氏賀Y太について

よいこはこちらからトップに戻るよろし。文章なのでそんなに大した物ではないけれど、不快感を与える可能性のある情報が含まれます。











































































氏賀Y太、エロ漫画を少し読んだことのある人物ならばその名を聞くこともあり得る人物。その名にはグロテスク、猟奇趣味、やりすぎ、表現の自由を盾に取った行き着いちゃった感が漂う。
私の場合、何年だったか忘れたが(2000年以前だった思う)夏のコミケで異形波倶楽部(毒きのこ倶楽部とも)というサークルの『毒どく』というシリーズの同人誌で初めて出会った。その表紙の生々しさをそのままエロの方向にダイレクトに濯がれていると勘違いしまたまま購入し、家に帰って大ショックというものだった。そこに描かれていたのは抜く抜かないの問題になる話ではなく、無邪気に遊ぶ園児に虐殺されなぶられる保母の姿であり、女子高生が浮浪者達に食肉されるという到底現実味を帯びない話だった。どう考えてもエロとは結びつくはずもない。もはやホラーの世界だと言わざるを得ない世界観が展開されていたわけだ。
作者本人の絵柄は新奇な物では決してない。リアル系とは言いづらいし、かといって現在の小さい子から老人まで読める漫画の絵柄の中では平凡と云って佳い、量産化された平面ありきなヲタ向け絵柄だ。(似た絵柄を用いる作家に木工用ボンドがいる)より露骨な表現を求めた劇画調では決してない。だが、氏賀Y太の漫画の中に存在するキャラクターには血肉が通い、人間が本来目にすることはほとんど無い内臓を秘めている。勿論漫画の中だけではなく、生活する我々にもそれらは内包されているが、よっぽどのことがない限り目にすることは無いだろう。例えば殺人事件、交通事故、手術の現場、投身自殺などがその例外であるが、自殺大国の日本において都市部では日々誰かがそれを目撃している。例えば中央線は日本で一番人身事故の多い電車らしいし、年間自動車による交通事故の死者は1万人近くなる。365日で割れば30人近く一日に死ぬと言うことだ。一応これは全国規模での話なので遭遇率は低いだろうがそれだけの人間が死んでいるというのは紛れもない事実だ。しかし、それを目にする人間はほとんどいない。直接目にするのはほとんど運の悪い一握りの人間だけだから。
ぬめぬめと血と脂でテカる剥き身の内臓は手術の発達していない時期ならば確実に死を意味するが、現在では必ずしもそうとは言えない。とはいえほとんどの人間は死ぬまで自身の腹の中に蓄えられた臓腑の中身を直接自分の目で見ることなく死ぬ。目にすることがあるとしても摘出された患部やら消化器官の胃カメラ映像が関の山だろう。
我々の主な情報源をマスコミというメディアに頼っている。例えばテレビという制限されたメディアから情報を手にする視聴者は与えられた情報のみしか手にすることは出来ず、見せない方がいいと判断された部分は容易に削られている。そういえばこんな例えをした奴らが居たな。戦争を直接見ることなくテレビという触媒を介してみている日本人にはその現場の空気が感じられないと。まるでゲームや映画を見ているようだと評された「湾岸戦争」。確かそんなことを言ったのは筑紫哲也だったと思ったが、その時に出たフリップには「テレビゲーム世代」等と書かれていたはずだ。果たしてそれは正しいのか?否!現在の朝日やその他のマスメディアの変更報道ぶりを見ていればそれは自ずと分かることだ。あくまであの戦争はアメリカ側がマスメディアを激戦地、爆撃標的地から遠ざけたという事実がある。また、戦争行為であっても二次大戦時の様な地上戦はほとんどなく、空爆海上封鎖がメインだった。ここから導き出されるのはマスメディアの限界とその限界の否定だろう。それを認めたくない連中は自身に都合が良いように世論の誘導したと考えられる。今もあらゆるメディアで自主規制やらわいせつ物陳列罪等の刑法による規制で成り立っている情報のフィルターは以前働いている。風通しのよい情報は求めたところであくまで公な形になりにくいのは確かだ。
我々は我々の望む情報を逐一すべて手にすることは出来ないが、フィルターのかかった情報ならば手にすることも可能。また、手段をこうじれば元の情報も手にすることも出来る。
翻ってスプラッタな情報は規制されるべきだろうか?それとも解放されるべきだろうか?論じることをせず、蓋をするだけでは話にならないのではないか。
さて、遠回りをしたが、氏賀Y太の話に戻ろう。別に手垢の付いたマスコミ批判をするつもりは毛頭無いんでね。筆者の作品は時代によっては発禁処分になっただろう。出版社によってはそもそも世に出ることすらなかったのは確実だ。この人物を世に出した桜桃書房に敬意を表したい。
さて、それはさておき分析に入る。おそらく氏賀Y太の書く漫画は大別して三タイプに別れると云って佳い。氏賀涌太+氏賀Y太*2で三タイプだ。
