浅田次郎 シェエラザード(上・下)

あらすじ

一度の過ちでキャリアと妻子を失った男、軽部順一は元自衛官というヤクザの日比野義政と自棄酒の席で出会い、数日後には街金の業務に落ち着いていた。企業舎弟という奴だ。元の職は銀行員だったため、さほど業務に問題はない。軽部は荒事をこなすのが仕事というわけでもないので当たり前のデスクワークをこなしていった。当然日比野の親となる共道会の山岸修造とも引き合わされた。
日比野は共道会でも直系扱いで、軽部の任されている栄光商産も直参旗本のようだった。他のペーパーカンパニーとはレベルが違う。
軽部は妻子を失った変わりに栄光商産で自由と時間と金を得ていた。危ない橋を渡っているという実感はあったが、特に気にはしていなかった。

ある日、台湾政府の密使と称する宋英明という老人が接触してきた。当然日比野と軽部に対してだ。いぶかしみながら二人は相手方に出向く。
出迎えたのは上品な物腰の老人だった。置物のように動かないボディーガードを横目に二人は老人に用件を聞いた。
「百億用意してもらいたい」
金を用意してもらいたいと言った老人から出た言葉は非現実的な額だった。当然小国の国家予算並みの金など二人に都合できるわけがない。だが、相手は上手だった。よほどこちらの事を調べて回ったのだろう。共道会の親父の義兄弟を仄めかしてきた。恐らく政界のフィクサー小笠原源太郎の事を指しているのだろう。確かに小笠原が出張れば百億ぐらい簡単に集まるだろうが、まずは詳しい話を聞かなければ判断も出来ない。先を促すとこの先を聞くか聞かないか決めろという。迷ったすえ覚悟を決めて聞く事にした。
老人は現在他に二つのルートでこの話を進めているという。一つは政界、もう一つは財界だ。更に金の使途は台湾沖に沈没した船の引き上げ費用だという。船の名前は弥勒丸といい、引き上げにはなんとしても日本の力でやり遂げたいという。大陸や米国からの誘いもあったらしいが、道義的な問題で断ったらしいのだ。船の中には錫時価三十二億円相当の現物が眠っているらしいが足が出る。老人は船の積載物がそれだけではないという事を仄めかしながら二人を帰すのだった。
すぐさま軽部と日比野は独自に情報を得るために動き出した。軽部は弥勒丸を、日比野は政治家と瀟洒のルートをあたりはじめた。
軽部は弥勒丸の情報引出し口として、十五年前自分の出世のために捨てた女を利用する。久光律子は新聞社の売れ残り古株お局さまとして未だ独身だった。彼女が情報を集めている間高いびきをかいていた軽部だったが、律子に起されて、事情を詰問される。説明なくば資料は渡せず情報はやらぬと強く言うのだった。自身が破滅するかもしれない瀬戸際の軽部だったが、根負けしたように事情を話してしまった。その見返りとして、時価二兆円の金塊が弥勒丸に残っている事がわかったが、お荷物を抱える事になってしまった、律子である。律子は自分を仲間に入れろと訴えたのだ。危険だという事はあらかじめ教えておいたので、それでも入るといった律子を仕方なく軽部は認める事となった。早速律子は会社を辞めるという。
斯くして三人の弥勒丸にまつわる物語がスタートしたのだった。

感想

浅田次郎、「プリズンホテル」シリーズ以外では初の小説ですが、ちょっと期待はずれでした。まじめ一辺倒で書き記されたこの本はちょっとわたしにゃ合わなかったようですわ。
何しろM資金がらみって点で初めにどんびきしましたしね。ま、本書のストーリー的には騙すか騙されるかとかいうのは全然関係ないので、安心して読めるんですが、起伏はあるものの随分緩やかで眠くなる類の感じでした。
本書は中年の男女の仲の修復という側面も持っていたわけですが、美辞麗句を掻き集めたもののすっぱりさっぱり行かない辺りに釈然としないものを感じるんですな。読み始めたの頃は「あーノワールだとこういう女は確実に裏切るだろうな」とか想像を膨らませて楽しみにしていただけに残念。無くしていたアイディンティティとプライドを手にするだけの間柄だとちょっと不満ですわ。もっと内容がハードボイルドならありかもしれないけど、定型から外れている所に居る内容だから難しいわな。
なお、あらすじは現代ベースで書きましたが、本書は二元中継的に昭和20年4月の弥勒丸・シンガポールにもリンクされているので沈没に到るまでの道程もしるされております。ミステリ読み的には主人公に注意せよってところですか。あとラストはかなり残尿感が残るので注意。
「もはや戦後ではない」以降の生まれのわたしゃ全く知らなかったんですが、この話って元ネタがあるんですな。阿波丸事件というらしいですが、全くもってしりませんでした。日本は歴史教育の中で戦前史なんかを封印していますから知らなくて当然と云っていいんでしょうか、心境的に複雑ですが。
二千人以上が死んでいるにもかかわらずカタルシスが無いのは文体が軽すぎるのが問題かと。確かに存在はしているのかもしれないけれど、顔見知り程度の人が死んだ感じに近い。ああ、可哀相だなとは思うけれど表層で思うぐらいで10分後には頭から去っている。そういう感じだと、人数なんてもっとどうでもよくなる。大地震が起きた場合にどれだけの被害が出るにしろ、自分が痛みを受ける側にいなければ漠然と数字だけがただ在るだけだし、人間なんて実際に近い体験をして居ないと切迫感が無くて想像力だけで補うには限界がありますな。タイタニック以上の人数が死んだらしいが、もはや記憶ではなく、記録に残るだけに留まっている事件だと言えます。被害者遺族には悪いですが、運が悪かったという言葉に尽きるんじゃないでしょうかね。
少し調べてみたらNHKでドラマ化されていました。なんかDVDのあおりで『戦争のもたらす悲劇を壮大なスケールで描いた感動巨編』等と書かれているんですが、ドラマはどの程度か分からないものの、小説の出来はそれほどでも無かったですよ。泣かせ屋的個人位置付けが脳内にあるのですが、その中でもトップクラスの浅田次郎の作品でもこれはちょっと・・・。なお、DVDの販売あおりに見られる「DVD NAVIGATOR」データベースのレビューの直木賞受賞作ってこのシェエラザードじゃありませんから!浅田次郎直木賞受賞したのは鉄道員(ぽっぽや)ですから御間違いなく。65点ってところだろうか。

今日の引用


土屋和夫曰く「人を愛することが生きる理由になるのなら、戦など起こりようはないじゃないか。少なくとも、死ぬまで戦う人間は一人もいやしない。誰だって、誰かを愛しているんだから」

浅田次郎 「シェエラザード」上巻より

参考リンク

シェエラザード〈上〉
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講談社 (1999/12)ISBN:4062096072
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講談社 (2002/12)ISBN:4062736098
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