石田衣良 ブルータワー

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あらすじ

瀬野周司は死に瀕していた。余命は1、2ヶ月といったところか。体をむしばむ悪性腫瘍は脳の運動野の周辺を冒しているため外科的な手術は絶望的だった。勿論化学療法や放射線治療も行ったが、健康な細胞すら殺す化学薬品となんの効果も及ぼさなかった放射線治療が残したのは頭髪が抜け落ちるという惨めな結果だけだった。腫瘍は周司に苦痛とフラッシュバックを生んでいた。苦痛は薬で散らすにしても、フラッシュバックはいつも辛い場面ばかりだったから精神がまいるのも致し方なかった。今日のフラッシュバックは癌告知の場面だった。何度繰り返しても絶望感が紛れることはない。五年生存率がたった7%だというのは・・・。
そんな周司の元に久々に元の職場の同僚が彼を訪れた。かつての部下荻原邦夫は営業部企画参加の課長で現在の上司だ。関谷幸則は知性派、手島宗平は肉体派の心強い部下だった。また女性の部下も一人来ていた、武井利奈だ。だが彼には取り残された気分だけが残り、惨めさがますばかりだった。帰りしなに一人戻って来た利奈はそんな周司にまた一つ積み上げられた絶望に加わる事実を告げた。妻の美紀が浮気をしているという。妻との仲が冷めて随分経つ。何も周司の病気が発端というわけではない。もはや周司は死ぬのを待つだけの体だ。自分の足で動き回ることは疎か身の回りの世話も美紀に頼りきりになっている。重荷に感じるのも無理はない。だが、周司には分かり切っていることでも、こうやって突きつけられることが彼の感情をかき乱した。夫婦の問題であってなんの権利でもってそんな話をするのか!怒りを叩きつけるように発散した。ナイチンゲール気取りならば願いを一つ叶えてくれ。彼女にむかって裸を見せて欲しいと言ったがもう鼠蹊部の一物は役に立たない。彼がしたかったのは人間未満の自分を見せつける悪趣味で自虐的な魅せる側と観る側が逆転している一種のショーだった。それは自身を惨めにするだけだったが、周司を好いているという利奈を諦めさせるための方便でもあったのだが、成功はしなかった。彼女はただ、裸体で周司を包み込むだけだったのだから。
事実は二つ残った。一つは自分は死ぬと言うこと、もう一つはその死で幸せになるかもしれないカップルが居ると云うこと。つまり、荻原と美紀のことだった。
会合が終わった後、いつもの頭痛が始まった。薬を飲んだのだが上手く利いているとは言い難い。現実感を失った世界の合間でしばしば彼は幻視をしていた。気を失っている間に見ているらしい。また短いまどろみの垣間見せる脳の見せる幻想なのだと思っていたが、激しい頭痛の後に広がった世界は薄ぼんやりと煙っていた。どうやらひどく高いところから見下ろしているらしい。周司はそこが未来の日本で在ることを後に知る。単なる脳が見せる妄想では無かったのだ。そこでは彼はセノ・シューと呼ばれ青の塔と呼ばれる全長2kmのハイパーストラクチャーの政治を司る三十人委員会の委員の一人だった。かつて分裂した中国が西と東に別れ、互いに覇を競い、戦争に突入し西側がインフルエンザを改変したウイルス兵器を撒いたのだという。それは「黄魔」と呼ばれ、ワクチンすらはねとばす複雑怪奇な構造によって罹患者の87%を死に追いやる絶望的な厄災を世界に振りまいた。やがて世界は「黄魔」対抗できずに国という枠組みを失い、塔と呼ばれるハイパーストラクチャ毎の自治がなされるようになる。当然どれほど大きい建物であっても収容人数は限られてくる。世界は悪夢としか思えない「選別」の後に晴れ渡った氷河期をやり過ごそうとしていた。勿論塔の外で生活している者も居ないわけではないし、塔の階層毎にれっきとしたカースト制度が敷かれていた。民は抑鬱状態にあったのだ。現在の青の塔は階層格差をなくす方向に議会が動いていたが、事態は逼迫しているようだ。テロ集団が自爆テロを起したり、武力衝突も珍しくないのだという。周司はそこでセノ・シューとなり、元の自分の部下達と名前の似たメンツと出会い、世界を救おうとする。