一つめの氏賀涌太は氏賀Y太のかつてのペンネームなのか、微妙なところだが、一応エロを書いている。一般的にはエロを書く場合にこのペンネームを使うとされているが、描かれる作品はサスペンス性は含む物の雑多に生み出されるSM漫画の中のごくごく普通の作品だ。個人的には触手が動くが、それは個人的趣向の範囲であって、これ自体駄目な人も居ると思うがそれは仕方がない。あくまで人体改造の話というよりは精神面での落としを描いたり、レイプ物を描いたりという方向性であって似たような作家は数多い。故に特に特筆すべきとも思えないのでこの程度で。ちなみにこのクレジットで出されている本は『泥濘の中』だけだ。こちらはメインストリームとは言えないだろう。
二つめは氏賀Y太といえばこの系統とも云える兎に角スプラッタ、残虐非道な話。殺される人物は妙齢の女性で、簡単に殺されたり、嬲られたり、死姦されたりする。もうこのグロテスクさはホラーの分野と言って佳いと思う。これが性的嗜好になってしまった人は相当に苦しむんだろうなぁとか思ったり。腹蔵からはみ出す臓腑、ぬらぬらと光る血と脂。ほとんどの人にとって軽いトラウマになるんだろうが、グロ画像と呼ばれる人間の死体の写真からすればまだましだし、現場にいないのだから匂いもしない。描かれているのはあくまでファンタジーの世界だ。とはいえ、スプラッタ物のホラー映画では決して描かれない暗黒面を描いている。絵というのは文章に比べて生々しい効果を上げることが出来るため、トラウマ効果も高い。なおかつストーリー性やらキャラクターの感情やらが交錯しているため臨場感も高まる。こうして一笑にふすべきスプラッタが笑いではなく恐怖や嫌悪を呼び起こす。元々氏賀Y太はギャグがかける人だ。ギャグがナンセンスになり、笑いも無くなり、リアルに臓腑を描き出したらこうなってしまうというというだけだが、格闘漫画との対比で考えると露悪的ですらある。しかもまとっている外見はあくまでかわいいというとちょっと違うが、普通の女性を表す記号で書かれている。けっしてリアルではない外見からリアルがこぼれ落ちてくる。この鮮烈な対比が読者の衝撃を煽るのではないだろうか。こちらの方向の単行本は『毒どく猟奇図鑑』『デスフェイス』『現代猟奇譚』に収録されてる話でしょうね。
三つめは氏賀Y太の二番目の要素に快楽、悦楽、異形趣味、肉体改造などを施したフェティッシュな話。こいつはマニアックなSMマニアのさらに行き着いてしまった最終形だと私は思っている(が、世の中には更に逝っちゃってる物も有るんだろうなぁ)。半端なSMを銘打った女優物のAVなんぞ見てられるか!ってクラスですな。もうここまで来ると人権蹂躙当然になってしまうため、ファンタジーと割り切って創作の世界でのみ愉しむのが御の字なわけですが、二番目と大きな差があります。こちらは抜けるんですよ。そう、エロ漫画として機能するわけですな。まぁ、どうかんがえても特殊なのは確かですがw。
例えば投薬物の話やら、ピアスや刺青なんか当然で四肢切断やら穴の拡張、脳をいじくるとかどれもやったら即お縄な話のオンパレード。ふたなりは確かこの人書いてないんだよね。ファンタジーらしいファンタジーを行かないでリアルらしいファンタジーを書いてる感じですね。この系統では『GAMEOVER』の巻末に収録されている「ガッツまりん」や『デスフェイス』に収録されている「マテリアル」と「デスフェイス」なので少なめ。だが、それがいい。ちなみに私はここがツボ。あんまりこういう方向性の話を書く人が居ないんですよね。居ても書ける媒体が制約されているし。四肢切断の通称ダルマに姫雛と女雛の名を冠した岡すんどめ安宅篤)さんも亡くなっちゃしねぇ。こっち方面で期待できるのは三話出版のComicフラミンゴぐらいですかねぇ。とはいえ最近手にしてませんが。
最近は四つ目が芽吹いてきてる感じがします。単行本にもなった『まいちゃんの日常』はギャグの抜けた話ですが、体裁はギャグですね。もともと『GAMEOVER』に収録されていた単発キャラらしい「まい」が主人公の話ですが、ほとんど二番目な内容なのだけれど、「死なない」っていう要素を付け足しています。これは笑いのないギャグを、ギャグの原意「黙らせる」というギャグを体現しているんじゃないかなぁと思ってますが、単なる気まぐれなのかも知れませんね。
ちなみに最新作の『Y式解体新書』はまだ読んでません。この人の抜けるエロが読んでみたいところですが、作者が猟奇好きだからなぁ・・・。期待する方が間違ってますか。そうですか。
三番目の方向に興味のある人は岡すんどめの『姫雛たちの午後』や万利休蜈蚣melibe(「斉藤佳素理」と「冬長」でも活動)、魔北葵、鰤てり、柿ノ本歌麿海野やよい、やまたのをろち、このあたりを読んでみるといいかと。柿ノ本歌麿は一番氏賀Y太に近いところにいる人物かも知れませんね。スプラッタにしないで女性を壊すというところに漫画を書くことの執念をぶつけているようですし。やまたのをろちさん商業で復活しねぇかなぁ。(ぼやき
ま、この人の本は怖い物見たさやら、嫌がらせじゃないとほとんど機能しないんだろうなぁ。作者がそれを折り込み済みだからいいんだろうけど。