佐藤友哉 エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子と着せ替え密室

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あらすじ

予言者鏡稜子の来歴を始めよう。高校時代の彼女の足跡は凡人にもわかりやすい血塗られ具合だ。ただし、それは彼女の所為では決してない。周囲を彩る級友たちの思惑が交錯し、あくまで彼女は傍観者たろうと画策したのだろうから。
人並みの食物を受け付けないことでカニバルに走らざるを得ない山本砂絵、殺人者の娘ということでいじめられる古川千鶴、転校してきたカリスマ溢れる須川綾香、ドッペンケルガーに襲われてドッペンケルガーに居場所を盗まれた葉山里香、コスプレをすることで日常から逃避する香取羽美、密室で何者かに殺されたとみられる島田司、千鶴を虐めるグループの田沢と中村と石渡。
これらがそれぞれ動くことで物語は流転する。
ただ平凡を求めただけなのに、何も期待していなかったのに、日常は激変を遂げる。
残るのは逃避と敗北、そして悔恨のみ。

感想

佐藤友哉三作目。鏡家サーガ第二弾です。
一応密室的事件を内包していますがこれはどうひいき目に見てもミステリーとは云えないようですねぇ。最終章で作者が語るようにこの物語は終幕が着地点ではなく単なる通過点に過ぎず、過程のみを見るべき作品となっているように思います。だから、その内容に何らかの意義を見出さない限り楽しむことは難しいというか、不明瞭不分明故に惹かれる要素次第という博打状態ですわ。あるいはこれはサリンジャー的な作品感を強く意識しているのかもしれませぬ。でなければこんな雑多な状況の個々を纏める気があるように思えない作品が生まれないでしょうしね。既存の物語のセオリーたる部分を否定し、新奇さを打ち出しているようにも思えますが、サリンジャーの我流クローンの域を出ていないように思えますよねぇ。まぁ、ミステリーを書く気が全くないように思えるという点で正直何がしたかったんだろうか?という疑問は生まれます。これが作者にとってのミステリーだと言うならば、謎の提示は殺人ではないでしょう。人間というものの本質を問うているのかもしれません。でも明らかに十分とは言えないような・・・。試行錯誤の過程と好意的に解釈するのも有りですけど、ファンの人は何を求めているのかなぁ。
とりあえず本作も前作と同じくサブカル要素が存在します。最たるものはコスプレでしょう。「日常と非日常を演じ分けること」と「なりたい自分に変身する」という要素を満たすのがコスプレです。登場人物のコスプレ少女は実に内省的にその行為を見つめます。しかし自身を解剖的に俯瞰して分析をしたのにもかかわらず誘惑に抗しきれない人間の脆弱さをここに見ることが可能です。ふむ、もしかしたら脆弱さというのがキーワードの一つなのかもしれませんな。キャラクターをそれぞれ見ていくと唯一鉄壁なのは鏡稜子ぐらいでしょうし。弱いからこそ人間なのか、人間だから弱いのか、前者と後者では論調に相当の差があることですし一応保留で。
この本の表面的な二本柱はカニバルとコスプレですが、比重は明らかにコスプレに傾いているでしょう。だからこそ「きせかえ密室」なわけでしょうしねぇ。それにしてもコスプレに関するあたりで出てきたオタクの常識ネタがきちんとどれだけの人に分かるものやら・・・。腐女子方向へ激しく舵を切っているのもあるし、一部は晴海あたりあるいはそれ以前を知らない人には想像の外であろうから厳しいような。サムライトルーパーの主人公五人を即座に言えるような人にとってはいろんな意味で問題ないんでしょうけど*1。そういえば栖川綾香って明らかに来栖川綾香から来てるだろうし、羽美は勝手に改造から持ってきているとして、古川千鶴は痕の千鶴さんからだとすると他のキャラも元ネタがあるのかな。他のキャラにはちょっとピンと来ないなぁ。
ま、前作ほどの勢いはないかなぁ。ラストを読むに未消化感が募るだけ。禁断の一言が言いたくなる。
「で?」と。
これ単体で読むことは薦めない。続編次第だろうなぁ。
40点
羽美にメガネを着用させなかったこと、つまりは記号化をしなかったことが西尾維新との彼我の差じゃないかなぁ。こういう作風なのに真面目すぎるわ。

