瀬名秀明 デカルトの密室

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あらすじ

ロボットのケンイチの制作者である尾形祐輔はオーストラリアのメルボルンで開催される「チューリング・プライズ」のコンテストへ来ていた。チューリング・プライズとはAI研究の先駆者たるアラン・チューリングを記念して行われるAI開発のコンテストだ。祐輔もまたこの場に自身の制作したAIプログラムをエントリーするつもりだった。
祐輔は担当の編集者(祐輔は作家でもあるのだ)である奥山友美と共に会場入りするのだが、そこで思わぬハプニングに遭遇することになる。数学オリンピックの時に同じく日本代表メンバーであったフランシーヌ・オハラとの邂逅である。彼女も著名な研究者であるのだが、ここ最近はまったくぷっつりとその業績に関する話は耳に入ってこなかった。目の前にいるフランシーヌは自身の見た目を複写したかのようなアンドロイドに車椅子を押させていた。瞬間的に祐輔の思考と身体は硬直した。まるであのときのように・・・。フランシーヌはゆっくりと祐輔の車椅子(祐輔も下半身不随で車椅子に乗っている)の所まできて「尾形祐輔なのか?」と誰何をした。二度それを繰り返し、硬直している祐輔に近づいて、フランシーヌは有無を言わせず唇を合わせた。冷静に過ぎる人形じみた物腰から唯一溢れる人間性、それは唇の温度だけだった。ようやく我に返った祐輔とフランシーヌは少し話し、祐輔とフランシーヌそして祐輔と懇意にしているイアン・ブレシュキンでチューリング・テストをはじめると宣言した。ブレシュキンは審判役、勿論チューリング・テストなので祐輔とフランシーヌの他にAIが混ぜられる。女王のように振る舞うフランシーヌに逆らう者は居なかった。
テストはごく自然に進んでいた。だが、途中からその様相が一変する。チューリング・テストの原著論文に載っているような質問が飛び出してきたり、一つの回答者の一連の答が『不思議の国のアリス』からの引用など奇妙な状況に突入したからだ。
フランシーヌの遊びに付き合い終わった後に祐輔はブレシュキンと昼食を取りに行くことにした。だが、その予定は急転直下、失敗することになる。唐突に意識を失ったのだった。
気がつくと祐輔はヘッドギアを付けられ、粗末なベットのような物に横たわっていた。部屋は完全に密室であるのは水の入ったペットボトルと、離れたところにあるPCだけだった。祐輔には事態の状況がいまいち理解できなかった。ここに来るまでの記憶がないのだから仕方がない。逐一見て回ってみたが、取り外せる物は無いようで自力での脱出は絶望的だった。何より問題だったのは密着していていかようにも外すことの出来ないヘッドギアだ。このヘッドギアは逆さ眼鏡の役割をしているらしく、目に見える物すべてが上下逆転していた。視覚情報はほとんどあてに出来ない。何より、肉体的感覚と視覚のずれはどうしようもない居心地の悪さや酔いを加速させる。唯一外と通じているらしいPCは必要な部分以外プレートで閉じられており、再起動することも、知っている限りのショートカットを用いてもなしの礫だった。
外からのアクセスは音によって知らせられるが、相手はチューリング・テストのAIが奇妙な行動をとっているとしか思わない。どれだけ切実に助けを求めようとも絶望だけが増してくるだけだった。祐輔は思い至る。
「ああ、この部屋は中国語の部屋なのだ」と。

