古泉迦十 火蛾

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あらすじ

ファリードという小説家兼詩人の男は聖者達の逸話や伝承をペルシア語によって記録編纂することを志して諸国放浪をしてきた。その旅から戻ってきてからは、アラビア語文献にまみれて聖者の列伝を紡ぎ上げることに勤しんでいたのだが、とある高名な聖者に関する噂を耳にする。様々な宗派の採話をしてきたファリードだったが、そのあまりに謎に満ちた宗派に関しては傍流にせよ全くふれあうことが出来なかった為に勢い込んで遠路はるばる取材の旅に出かけることにした。
長旅の果てに出会った聖者はただアリーと名乗った。全体的に細く尖った顎に蓬髪と鬚勝ちた面相、それに痩身を粗末な衣で覆うその様は見るからにみすぼらしかったが禁欲的な神秘家的な雰囲気は確かにそこにあった。そしてアリーは物語を綴るファリードのために物語を紐解き始める。

それはアリーという名のスフィー(イスラム神秘主義者)*1の物語。物語はアリーの身の上の説明より始まる。
アリーの宗教体験は祖父の信仰より始まった。祖父はゾロアスター教徒であった。アリーはゾロアスターの教えの原体験を祖父の死と関連して記憶することとなる。ゾロアスターにおいて葬儀は鳥葬なのだ。鳥葬である理由、それは大地を流血や肉体の出す汚濁によって汚すことを良しとしないためだ。肉は鳥によってついばまれ、汚濁はやがて風によって浄化される。鳥葬は信徒にとっては貴い行為である。しかし、幼子にとってついばまれる死体はショッキングであった。そのおぞましさが幼いアリーに植え付けられた後、イスラームに改宗していた父の影響でアリーもイスラームに親しむこととなる。しかし、アリーは父の信仰するシーア宗にも疑問を持つようにもなる。シーア宗はイマーム(宗教指導者)を信仰するにも等しく*2偶像崇拝を禁じているイスラームの教えに背くものだということをアリーは感じたのだった。イスラームにはもう一つスンナ(スンニ)宗という大木は宗派があるが、アリーは雑多なスンナ宗*3ではなく、もっと純粋に神へと近づく為にスフィーへの道を選んだのだった。
スフィーとなるためにアリーは道場で修道生活を始める。世俗と別れ、導師の指導を受けつつ学ぶアリーは五年の時をアラビア語文献の中で過ごし、教団の中でも次第に特別な地位を占めるようになっていったのだが、ある日導師にウムラ*4を申し渡される。アリーはそれを受けて翌日旅立つのだが、数ヶ月かけてなお旅の途上の砂漠で聖者と出会い、修行の場を教えられる。その山でアリーは聖者ハラカーニーと出会うのだが、殺人にも遭遇してしまうのだった。

感想

古泉迦十初読み。とは言えこの人はこの人は2000年九月にこの本を出して以来、一冊たりとも他に出していないので下手したらこれで打ち止めかもしれない。丸々五年以上沈黙ですからねぇ。講談社にすでに切ってるかも知れない。なお、第十七回メフィスト賞受賞作品なのは読むことになった脈絡から察してください。
えーとまず読み出して思ったのはイスラーム世界に確実に疎い日本人を相手に書いた本にも関わらず文化や宗教的語句の説明が極端に少ないって所あたりかな。たまたま前回読んだのが同じくアラブを舞台にした物語だったけれど、こうも違うもんかね。淡々とルビを振られて表される言葉をそのまま何の補足も無しに使ってしまうあたりに危うさが感じられます。わざわざ疎い世界観をモチーフとしているのだから出来る限り衒学的であっても色々描いた方が良かったんじゃないかなぁ。出来る限りスリム、余計な物をそぎ落としたいっていうパズラー的な部分を重視してたんだろうけど色々気になって自分で調べることになっちゃいましたよ。
それにしても語句的説明が少ないにも関わらず延々哲学的論理性で問答を続けるのには飽きが来ますね。それほど目新しい部分は無かったなぁ。手続き的に読み続けるしかなかったのはマイナス点かと。面白くもない追体験が場を占めているわけだしねぇ。唯一感銘を受けたのは「死者から教えを受ける」とかいう宗派が存在するって所かな。正直メタ部分で面白かったのはそこぐらいかと。
作者の文体はどこか静謐さをもった静的なもので、感情の隆起よりもシステマティックな論理を好んでいるように思った。正直物足りないかなぁ。本作は結局の所メタ的な部分を使ったメタだけで一応は完結している殺人を描いているけれど、最終的にだから何?っていう答えにたどり着いてしまう。実際の世界においては引き算にも足し算にもならない定量的な無意味さに回帰してしまう論理性は、確かにそれで完全を保っていて循環しているんだろうけれどやっぱり物語としての面白さは引き出せてないと思うんだな。「全てが一に収束する」なんていうのはその為にイスラームな世界観を使ってますって事だろうけど、ミステリ特有の予定調和的白々しさが目立っちゃうんだよね。好きな人であれば気にならないんだろうけど論理面にあまりにも傾きすぎた内容だったから拒否感は持ったなぁ。
イスラム世界だとか、十二世紀の頃だとか、リアルスティックな物語からすればあくまでも補足的事項に過ぎないわな。ファンタジックな内容なんかにもきちんと説明が付いてしまうし、なんか居心地の悪さを感じてしまったわ。キャラクターの無機さ加減はほとんど無かったのに残念。
パズラー向き。
50点

参考リンク

火蛾
火蛾
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古泉 迦十
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*1:より正確に言うならば、ジャイナ教徒や密教徒の様な己を高めるために修行を重ねる職業的宗教者のこと。俗世から離れて隠者として生活し、神との合一を求める。

*2:より正確にはシーア宗(派)の場合、預言者であるムハンマドの従姉妹で娘婿でもあるアリーとその子孫だけがイマームとして相応しいと主張する。故にその系譜を重要視していたが、十二代でその血筋は絶えてしまう。それ以降シーア派はその分派であったカイサーン派の「指導者が死んでしまったのはあくまで終末まで隠れているだけであって、終末には再臨する」というガイバ(隠遁)という概念を取り入れて、誰が救世主かという事で分派がいくつかできる。ガイバそのものはえらいこじつけだと私なんかは思ったりするんだが・・・

*3:元々シーア宗との違いはムハンマド以降の預言者としてシーア宗ではアリーだけを後継者としたのに対して、スンナ宗ではアリー以前に三人のカリフ(最高権威者。とはいえ、預言者代理人という側面が強く、宗教的権威は持たない)も認める結構大雑把な宗派だったようだ。スンナ宗の場合はあくまで預言者ムハンマドハディース(言行録)とコーラン、慣行(スンナ)、合意(イジュマー)、類推(キヤース)を指針としており、イマームの指導を必ず必要とはしないところがシーア宗と異なる

*4:季節はずれの自発的巡礼のこと。小巡礼とも。巡礼とはメッカのターバ神殿を七日かけて参詣する行為のこと。