参考リンク

エナメルを塗った魂の比重―鏡稜子ときせかえ密室
佐藤 友哉
講談社 (2001/12)
売り上げランキング: 8,215

*1:別の方向から明らかに問題があるけどね

海堂尊 チーム・バチスタの栄光

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あらすじ

高階病院長に呼び出された俺は居心地が悪いながらもその景色に見とれていた。といっても室内に限定されているわけではない。窓から見える風景、高層からの景色と重厚な権力を感じさせるこの部屋は陣頭指揮を執る人間に許されたささやかな居城に過ぎないのかもしれないが、こういう物を見るとつくづく自分が大学病院という組織のシステムからつまはじきにされている事実に思い至る。しがない下っ端医師には縁がない話だ。
そんな俺、田口公平はこの権力の間に呼び出された理由に思い至る節が全くないので少し面食らっていた。功績を立てたわけでもないし、俺が個人的に高階病院長と親交があるわけでもない。ましてや叱責される様な酷い失態はここ最近遭遇してすら居ない。大体愚痴外来と揶揄される閑職の不定愁訴外来で問題らしい問題が起きるわけもないのだ。血を見るのが苦手で外科を選択肢から早々に消したからこそ俺はここにいる。手を抜こうと思えばいくらでも抜けるし、事実抜いているのも事実だ。それでも居場所があるというのは心地よい。ただ他を知らないだけかもしれないけれど。
さて、不定愁訴とはなんぞや?と首を捻った方もいるだろう。要するに体の具合が悪い兆候が検査で全く見られないのに本人は本人が不調を伝えてくる、という事だ。症状は患者毎に色々ある。倦怠感に抜けない疲労感、微熱が出ているのではないのか?という感覚に頭痛に動悸、耳鳴りに四肢の冷感などが代表的な例だろうか。診療を俺がするわけだが、やることはただ一つだけ。患者の言葉に耳を澄ますと云うことだ。コンセンサスをとることが最も重要で、他に代替するような行為は一切無い。不定愁訴をしてくる患者というのは大概この病院で診療、治療を受けた患者だ。通常の医療行為としての診療の場に度々問題ないはずの人物が割り込んで来るというのは一種の妨害行為に等しい。そういう患者を一手に引き受ける、有り体に言えばそういう側面があるから厄介払いの終着点みたいな場所でもある。同業者から愚痴外来と揶揄される事から容易に推察できるだろうけど外聞も余り良くないし、成果も余りあがらないから昼行灯とみなされている。まぁ、間違ってないけれど。俺は一応一通りのこの組織で生き残るスキルは身に付けたけれど、権力に挑むのも階段を上ろうとするのも性分に合わないらしい。現状維持、それが望むべき最高のシナリオ。でも高階病院長は違うらしい。
簡単に事情の説明を受けた俺はかなりびっくりしていた。どれぐらいびっくりしたかと云えば子猫を千尋の谷に落とすぐらいの驚愕の内容だ。俺には何故だかわからないが重大極まる大役を指名されて拒否できなくなっていた。
この東城大学医学部付属病院には一人大物が居る。外部にアピール出来る存在という奴だ。下手をすると患者からは偶像視されているかもしれない。一般的には通称の"チーム・バチスタ"と云えば通じるかもしれない。バチスタ*1とは人名で術式の通称名だ。移植手術が法的に認められて久しいが、絶対流通量は相当不足している。特に心臓となればそれはもう足りないなんて話じゃないから移植以外の手法もまた一つの分野として伸びてきているのだが、バチスタ手術はその心臓に関する一つの方法だ。簡単に言えば心臓が肥大する病気*2に対して動的に縮小再構成を実施するということなのだが、手術に際して一度心臓を止めたり、一般的に術死の可能性が非常に高いことから難易度の高い手術ということだ。その"チーム・バチスタ"が凄いところは平均生存率六割の所九割近く成功していると云うことなのだ。そりゃあマスコミが担ぎ上げるのも理解できる話だろう。それについ最近まで連勝記録を26まで伸ばしていた。外科に疎い俺でも神懸かり的な能力はわかる。それだけ凄腕なのだろう、桐生という男は。
桐生恭一は鳴り物入りで米国から招聘された外科医であり、"チーム・バチスタ"の支柱といえる。この男無しでは手術は成功しなかっただろうし、この大学病院が注目を浴びることもなかっただろう。
高階病院長の話は端的だった。くだんの桐生から頼まれて俺に調査をして欲しいらしい。ここ最近までの桐生の手術成功率は三十例中二十七例、バチスタ手術の成功例としては非常に素晴らしい成績といえる。だが、桐生は残る三例についてどこか不自然さを感じているらしい。手術は成功した、だが患者は生き返らなかった・・・。なんとも後味の悪い話だがそういうものなのだから仕方がない。桐生は術式の失敗はなかったと明言しているらしい。そこで俺が出張ることになったわけだが・・・本来はリスクマネジメント委員会の仕事のはずだ。その旨を高階病院長に伝えると「その内部監査の為の予備調査」であることを明言したが何とも歯切れが悪い。切り捨てられる可能性が頭に去来する。まぁ、よくわからないがきちんと餌で釣って退路を断たれて進む道は一本、行く先はわからないという状況だ。現状維持を願う俺の思惑は権力者にはわからないらしい。進むも地獄退くも地獄、同じ地獄なら進むこと割り切りが肝心なのだろう。そういうわけでこのよくわからない手術の事故原因の予備調査はこうしてはじまったんだな、これが。