感想

瀬名秀明ここでは二冊目。『あしたのロボット』以来ロボット物に精力を注いでいる作者は今回もロボット物に着手をしたみたいですな。元々シリーズ物と言うことですが、この作品の前に当る話は中編で島田荘司責任編集のアンソロジー『21世紀本格』に収録されている『メンツェルのチェスプレイヤー』とのことです。まだ出版されているのはこの二作だけのようなので先に前作に目を通しておいても佳いかもしれません。それほど本作を読んで問題と言える問題はなかったですが。
各所で既に書かれている本書の感想について目を通してみました。思った通り「難解である」とか「理解しにくい」との意見がほとんどでしたね。同じく一言で難解すぎると切って捨て、駄作だと言うことも出来るけれど、それはちょっとやりたくないかな。きちんとロボットと言うものの存在の━━こう書くことが適切かどうかわからないが━━進化を扱っている点に好意的な何かが有るからだと思う。
こうなってしまった原因は果たしてなんだろうか?という問を自問してみた。理由は色々あると思う。一つに絞るのは難しそうだ。そもそも本書はミステリーだろうか?確かにミステリーなのだろう、初めのうちは。日本人のロボットとの親和性からカタルシスとしての殺人を用いたりなかなかショッキングで佳い。だが、中盤以降はミステリーとしてはグダグダになってしまったのは否めない。AIを真に解放する方法に拘り、小説の物語性よりも専門性の方が高くなってしまい、最終結論がああいう形*1になるのはどうにもやりきれない。ある意味皮肉でもある。デカルトの密室、デカルト劇場からの脱出の方法がああいう形になってしまったのは残念だが、果たしてあの結論は唐突に生まれた物なのだろうか?否、きちんと序盤で伏線を張ってあるのは確認済みだ。だとすると一体この話はあらかじめ用意された物だと言うことになる。しかし、序盤は一人称の<ぼく>が制作者の祐輔なのか、ケンイチなのか揺れている。だとすると、これはケンイチが書いた小説なのだろう。だから稚拙な部分が多いのか。例えばどのような手段によって祐輔が拉致されたのか、その前後関係が補完されないまま話が進むというのはミステリ的にはNGだ。何か一言付け足しのようでも佳いから書き添えておく必然性がある。しかし、それを廃したのだとしたら、ごく普通の規則性を知らないととる方が自然だろう。しかし、この小説はケンイチただ一人のみの情報によって書かれているわけではないようだ。所々ケンイチは知らないはずの情報も含まれている。ウェアラブルユキビタス機器が登場するのはその為なのだろう。外部からの情報のソースはデータであり、筆者の変更が所々で起こるのは祐輔しか知らない部分だからだろう。所謂神の視点ではなく一人称で書かれ、物語は可能な限り手に入る情報であって、当事者の知らない情報は解放してないのだろう。故に、襲撃者が誰なのか?どんなことをされたのか?がわからない場合は地の文にすら書き入れられないのだろう。他にも中盤以降の実験方法、それに様々なテストの解法は結果のみが与えられ、「何故そうなるのか?」という疑問の答は出されない。テストの効用や目的については滔々とまくし立てられるが、途中経過が無視されているのは実に奇妙なことだ。研究者でこれをやっているのであれば、失格としか言いようがないが、これにも理由付けがされていると考えられるのであれば筋も通るというものだ。
だとすると、この作品は随分と実験的な本という位置付けができるのではないだろうか。でも一般の人は肩のこらない話を望んでるんじゃないかなぁという気もする。スルメのように味わい尽くすタイプの妄想大歓迎小説はちときついんじゃないかな。SF読まない人にはまず勧められないですわ。
とりあえず、そこら辺の推測が出来たとは言え、物語は決して易しくはないのもまた事実。正直この話をこういう形でやってしまったことが問題なんじゃないかと思わなくもない。問いに対し答えがあまりにも膨大になりすぎるのきらいがある。そも予備知識無しで読める人がどれだけ居るのかと云うところが勘案されていないに等しい。難しい問題は一作につき出来れば一つに絞るべきだと思う。予備知識が必要な物語の場合、極力その説明は少ない方が話に集中できるのは当然のことだから、これを認めてしまった編集者の問題なのではないかなぁ。
そもそもこの話は複合しているんですよ。ロボット、そしてAIの二つにね。せめてどちらかに絞った方がよかったんじゃないかな。そして短編と言うことで一つ一つ読者にハードルを越えさせると。長大な物語としてどこにもターニングポイントを置かず━━実際章構成はあるけれども━━にやってしまうとごっちゃごちゃになっちゃうのは自明だと思うんだけどなぁ。色々なテストの方法とその効用、そしてデカルトに関する事柄を一緒くたに論じてしまっているが、正直助走無しで幅跳びを跳ばせるようなものでほとんどの人がついてこれなくなるのは容易に想像できると思うんだが。特にデカルトに関する事柄は作中でダイレクトに語っていない。「デカルトの密室」と「デカルト劇場」、「デカルトの密室を出た後の第二の密室」など作者が先に答を用意すべきではないのだろうか。一応その説明をしているように見えるが全然直接的とは言えないと思う。だって密室を出る方法が「密室を意識しなければok」とかなにそれ?wって感じだし。まぁ、これは仕方がない部分なんだろうけど。
まとめ
本書はデカルトの述べている内容を補足し、その後に出てきた様々な反証を述べている。ただその手続きが意識している読者とほど遠い事に問題点が有るのではないか。また、希望的観測な最終的な結論は受け入れづらい。故に「は?」で終わってしまう可能性もある。
この作品が情報のごった煮だとするとAI、あるいはロボットの知性のスープではなかろうか。珍味ではあるが人に勧めにくいタイプの本であるのは確かだろう。可読性は決して低いわけではないが、それにしても核心を省略し続けるぼやけた印象は拭えない。やはり筆者の趣味になってしまったと考えるのが良さそうだ。
70点
フラクタルな話を書くのはやめてほしいところ。読んでて混線するよ。
なお、筆者のBlogとデカルトの密室にまつわるコラムがあるのでリンクしておく
瀬名秀明のBlog
「デカルトの密室」特別講義

