ねじめ正一 眼鏡屋直次郎

ねじめ正一の小説で初めて読んだもの。
ねじめ正一というとテレ朝のやじうまワイドなんかによく出ていた作家であるという意識しかなかった。実際作家としての肩書きでTVに露出する人は著名では有るものの、作品を読んだ事が無い人が多い。五木寛之とか室井佑月とか石田由良とか岩井志麻子なんかは気付くとよく出ている。
ただ、作家は社会的な発言*1をするために居るわけじゃなくて自身の内面を描いたり、絵空事を活字化するために居るわけで、できれば専業作家として居て欲しいですな。そちらが主なわけですし。従の方に引きずられるのはどうかと。ま、自己顕示欲と金とどちらもそそられる事だろうから止めるのは無理だろうけど。
でも、自身のよく知らない事についてコメントを求められても知識のない状況で感情的にただ返答するだけじゃ芸も無いし、バッシングを生む温床にもなりうるから、極力謹んで欲しいものです。
さて、話は戻ってねじめ正一の略歴について。当初は小説家ではなく、詩人だったようですね。処女詩集「ふ」でH氏賞を受賞後、初の小説「高円寺純情商店街」で直木賞受賞。
・・・才能なんでしょうかねぇ。
作者のHP、ねじめ民芸店はこちら

あらすじ

主人公の直次郎は両親を無くし、祖父に引き取られて育った眼鏡屋の若旦那。祖父から期待をかけられ、眼鏡だけじゃなく、目に関しての医術も学んでみる事になる。やるとなれば、当時の最先端である蘭学という事で、長崎の鳴滝塾シーボルトに師事する事になった。ただ、医術と限定されたものであっても、言葉がついてこない。結局蘭語がネックで医術の道を落ちこぼれる事に。長崎で腐る直次郎が遊郭通いばかりしていると知った祖父は江戸に直次郎を呼び戻すのだった。直次郎は江戸に戻ってもぶらぶらしていたが、ひょんな事から長崎の同期と出会い、シーボルト事件に巻き込まれていくのだった。

感想

なるほど、江戸の時代にも眼鏡はきちんと有ったのだなと得心する作品。確か日本に眼鏡を持ってきたのはフランシスコ・ザビエルで最古の眼鏡は信長に献上されたとか。現在残っている最古の眼鏡はそれではなく、家康が使ったといわれる虫眼鏡状のもので、顔に付けるタイプの所謂眼鏡ではなかったそうな、とか思い出したりした次第。
確かに現在の物作りの精度と昔の精度はかなりレベルが違うといえる。工業化が進み、熟練工が要らない分野が沢山出来ている昨今だ。ただ、人の手でないと無理な工程なども未だに数多くあるのも事実。レンズに関してはほぼ人の手がいらずに、100分の1ミリ精度での厚み調整などもおそらく出来るだろう。しかし、江戸の時代では大量生産の中から一つ一つ藁の中の針を見つけるが如くレンズを組み合わせていくという方法で眼鏡は作られたらしい。本書では眼鏡屋というものを語る上で、眼鏡屋の仕事の内容をきちんと語り、また技術的改善にも言及している。後世だからこそ出来る話であるがそれは言わぬが華というもの。知的好奇心を満たすには絶好といっていいだろう。ストーリーは町屋の人情物という区分でいいだろう。文体は軽やかで清々しさを憶える類のもの。気分転換にはもってこいだろう。点数で言えば80点ぐらいだろうか

参考リンク

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*1:ワイドショーのコメンテーターとか