感想

海堂尊初読み。第四回このミステリーがすごい!大賞受賞作です。相変わらずミステリー色の薄い作品がやってきました。まぁ、面白いつまりはエンタメ方向の作品なのでいいんでしょうけど。
この作者に云えることはただ一つ、ほんとに新人なのか?ってこと。導入と結末までの道のりは実に丹念に丹精込められています。選考委員の香山二三郎と茶木則雄はそれぞれ小説を書くということに馴れていないのではないか、という疑問を持ったようですがうーん、気の回しすぎな気がします。そもそもこの賞は新人賞ですよ?元々作家になりたい有象無象がワラワラと蠢いている状況はわかりますが長年苦労してきてようやく受賞という流れは最近下火です。新進気鋭、という言葉が似合う作家が最近活躍しているような。もうちょっと空気読んで下さいな。
まぁ、新人臭くないって所を一番如実に伝えるのはストーリーテリングとキャラクター配置かな。導入で巻き込まれ型、更に大学病院の言葉でのやりとりのシリアスさなんかを見ると丹念さを想起させるしね。加えてキャラクターがやや誇張された漫画チックさを強調しているところからして最近のはやりを考えないわけにはいかないわけで。奥田英朗の『イン・ザ・プール』の伊良部やライトノベルにおける自我肥大気味のハイテンションキャラクターなんかは漫画文化的な文脈で生まれてきたある意味で日本的な存在ですからねぇ。それに巻き込まれ型っていうストーリー展開も元々漫画的ですよね。めちゃめちゃステロタイプな少女漫画というギャグを描いた場合の「遅刻しそうな少女がパンを咥えながら疾走。四つ角で男性と激突」みたいなもんですから。ラブコメにありがちといえばありがちです。まぁ、本作は全然ラブコメとは縁がないわけですがw。
一方結末部分ですが、こちらは前半に比べても丹念すぎる印象を持ちました。ここまできっちり結末以降のエピローグを書ききる人って最近少なくないですか?なんか清々しさを強調したところに浅田次郎を連想したんですけどこういう印象を持った人って居ないのかな。
なお、この本を読んでシリーズ化への布石を感じない人はいないでしょうねぇ。登場しないけれどある程度そのキャラクターが想像できそうな人物が手ぐすねを引いているというのに書かないというのは勿体ないわけで。それにいくつかの選択肢もこの作品から派生しそうです。今回は田口医師が主人公ということでしたが、実際は第二部以降に登場する白鳥圭輔が影の主役です。つまりは選択肢はもはや一つではないのですよ。シリーズといっても白鳥圭輔が出ればokなのか、田口医師を中心に話を進めるかという選択肢が生まれているわけですな。探偵小説における探偵役に鎮座する白鳥が今後絡んでこないわけはないんですけどその白鳥の座を占めそうな人物が田口医師以外に今回出てきませんが名前だけ出てきているキャラがいる所からして佳い意味で野心的ですなぁ。素直にシリーズ化した方が良さそうだね。
あとはそうだなぁ、この賞受賞したケースでは"ミステリー"色が蔑ろにされている部分は毎度なので佳いんだけど、今回はそれがきちんと謎を煽っているのに中途半端なのは否めないわな。やはりミステリー色を中心にせずとも良かったんじゃないか、っていう意見は当然出ますが誰もそれを意識はしてないでしょうからねぇ。それと病院内を問題を取り扱っているって云うところで当然専門知識が結構出てくるけれど難解さは希薄。でも術式に入ったらわからない部分が多めなのは前情報不足なだけなんだろうか。解説説明が増えてくれると寄り読みやすくなるんじゃないかな。
キャラ立ちのしている小説を読みたい方、医療現場にちょっと興味がある人にはいいかも。あくまで軽い小説なので気晴らしに最適かな。
80点