参考リンク

デカルトの密室
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瀬名 秀明
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パラサイト・イヴ

メモ

内容にネタバレ含む


































































































感想に引き続き、ネタの精査へ。
デカルトの密室からの脱出方法は=「中国語の部屋」からの脱出方法でもある。
中国語の部屋」とは中国語のわからない人間がマニュアルを元にして応答を返すというものだ。すなわち、異なる言語によるコミュニケーションは与えられているマニュアルの有限な情報によるものしかとりえない。これは相手が例え人間であっても異なる言語であれば、判断するのは難しい事の証左であり、チューリング・テストに対する反証でもあるが、これには一つの状況を規定していない。文中でも触れられているが、経験と情報が膨大になればなるほど状況は変わると言うことだ。それだけ機械らしさが減ると言い換えても佳い。フランシーヌはFP(フランシーヌ・プログラム)を用いてFP自らが言語を獲得することで、密室からの脱出を計った。これはweb上の広大なリソースを使った一つの手段だ。彼女の目的が一体何だったのか?それは推測の域を出ないが、ここでは後回しにしておく。
序盤では「中国語の部屋」が出てくるが、これは問いなのだ。脱出するための手段を聞いている。それに対しての主人公側の答えはデカルトの用いたモラル(モラルの牢獄)で脱出は出来るとする。すなわち「牢獄を牢獄と意識しなければ、牢獄にいても自由である」とする事なのだが、それはそうだろうけど、観念に持ち込んでしまうのは議論としてどうだろう。正直すっきりしないこと夥しい。
この問題は最後まで付きまとう。デカルト劇場からのケンイチの解放は可能なのだろうか?という問いが最後に発せられるが、その問いに対する答えが「物語る能力」と「信じる原則」であることなどはファンタジーの領域だろう。SFですらないと思う。それをプログラミング出来るもんならやってみろと、経験だのというレベルまで全然現状行って無いじゃないかとか思うのもごく自然だろう。肝心要で答えが精神論なんじゃあ話にもならんわ。まぁ、モラルの牢獄なんて代物があるからこういう結論になったんだろうけどねぇ。
答えが出たから話が戻るけれど、フランシーヌの目的はやはり理解しづらい。感情を理解することに障害を持っていたフランシーヌが感じていたのはまるですべての人物が脚本通りに動いているような作り物めいた感覚だ。AIに知性を持たせるという行為にどんな価値を見いだしたのだろうか?オリジナルを壊しても達成しなければならない事柄だったのだろうか?このあたりの情動は説明不足である。予断であれば「ケンイチをひいては祐輔を手に入れるには自分の能力を、正しさを、誇る必要があった」からなのだろうか。それならばもっと直接的に行った方が得策だろうとも思う。まだるっこしいとも思う。妄想するにこれが彼女の精一杯のアプローチだった可能性もある。が、肉体を使っての接触をも行っているので考えすぎかw。
感想の所でカバーできなかったことについてちょっと。
不気味の谷についてはこれはロボットとするから違和感有るんですな。お化け屋敷に例えれば理解しやすいかと。動いていない装置より動いてる装置の方が怖い。そして装置だと思ったのが人間だと更に怖いw。
キャラクターの中では青木英伍という人物が気になった。隠そうともしない傲岸不遜さ、そして物言いには引っかかるところがある。故意にいらだたせようとする部分が見え隠れするからだ。この人物をストーリー進行のためだけに殺してしまうのは少し勿体なかったんじゃないかなぁ。出張ってくる真鍋なんかよりよっぽど面白いと思う。それにそもそも殺す必然性がないしねぇ。
「たった一度の失言で、人はすべてを手放すことになる」
って台詞は爆笑もの。どんな恐怖未来だよ。監視世界への道が開けてるのも事実だけど、その為の記憶媒体を早くPC業界はなんとかしやがれ!とか思ったりする今日この頃。

*1:ネタバレ参照