで出会うか解りません、というのが本書の最大の売りでしょうね。こういう意味では社会派ですな。
嗅覚欠損=性格異常はちょっと無理矢理かな。これは偏見に満ちてるかと。
ミステリーというかサスペンスとして読んだ方が無難かもしれない。ミステリーと考えるとあまりにも筋の作り方が分かりやすすぎる点が問題かな。ミスリード以前に1/3で先が読めてしまう。ただ、だからといって全否定に結びつかないのが佳いところですね。主人公の感情をえぐり出すようにジェットコースターのように見せ場が最後の方で二箇所ありますから先が見えても問題ないんですわ。あと、容易に想像できる状況も良さを引き出しているようです。子供の首吊り死体を発見して呆然とする赤の他人に対して、父親はじっとその他人の顔を覗き込むなんてなんかとっても息詰まる物を感じるじゃないですか。
でも世評のようにただただ怖い、というのはちょっと違うような。楽しみながら読める点と生理的嫌悪感が相当に低いことからするとホラーが元々嫌いな人でも楽しめるマイルドな作品になっているかと。爛れた妖しさとかゴシックな方向が好きな人はちょっと求めている違うかな。あと、スプラッタを求めている向きも違うかと。
なお、発表後に和歌山毒物カレー事件が現実に起きたことで引き比べられることも多いようです。どんな社会だろうがどんな世界であっても異分子は生まれるんですから、なにも殊更日本がおかしくなっているとか、予言したとか云うのは違うんじゃないかなぁ。ほんとにたまたまなんですよ、たまたま。
80点
本書の前に佳作だった『ISORA』もそこまで大きく変わりがなかったような気がするんだけど・・・やっぱりテーマがネックだったのかな。「人間が一番怖い」ってやつね。ミザリーよりも怖い、との評があったけれどやはりあれは日本人が作ってないからそう思うだけではないかな。日本的恐怖のコードと海外でのホラーのコードは異なると思うんですよ。だから必ずしも全てが解るわけではないわけで・・・。
いや、ほんとに海外のホラーってどこが怖いんだろって言う奴が多いからなぁ。数読んでないからなんだろうけど・・・。

参考リンク

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*1:生保用語で犯罪に荷担しているようなまともではないという修辞