参考リンク

チーム・バチスタの栄光
海堂 尊
宝島社 (2006/01)

*1:学術的な正式名称は左心室縮小形成術という。

*2:拡張型心筋症など

ラーメン雫の巻

終業前に直帰で青梅行きへ乗り、やって来ましたラーメン雫。
時刻は十八時二十分ぐらいについて行列と云うには入るまですぐのたった三人の後ろに並び待つこと十分。ようやく食することが出来ました。実は私の後ろ二人の所でスープ切れという事で販売終了ということになっていたので早めに抜け出してきて正解でしたわ。それにしても十七時三十分頃にスープ切れとは・・・。僅か一時間で切れるのはやはり華金だからか?*1
本日は金曜日とあってスープは鳥の塩でした。前評判通りスープ系という事をまず確認。コーンポタージュっぽいって話を聞いてましたが一口目は鳥の香りが相当する濃いめの味と匂いが気になりました。
一言でいうならば濃厚。ただし、かなり辛い。辛いと云っても塩辛い方向です。塩で濃厚こってりっていうのは相当に珍しいんじゃないかなぁ。数口スープを口に運んでみたところではこれ単体では厳しいという予感を覚えました。
麺は堅めでも柔らかめでもないちょっと縮れたものでスープによく絡みましたがいかんせん一玉の量が私には少なく感じました。替え玉が有れば佳かったんですけどねぇ。増量って追加で頼めるもんなんでしょうか。
ちなみに麺を食べ終わった後に貧乏性の為スープを飲んだわけですが、コーンポタージュって云うのがようやく理解できました。スープをかき混ぜてぐいぐい行くと確かにコクのあるコーンポタージュって云う感じでしたね。そこに少し鳥の独特の匂いと味が絡んできましたが余り気にならないかと。
でもやはりちょっとスープが塩辛すぎたかな。塩だとクリアな感じをイメージしていただけに意外性に絡め取られたように思います。塩部分のきつさが1/3カットされれば好みな感じかも。まぁ、もう一つの方にもチャレンジする予定なのでそちらに期待。

