古川日出男 沈黙(rookow)

あらすじ

獰猛な舌を持つ男はシャム(タイ)で終戦を迎える。その才覚で情報部員として有能だった彼だが生に固執するつもりは無いにしろ、ただ日々を地元民を擬態する事で暮らしていた。
男の名前は大瀧鹿爾という。
そんな彼は異国のシャムで妙な噂を耳にする。人を破滅に導く日本人がいるというのだ。そいつは金を持っているらしく、金に困った連中が駆け込むという。しかし、金に満ちても連中はいずれ何らかの原因で破滅する。
主体性をなくした大瀧はその日本人に会ってみようと思い立つ。
そして見つけた男は彼の元上司山室龍三郎だった。同様に情報部の人間であった山室は敗戦をみこおし、金隗を隠して逃げ延びたという。敗戦後では軍票など単なる紙切れだ。
「俺は悪だった。完全なる悪だった」
そう山室は言う。
大瀧は後に気付く事になる。これは永久連鎖のなかの一コマに過ぎないと。

時は下り、世は平成。
美大生の秋山薫子は自分の祖母が二人いるという事を偶々知らされる。最近死んだ祖父の絡みで知ったのだが、母は前妻の子供だという。前妻は母を生みそして産後に肥立ちが悪く七日後に死んだ。
母は自分の母の事を何も知らないという。必然本当の母の血筋との縁はうすくなっている。
祖父が死んだことで祖父が所持していた母の本当の母、薫子の祖母の遺品を整理する必要ができたらしい。母はそのために荻窪へ行って欲しいと電話越しに言う。
薫子は荻窪へ本当の祖母の遺品を受け取り、吉祥寺の喫茶店で一休みしながらそれを何の気なしにひとつひとつ見て回る。その中に祖母あての封筒があり、中に手紙が入っていた。誰かのプライベートを盗み見るような軽い罪悪感を憶えながら手紙を読むと、祖母の姉が妹に当てた手紙である事が分かった。住所を見ると古い区画で現在の住所とは違うために判然としないが、彼女が住まう中野区らしい。好奇心を憶えた彼女は古い記録を調べ、かつて手紙を出したであろう人物が住んでいた家に向かう。
そこには確かに家は存在した。表札には「大瀧修一郎」とあった。

感想

明瞭な一冊ですな。本の中に答えが満遍なく散らばっている。きちんと作者の言葉を読者に伝える真摯な態度には好感を持ちましたわ。
文体はキャラクターの深層を抉りすぎることなく、ほどほどに抑制されて、でもやはりきちんと核心には触れるという、重すぎる事の無い軽快で平易な物で楽しく読めたという感じ。
しかし、内容的には三章から四章への飛躍があまりに激しいので、全体としては不恰好な終わり方のような気もする。まぁ、核心というか作品の底流の要素「悪」、それに対立する「音楽」、書きたいものは書けたといった感は憶えますな。
ただ、この本の分類ってかなり特殊な気がする。観念小説?ん〜適当な言葉が見つからない。ファンタジーっていうのとは相当外れてると思うし、ミステリーというには何がミステリー?っていうのもある。独創性はかなり有ると思う。村上春樹的と言えなくも無いけど、あそこまで読者を考えずに書いていないのであんまり当てはめたくないな。ってことで分類不明。
中々楽しく読めたので80点。

参考リンク

沈黙
沈黙
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古川 日出男
幻冬舎 (1999/07)ISBN:4877283226
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在庫切れ

ネタばれ

蛇足とも言う。
感想として読んでない人に語れない事
ルコという実在しない音楽を如実にリアルにする事に心を配ったが為に、三章から四章の移行の不自然さが際立っちゃたのかな。書きたい事は二章で書いたって感じだし、三章はあくまでも二章の補足。しかし、四章の前段階ともみなせます。四章は終局だし、無限連鎖の始まりの終わり、未だ途中ってことだし。
三章は鬼気迫りましたな。前衛的音楽作品としてつくった音楽は効果としては抜群では有りますが、如何せんあの部分は詳細にやればやるほど読者は引くような。途中でウンザリしましたし。まぁ、元を作って書いたのか、頭の中だけで作ったのか分からないけど、現代美術館とかに展示してありそうな感じですな。
四章で気にかかったのは猫と静さん。あの家を飛び出した理由っていうのが無いしね。猫は連れてこなかったんじゃないかなとは思うけど。ある種のケジメみたいなものだったのかもしれないが、書かれることが無かったという事実はやはり腑に落ちない。
弟のヤケルを殺す事によって円環を成す「悪」となった薫子。ただ、悪は点在するものだし、修一郎ともなったルコは音楽すら手に入れている。故に「悪」であっても死ぬような事はないのだろう。また、「悪」として活動する事ももう無いだろう。ただ、自分の人生というものにかなり無感動に変化しているようなので、薫子はこの先ただ音楽を持ち生きていくんだろうなぁとか思った。
なんだろう、結果的に悪が悪を駆逐し、残った方が悪になる話なんだろうか。なんか牛鬼の話のようですな。しかし、「悪」はなんらの後天的要因で不可逆的にそこら中に存在しうるというコンセプトのようなので、薄気味の悪い話でもありますな。つまり、「悪」は人の中に内在していると。ま、ありきたりの二元論に落ち着かないあたりが実に個性的では有ります。