森見登美彦 太陽の塔

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あらすじ

京大生の森本は現在水尾さんというかつて同じクラブに属していた下級生に執心している。余人が見れば、ああなるほどストーカーだなぁと思えるような珍奇な行動を繰り返す奇人そのものなのだが、本人は至って普通の行為だと思いこんでいる「自分の好意を袖にした人物の研究」に没頭しているわけなのだ。
それに没入するあまり、現在学業の方はおろそかになりすぎているので休学している。しかも五回生だ。なお専門は農学部だという。しかし普段はその専門性を一切生かさない魚を飯に盛りつける仕事に就いている。社会経験を積むというような崇高な行為ではなくあくまで生きる糧を得るために。
崩壊しかけた四畳半において彼は自身の大著を仕上げているのだ。余人に理解が及ばないとしてもこれは続けられる。それは全てなのだから。
彼には幾人か思いを一つにする男汁溢れる友人が居る。なお、思いについては行為を一つにするという意味ではないのであしからず。世間的にはいいところを掠ってしまう事になっている京大生であっても、女性に一切見向きもされないような輩は掃いて捨てるほど居るのだ。我々は同病相憐れむの精神で酒を酌み交わし、乱痴気騒ぎをし、鴨川に等間隔に並ぶ男女の群れを恨めしげに眺めてはそれが出来ぬ身の上を儚く思ったり思わなかったりする、そんな間柄だった。
それは兎も角、今現在に視点を転じよう。
森本は水尾さんの帰宅を待っていた。研究においては対象の観察は欠かせないものなのだ。森本は水尾さんの行動を分析しているので何曜日の何時に大体どこに彼女が現れるかを予想することが出来る。勤勉な学生ほどルーチンワークをこなしているものなのだ。京大生協の本屋でまったり、彼女の住む建物の前で潜んだり、近所の本屋に居るのではないかと出かけていったり、日々研鑽に励んでいるわけなのだ。今日は家の前で待っていたのだが、部屋は未だ真っ暗もぬけの殻のようだ。近所の本屋に出もいるのではないかと足を向けたところだった。見かけぬ人影が暗がりから現れ、「警察を呼ぶ」「このストーカーめ!」等と脅迫してきたのだ。男を街灯の明かりで子細に眺めてみる。眉の薄い男だな、というのが凡人の第一印象か。ただ、法学の弁舌では森本には披露するだけの能力がなかったため遁走することにした。しかし、ただ遁走するだけでは芸がない。コートのポケットから愛用のデジカメを取り出し「パシャリ」とやったのだ。あっけにとられた貧相な顔の持ち主を尻目に森本は自宅の四畳半に帰っていった。
これは森本のごくごく一般的な日常の物語である。

感想

森見登美彦初読み。本作は第十五回日本ファンタジーノベル大賞受賞作です。元々id:architectさんが読んで紹介してたんで読むことにしました。正確には作者のブログ(ここ)で作者の書く文章に魅了されたことが大きいんですがね。大まじめで大上段極まる明治大正時代の文豪が書くような文体でギャグを飛ばす。これは古めかしいにもかかわらず新鮮な驚きを与えてくれました。これは夏目漱石の『吾輩は猫である』の系譜であろうと思われます。内容は実にくだらなくて面白いの一言に尽きてしまいますが、私が書く凡百の文章を読むよりも本人のブログの所へ行って買う前に検分するとよろしいかと。その方が如実に状況を把握することが出来ると思うのです。いやはや躍るようなリズムを持った笑いを核に持つ淡々とした文章はエントリ毎は酷く短いのにとても面白いのですよ。故に読まないと損ですわ。何しろただで読めるんですからね。
なおどうやらこの本は読み手に両極端な本であるようだから取扱は慎重に。
態勢は「くだらない」という意見と「酷く愉しい」という意見しか無いように思います。評価は人それぞれゆえつまらないという評価もまた正しいとは思いますが、それだけではないかと。
主に合わなかった人の場合は「京大生という高学歴をひけらかすスノッブ極まる露悪趣味の極致」という「学歴ひがみ」パターンと「これがユーモアなものか!こんな物はユーモアじゃねぇ!」という「ユーモアが合わない」パターン、そして「どこがファンタジーなんだ!魔法は?龍は?異世界はどこだ!!!どこにも不思議なんてねぇぞ!」という「ファンタジーの保守的世界観に拘る」三パターンに分かれるでしょうね。
私なんかは「京大生」とかいわれても「京大ミステリ研」ぐらいしか思い浮かびませんよw。ある意味深読みのしすぎですよね、皆さん。ま、とりあえずこの三パターンに当てはまるか否かは私は知ったこっちゃないです。私には合ったんで。
まぁそれでもファンタジーか?といわれると結構微妙ではあります。何故ならばほとんど作者の私小説に近いような感覚を覚えるからです。一体どこに不可思議があるのだ?と聞かれても中々返答が難しいあたりからして疑わしく思われても仕方ないですね。でも象徴としての「太陽の塔」に何を見るのか、それによってはファンタジーたりえると思わなくもないです。でもこれも相当に苦しいのは確かです。故にファンタジーとして期待して読もうとはしない方が無難でしょう。もっと気軽にエンターテイメントとして読む方が正解なんじゃないでしょうかね。
なお小説と同じ文章スタイルを用いて書かれているブログを読んでいるとどうにも作者本人の実体験がそこかしこに埋もれている私小説のように思えてなりません。非モテの同病相憐れむ男集団の悲哀が解る人に読んでいただきたい。これは一種ホモソーシャルと言って佳いのかもしれませんが、腐女子の求める萌えとは隔絶がすごいので間違える前に書いておきますね。ホモソーシャルといっても学術系と体育会系の二系統がありますが、本書は前者ですね。マッチョな上下関係ではなく似たもの同士が集うそんな関係なんですよ。
それは兎も角内容へ。書き出しは書き終わりと対応しています。ただ、私には作者のいう「読者の思ったとおりの結末」というのがいまいちわからなかったんですよね・・・。想像は出来るけどどれが正解なのかは未定というより不定?ちょっとすっきりしないものを感じた。時系列はあやふやでどこで何を語っているのか解らないんだもの、仕方ないわな。
あーそうだ、この人もサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』に影響を受けてるっぽい。ただ、茶化しているようでもあるので真実リスペクトしているのかは解らないんですけどね。
最後に忠告です。ドバッと一気呵成に読まないで下さい。何故ならそれはとてもとても勿体ないからです。ならされた感覚は鈍磨していくのです。面白い話もそうとは感じられなくなってしまったら実に不幸です。そうなってしまったら記憶から忘却されない限り再び新鮮には読めないでしょう。故にゆるゆると時間をかけて味わって欲しいのです。
例えが光る大袈裟な諧謔の独特なセンスにレッツニヤニヤなのです。外連味を味わい尽くして下さいな。
90点

引用

森本の友人である飾磨曰く

「幸福が有限の資源だとすれば、君の不幸は余剰を一つ産みだした。その分は勿論、俺が頂く」

森見登美彦著『太陽の塔』(P202L12〜)より

参考リンク

太陽の塔
太陽の塔
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森見 登美彦
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