池上永一 シャングリ・ラ

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あらすじ

時は21世紀、前世紀のツケを引き受けなければならない世界は一つの決断を迫られた。すなわち、炭素本位経済の導入である。
大気中に排出された夥しい量の二酸化炭素はほんの少し排出を制限したぐらいではなんの変化も生まれなかったのだ。地球の温暖化はどんどん促進し、世界中に亜熱帯の地域が生まれ季節は失われつつあった。更に問題なのは島国である。先進国の工業化のツケを水位の上昇という形で国土の消失をただ漫然と眺めるよりほかない地域はあまりに多かった。故に金本位制度から管理通貨制度への移行後再び世界は一つの物質を中心にまわることになったのだ。
では舞台である日本の状況を説明しよう。
第二次関東大震災が勃発し、首都東京は壊滅的な被害を受けた。海抜零メートル地帯は水没し、復旧は困難をきわめてもいた。そして炭素本位制度が導入されたことで排出炭素を減らすことを目標に国は動いていく。排出炭素を抑えることが国毎に課金されている炭素分担金の節約になる為、輸出工業を基盤とした日本としては加工工業を続けるために絶対的不可欠なポイントだったのだ。故に炭素を排出する為にあるとしか思えない都市東京は政府の肝煎りによるごり押しのすえ放棄され、強制緑化の対象となった。勿論その対象となった土地の住人にとってはたまったものではない。政府に敵対する者が現れ、やがて反政府ゲリラとかして組織化されたりしたのも自然な流れだろう。だが、そこに今話を向けても詮無いこと。話を戻そう。
今森の広がる東京には我々には見慣れない物体が天を衝いている。あまりにも巨大すぎて距離感を喪失しそうなそれは当然の事ながら人の手による構造物なのだ。それの名前は『アトラス』、世界を背負った巨人のそれである。アトラスは炭素本位制度の落とし子だ。日本は世界的にも先進的な炭素の基礎技術を持っており、空気中の炭素を凝固させる手法を手にしていた。炭素削減と素材の入手を同時に行えるこの技術は日本の更なる飛躍を支えたのだが、アトラスはその素材「カーボンナノチューブ」で支えられている。「カーボンナノチューブ」は軽くて丈夫とあってメガストラクチャ(超構造体)を支える建材としては最適な物だったのだ。
アトラスは東京から追い出された住民を収容するために作られた、はずだったが、アトラスがいくらでかくても全てを収容するには無理があり、建築が始まって以来20年以上も経つが未だに完成してもいない。
そんな中で人々は二極化を迎えていた。二酸化炭素による温暖化の影響を直で受ける地上で生活をするか、快適な四季を感じることが出来るアトラスで生活をするか、という二極化だ。全員が入ることが出来ないアトラスは抽選制によって入居者を制限していた。アトラスに入ることが出来ない人々は熱帯雨林と化した旧市街地で藻掻いていた。バイオテクノロジーでコンクリートさえも穿ち、繁茂というには生やさしすぎる地獄を出現させていた大地は人間を拒み、スコールの度に大洪水を引き起こしていたのだ。生態系は完全に亜熱帯のそれに変態を遂げた森林は人間に牙を剥き、弱い者から夥しく死んでいく。それでも大地と縁を切れない難民達はその森と対峙していた。世界的に緑化が推進される中、急進的に無理を押し通そうとする日本政府に対抗するため原始の火を武器に戦いを挑んだのだ。森を焼けば炭素が生まれる。今や世界中が国連の人工衛星によって監視されている。巨大な熱源を察知した人工衛星イカロス三号はその国に対して炭素分担金を引き上げる。やり方は原始的でも効果的に示威行動を行えるというわけだ。
物語は北条國子が関東女子少年院から出所するところから始まる。彼女は反政府ゲリラ「メタル・エイジ」の次期頭領と目される人物である。彼女には少し不思議な能力が有った。神懸かり的な直感と人を安心させる術である。それだけでもカリスマぶりが想像できるがもう少し人となりを解剖してみよう。
彼女は血の繋がりのない祖母に引き取られたことになっている。つまりは肉親との交流はゼロなのだ。彼女は実の父親と母親のことは知らない。引き取った当の祖母は「メタル・エイジ」の頭目である。数々の小競り合いを政府と繰り広げてきた歴戦の古強者であり、出口の見えない戦いを未だに続ける狂信者だ。だが、寂しさを彼女は知らない。何故ならば両親を知らずともそれを代替してくれた人物が居るからだ。その人物を外見で判断するなら絶世の美女である。スタイル抜群でコケティッシュな姿態をみて女性と疑う人物は十中八九居ないだろう。だが、染色体的に判断するならば厳然とした男性であることも事実なのだ。かつて柔道の日本代表にもなったことのあるその人物は現在モモコと名乗っている。そう、彼女はニューハーフなのだ。男性と女性のいいとこ取りをしたモモコが國子を育てたと言っていい。ある時は父親代わりを、そしてそれ以外は母親代わりを、更には格闘術の師匠でもある。モモコは國子にとって特別な人物であった。
そのモモコは國子を迎えに関東女子少年院に自動車でやって来た。そうして「メタル・エイジ」の本拠地に帰るのだ。森を切り開き、難民を収容するためにつぎはぎだらけになった「ドォウモ」と呼ばれるアトラスの鏡、ゲリラの故郷へ。

