藤水名子 風月夢夢 秘曲紅楼夢

あらすじ

時は一七五○年(乾隆十五年)、所は清の江南の地。
祖父の代に栄えはしたものの、父の代になって一転没落の一途を辿り今では日銭を稼ぐのがやっとという浪人をしている本作の主人公曹霑(そうてん)。彼は詩作をし、小説を書き、絵もたしなむ所謂文化人だった。没落さえしなければそれでもよかったのだろうが、今ではそれをもってなんとか文化を金に換えるように努力している。相当から回りしているが。
春のよき日に彼がブラブラ往来を歩いていると時の天子が江南の地に来ているという事を知る。酷い人ごみなのだ。天子の御付きの連中が金魚の糞よろしく付いて回っているのだろう。父の代に没落の憂き目を喰らっているだけに腹に一物あるものの、彼には武術のたしなみはないし、暗殺を企てるだけの度胸も無い。好色漢の皇帝が江南の地に来るなぞ女漁りに決まっている等と述懐しながら贔屓の妓楼に向かう。昔は高いところにも平気で通ったものだが、今では場末のうらぶれた所がせいぜいだ。そんな場末の妓楼もいつにない忙しさで酒は出されるが、女は他所へ行ったっきり帰ってこない。皇帝の御付きはよっぽど多いらしい。てんてこ舞いの小女に切れた酒を頼むのも気が引ける。手慰みに美人画でも書いてみても全く興が乗らない。
そんな時に耳朶を打つ琵琶の調べが軽やかに鳴り響いてきた。簾を上げた窓からのぞいてみるが、近所には安妓楼の類ばかりで典雅な琵琶の弾き手など居ないように思えたが、どうやら隣家から聞こえているらしい。隣家の庭に女の後姿が見える。今生の王昭君*1とばかりに俄然興奮した曹霑は直接訪ねようと店を出かける、が、運悪く皇帝御付きの近衛兵の隊長とぶつかってしまい、酒の勢いで泥酔状態の隊長をぶちのめしたのはいいが、隊長の貴下の部下五人にコテンパンに熨されてしまう。
それ以来、我が君、昭君を思い浮かべながら変わった恋愛小説を書くことを思いつくのだった。

感想

無学なもんで清の時代の18世紀に生まれた紅楼夢なる恋愛小説を寡聞にして知りませんでした。まぁ、この本で体験する事になりましたが、なにぶん現代日本語に完全にされてしまっているので、恐らく西遊記ドラゴンボール、封神演技とジャンプ版封神演技、三国志演義正史三国志並みの違いはあるんでしょうがそこら辺は翻案として割り切ることにしました。恐らく原書は相当に読み辛いでしょうし。
読むと分かりますが、主人公の曹霑はその紅楼夢の作者という事になります。という事でこの本は曹霑が紅楼夢という小説を書いているのを藤水名子が書いているという入れ子構造になっているわけです。
あらすじでは紅楼夢のあらすじは端折りました。初めは気付きにくいでしょうが、読み進む事によって二つの話を見分けやすくなると思います。アスタリスクで区切っているところで話が入れ替わるので、それに気をつけていれば混乱する事も無いかと。タームで区切られてしまっていてもそのまま続いたり、続かなかったりするのでそこら辺では注意が必要かもしれませぬ。
さてさて、この本で藤水名子は二冊目だったりするわけです。藤水名子は中国の歴史物を書く作家とこれで刻まれましたが、一冊目は「項羽を殺した男」という本でした。*2この本は短編が確か四つ入った本でしたが、先の短編で項羽を殺す話があるくせに、後ろのほうでは項羽が生きている話が入るなど、明らかに構成ミスと思える部分があったためかなり微妙な内容でした。逆立ちしたって誰にも薦められない感じだったのはやむを得ないでしょうかねぇ。人によっては全く気にならないかもしれませんが、時系列が狂うのはケースによっては強烈に興がそがれます。効果を狙ってやったのかもしれませんが、アレに関しては正直脳内卓袱台返しな状態でしたわ。
まぁ余談は置いておくとして、立ち入った内容に入ります。読み応えに関してですがよく言って素麺の喉越しみたいですね。ツルツルしてます。ただ、悪く言うと癖がなさ過ぎるきらいがあります。見た目に関しては悪くないような気がするけれど、何か物足りないって感じでしょうかね。読んでてひたすら思ったのは「腰のないうどん食ってるみたいだな」ですし。言葉遣いは洗練されてますが、なんか80年代の少女漫画みたいなそんな印象を受けますねぇ。まぁ、紅楼夢の恋愛小説的内容が色濃く出ているって事と作者の好む自身の色なんでしょう。「持統天皇」やら「日出処の天子」やらが脳裏をよぎりましたよ。両方とも恋愛を描いているのがなんか共通点でも在りますな。
文庫で読んだんですが、P.800弱の内容にしては実にさらりと読めました。まぁ、普通の文庫本よりも字がでかく感じるぐらいだったので、体感でP.600くらいに感じましたね。恋愛に偏重しすぎない歴史絵巻として読めるようになっているので、普通の冒険譚としても読みました。視点は風月夢夢部分では三人称が主体で所々一人称で独白が入り、紅楼夢部分は主に一人称主体です。それぞれ一長一短あるものの、言葉のキャッチボールは風月夢夢の方が多いですな。紅楼夢はかなり独白が入ります。二元構成なので所々気になる部分も在りますが、総体としてそれなりの出来だと思われます。ただ、個人的には感情を揺さぶるような場面が無かったので、評価が辛くなってしまって60点ってところでしょうか。いや、つまらなくはないんですよ。立て板に水の語りは巧いですし、作品世界は綺麗ではあるものの、少女漫画作家が描いたハードボイルドみたいで好みに合わないんですわ。

蛇足追記:作中に懐中時計が出てくるのだが、18世紀の清で懐中時計ってそんざいするのか?とか思ったので調べてみた。どうやら欧州においてはニュールンベルヒの卵という懐中というより手提げというべき時計が作られているみたいで、時計の小型化が成功したのはこれが走りだったようだが、懐中時計の歴史はようわからん。実際誰が一番初めに懐中時計を作ったのかハッキリしていない模様。ただ、クリスチャン・ホイヘンスによって1675年にテンプとヒゲゼンマイの発明がなされているので大体17世紀末には懐中時計は出来ていたと考えても問題はない気がする。価格的なところを度外視すれば18世紀半ばの1750年の清であっても持っていてもおかしくはないが、当時は時計そのものが滅茶苦茶高い時期なので、その価格は途方も無いんじゃないかと思ったりする。

参考リンク

風月夢夢・秘曲紅楼夢
藤 水名子
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*1:王昭君は中国四大美女として名高い

*2:項羽と劉邦といえば横山光輝の漫画が有名ですな。劉邦前漢の皇帝の座につくわけですが、その前に仇敵の項羽を破るわけです。この二人は戦いまくっていますが、殆どを項羽劉邦を下して入るものの、最後に項羽劉邦に討ち取られる事となっています。項羽が討ち取られる少し前の篭城中に有名な四面楚歌という言葉が生まれました。項羽に対して故郷の楚の歌を謳い投降を呼びかける場面を指しているわけですな