感想

石田衣良の本4冊目のこの本は作者初挑戦のSFものです。
ニューヨークのツインタワーこと世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んだ911テロが動機になって書かれたという本作。なんでも「絶対に塔が倒れない話が書きたかった」そうな。ただ、話の構造はかなり簡単のなのに対し、作り込みはそこそこきちんと行われてます。エンタメとして読むのに申し分のない話だと思います。簡素にいうと精神が未来に飛んで過去と行き来をしながら世界を救う救世主ものなのでSFというよりFT向けな内容ですね。作者はウイルスのディティールに拘ってますけど、未来の世界の構築を理詰めで全部行うんでなくて、理想を相当量差し挟んでいるので、ハードSFの読み手には物足りないかなぁとは思います。例えばテクノロジーの片鱗は見せるものの、その動力だのアーキテクチャだのの偽科学な内容に興味を持つ人には、プロセッサの能力を実行するプログラムで乗り越える等という天と地がひっくり返るような事柄が起こったら冷めちゃうでしょうしねぇ。おそらく作者はそこら辺はターゲット層に組み込んでいないのでしょう。
主なターゲット層は大多数が十代から二十代、それに主人公の年齢とオーバーラップするぐらいの少数の人達でしょうか。ほとんどは宮部みゆきの「ブレイブ・ストーリー」や「ドリームバスター」あたりと被る感じですかね。ラノベじゃなくて小説が読みたいと思っている人たちが読み始める感じでしょうか。ま、大差ないと思いますがね。石田衣良の文章は取っつきやすいし、読みやすいのでそういうのに向いていると思います。
ちょっと辛いことを言わせて貰えば、話の構造から着地点が見えすいていて、収まるところにしか収まらない予定調和が効き過ぎな気がします。ウイルスについての話がメインで映画化もされた『ホットゾーン』*1とかなりストーリー的に被る面もあります。それを差し引いても正直作者の作品込める優しさは手心って量ではないですわな。過酷な現実に追いやられても救いが見え透いて居るんですわ。勧善懲悪物と救世主物は大体のひな形から出ない形のままだと少々未熟な感じがしてしまうんですよ。それを補うために精神のタイムスリップと脳腫瘍を用いたんでしょうけど、SFというにはあまりにも飛躍が激しすぎるわけですわ。でも、そんな説明をすると物語の雰囲気と流れを台無しにしかねないので出来なかったんでしょうね。発想と着地点がどうにもFTから抜けきらないので優しさをそぎ落とした作品が読みたいなぁとか思いました。自身でSFだと言わなければ、特に問題なかったのになぁ。正直『そこでモノリスですよ!』とか思ったりもしましたし。
なお、今回も内容に愛の賛歌は入ってるので、それを期待しているならば読んで間違いはないでしょう。
エンターテイメントとしてはごく普通に楽しめる作品です。世界観のディティールは拘らなければ気になる物でもありませんしね。しかしまぁ、過去と未来の人物の名前をほとんど一緒にして、読者に混乱をもたらさずに上手く感情移入させる方法にはちょっと感動。手法として珍しいですよね。というか、普通出来ないし。
新しい面白さを求めている人とSF小説と思って読み始める人以外はすんなりと楽しめる話。
80点上げたいけど、75点。面白いんだけどね、幸福の絶対量が足りない。是が非でも読むのを勧めたくなるほどではないしねぇ・・・。

蛇足:本書はエドモンド・ハミルトン著の「スターキング」へのオマージュらしい。読んでないから何とも言えないなぁ。また、章に付いている題に「夜きたる」があることから多分SF作品からのもじりとか入ってそうなんだけど、アジモフの「夜きたる」以外は分からなかったなぁ。それともたまたまなんだろうか。

参考リンク

ブルータワー
ブルータワー
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石田 衣良
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*1:映画は『アウトブレイク』という題