感想

池上永一二作目。沖縄出身の作家だけに地元ベースの小説作りが基本でしたが、今回の舞台は未来の東京ということでちょっと毛色が変わっています。とは言え、つきものの超常現象*1は出てきますし、一応沖縄の言葉も少しですが出てきます。
あらすじは設定だけに絞ってみました。だって情報量が多すぎるんですもの。ストーリーその物にはほとんど触れていない訣ですが、このストーリー部分はあんまり深く考えても仕方ないので楽しむことだけ考えて読めればいいんじゃないですかねぇ。
タイトルの『シャングリ・ラ』(Shangri-la)とは英国作家のジェームス・ヒルトンがチベット語の「シャンバラ」から作った造語です。大意は所謂楽園のことですね。一般的に楽園というものは平和であり、太平楽であり、満たされた地を指します。メガストラクチャ「アトラス」をシャングリ・ラとするならばそれをめぐる闘争と権謀術数の物語と云うことになるわけですが正直平和ではないですな。とはいえ、的を射た表題であることは間違いなさそうです。
今回のテーマは未来世界における「自然との調和」と「経済の相関性」と「技術の行方」あたりですかねぇ。そこに作者が創作の核心とする軍事力の問題が重ね合わされて形作られているように思えました。やはり沖縄に基地があるだけにセンシティブな部分としての軍事力に興味があるようです。と言ったもののあんまり自身はありません。だって作者の作品は他に一つしか読んでないからね。沖縄ネタも固有の創作テーマだけど個人的には合わないからなぁ。方言出されると読む気がなくなるんだよねぇ。岡田芽武の『ニライ・カナイ』って漫画があったけれどあれも全編沖縄語が出ずっぱり。もはや方言と云うよりも古沖縄語と云った方が正しい独特の語感が正直鬱陶しかった。呪術っぽさを演出するのには向いているとは思うけど親しみとか暖かさとかを無条件に押しつけてくる感じがローカルな方言には有りますよね。ま、今回は一箇所だけなんで気にせず読めましたけど。
内容を噛み砕いて云うならば、本作はラノベにありがちな近未来世界の超能力救世主が活躍する話と云えるかもしれない。それだけだと実に卑近な感じがするが実際はもっと丹念に肉付けが成されているので比較的読める小説に仕上がっている。ハードSF一歩手前って感じかな。まぁ、ニュータイプに連載されていただけにアニメっぽい体裁なのは仕方がないのだとは思う。主人公は女で登場人物のほとんどが女だらけ。メインターゲットがどんな層か容易に想像はつくよね。加えてどこか時代錯誤の設定が時代は繰り返すとばかりにクロスすることで郷愁を誘い、ファンタジーっぽさも演出している。更にひと味加えるのはコミカルなニューハーフ二人だ。なんかニューハーフが出てくるってあたりで今敏の『東京ゴッドファーザーズ』が浮かんだりしましたがちょっと違いますね。まぁ、ミクスチャ小説というよりは単純にエンタメ独走、荒唐無稽上等、「面白ければそれで良し」を体現したような形に仕上がってはいると思います。でもその分荒削りすぎるところが目立つので私はそういう重箱隅が気になっちゃいました。ようするに漫画のノリなんですよ。「死んだはずのあいつがまだ生きていた!!!」が×数回繰り返されたら人は馴れちゃいますよ。急転直下紆余曲折快刀乱麻の活躍の影に悲劇が顔を覗かせてこそ引き立てられるわけで、宮下あきらの如く何度も死人になったはずの人物を生き返らせたりするのはどうなのかなぁ。まぁ、ここら辺が漫画っぽいって云うかアニメっぽいっていう部分なんでしょうねぇ。それに『アトラス』の究極目的も拍子抜けだったし、首都放棄をするぐらいならば、アトラスにしがみついて首都を維持せず各地に機能移転した方が確実にコストは小さいしメリットも大きいよね。天皇タブーが云々と作者はあとがきで書いているけど、なんか「本土がどうなろうと沖縄人の自分には関係がない」っていうスタンスを婉曲に伝えているように思う。ストーリーと相まってなんか途中でアホらしくなって来ちゃったよ。まぁ、炭素経済云々は現在の経済制度がまやかしの上に成り立っているっていうイロニーだろうね。あと「東京の顔」となる建築物が見つからないと嘆いていたみたいだけど、ここまで密集している都市は世界中見渡しても稀なぐらいなんだから、漠然と「東京」と云ったところで無理でしょう。一点豪華主義や明治大正の頃の建築物と違って仰々しくする必要性が無いわけで。ま、最終的に皇居って事になったみたいだけど、作者の云っていた「東京は緑が溢れている」っていうのは実は正解。皇居の林のあたりとか新宿御苑とか実は東京には自然はかなりあります。昼間に東京にいる人口あたりの面積は小さいかもしれないけど、先進国の首都としては無闇やたらに緑が多いのです。ただ、商業地があまりにも多すぎるためにそれがわかりづらいわけですな。
ま、そんな話はさておいて。この本を読み始めてナウシカを連想しない人は居ないはずです。反政府ゲリラの次期頭目で一流の戦士でもある。無鉄砲でありながら無双、おまけに自然との闘いまで含まれるならば連想しない方がおかしいです。アニメっぽさっていうのはこんな所にもあるんでしょうねぇ。
あと気になったのは作中のノリです。陽性のお祭り騒ぎって言う感じなんですが通常対極の存在やなんかも有ったりして天秤の釣り合いがおおむねとれたりするはずです。でも本作は陽性に傾きっぱなしなんですよね。陰性の人物が出てきたかなぁ、と思っても陰性の迸る情熱を陽性に伝えてしまう。この本には罵りが圧倒的に足りません。そうdisって奴です。エルロイ的な悪人が0なのでなんかしらけちゃうんですよねぇ。シリアスなはずの場面でも戯画化された存在同士のやりとりになってしまって妙に明るくて躁的だったりするわけです。独特といえば独特ですけどちょっとねぇ。
70点
大風呂敷を広げて畳んだ手並みはお見事、ただ評価は読む人に寄るんじゃないかなぁ。この世界観のドライブ感が合うなら最上級のエンタメかも。広い層に受けそうだけど駄目な人は駄目だろうなぁ。
蛇足:ニューハーフの銀って一体何なんだ。
蛇足の蛇足:ドォウモって「どーも」と「Doom」と「Dome」の三重の意味があるのでは無かろうか。ま、作者にしかわからんが。

参考リンク

シャングリ・ラ
シャングリ・ラ
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池上 永一
角川書店 (2005/09/23)
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池上永一の他のエントリ

レキオス

*1:『レキオス』だけで判断ということでかなり適当。流して良し