*1:古すぎる

池上永一 シャングリ・ラ

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あらすじ

時は21世紀、前世紀のツケを引き受けなければならない世界は一つの決断を迫られた。すなわち、炭素本位経済の導入である。
大気中に排出された夥しい量の二酸化炭素はほんの少し排出を制限したぐらいではなんの変化も生まれなかったのだ。地球の温暖化はどんどん促進し、世界中に亜熱帯の地域が生まれ季節は失われつつあった。更に問題なのは島国である。先進国の工業化のツケを水位の上昇という形で国土の消失をただ漫然と眺めるよりほかない地域はあまりに多かった。故に金本位制度から管理通貨制度への移行後再び世界は一つの物質を中心にまわることになったのだ。
では舞台である日本の状況を説明しよう。
第二次関東大震災が勃発し、首都東京は壊滅的な被害を受けた。海抜零メートル地帯は水没し、復旧は困難をきわめてもいた。そして炭素本位制度が導入されたことで排出炭素を減らすことを目標に国は動いていく。排出炭素を抑えることが国毎に課金されている炭素分担金の節約になる為、輸出工業を基盤とした日本としては加工工業を続けるために絶対的不可欠なポイントだったのだ。故に炭素を排出する為にあるとしか思えない都市東京は政府の肝煎りによるごり押しのすえ放棄され、強制緑化の対象となった。勿論その対象となった土地の住人にとってはたまったものではない。政府に敵対する者が現れ、やがて反政府ゲリラとかして組織化されたりしたのも自然な流れだろう。だが、そこに今話を向けても詮無いこと。話を戻そう。
今森の広がる東京には我々には見慣れない物体が天を衝いている。あまりにも巨大すぎて距離感を喪失しそうなそれは当然の事ながら人の手による構造物なのだ。それの名前は『アトラス』、世界を背負った巨人のそれである。アトラスは炭素本位制度の落とし子だ。日本は世界的にも先進的な炭素の基礎技術を持っており、空気中の炭素を凝固させる手法を手にしていた。炭素削減と素材の入手を同時に行えるこの技術は日本の更なる飛躍を支えたのだが、アトラスはその素材「カーボンナノチューブ」で支えられている。「カーボンナノチューブ」は軽くて丈夫とあってメガストラクチャ(超構造体)を支える建材としては最適な物だったのだ。
アトラスは東京から追い出された住民を収容するために作られた、はずだったが、アトラスがいくらでかくても全てを収容するには無理があり、建築が始まって以来20年以上も経つが未だに完成してもいない。
そんな中で人々は二極化を迎えていた。二酸化炭素による温暖化の影響を直で受ける地上で生活をするか、快適な四季を感じることが出来るアトラスで生活をするか、という二極化だ。全員が入ることが出来ないアトラスは抽選制によって入居者を制限していた。アトラスに入ることが出来ない人々は熱帯雨林と化した旧市街地で藻掻いていた。バイオテクノロジーでコンクリートさえも穿ち、繁茂というには生やさしすぎる地獄を出現させていた大地は人間を拒み、スコールの度に大洪水を引き起こしていたのだ。生態系は完全に亜熱帯のそれに変態を遂げた森林は人間に牙を剥き、弱い者から夥しく死んでいく。それでも大地と縁を切れない難民達はその森と対峙していた。世界的に緑化が推進される中、急進的に無理を押し通そうとする日本政府に対抗するため原始の火を武器に戦いを挑んだのだ。森を焼けば炭素が生まれる。今や世界中が国連の人工衛星によって監視されている。巨大な熱源を察知した人工衛星イカロス三号はその国に対して炭素分担金を引き上げる。やり方は原始的でも効果的に示威行動を行えるというわけだ。
物語は北条國子が関東女子少年院から出所するところから始まる。彼女は反政府ゲリラ「メタル・エイジ」の次期頭領と目される人物である。彼女には少し不思議な能力が有った。神懸かり的な直感と人を安心させる術である。それだけでもカリスマぶりが想像できるがもう少し人となりを解剖してみよう。
彼女は血の繋がりのない祖母に引き取られたことになっている。つまりは肉親との交流はゼロなのだ。彼女は実の父親と母親のことは知らない。引き取った当の祖母は「メタル・エイジ」の頭目である。数々の小競り合いを政府と繰り広げてきた歴戦の古強者であり、出口の見えない戦いを未だに続ける狂信者だ。だが、寂しさを彼女は知らない。何故ならば両親を知らずともそれを代替してくれた人物が居るからだ。その人物を外見で判断するなら絶世の美女である。スタイル抜群でコケティッシュな姿態をみて女性と疑う人物は十中八九居ないだろう。だが、染色体的に判断するならば厳然とした男性であることも事実なのだ。かつて柔道の日本代表にもなったことのあるその人物は現在モモコと名乗っている。そう、彼女はニューハーフなのだ。男性と女性のいいとこ取りをしたモモコが國子を育てたと言っていい。ある時は父親代わりを、そしてそれ以外は母親代わりを、更には格闘術の師匠でもある。モモコは國子にとって特別な人物であった。
そのモモコは國子を迎えに関東女子少年院に自動車でやって来た。そうして「メタル・エイジ」の本拠地に帰るのだ。森を切り開き、難民を収容するためにつぎはぎだらけになった「ドォウモ」と呼ばれるアトラスの鏡、ゲリラの故郷へ。

感想

池上永一二作目。沖縄出身の作家だけに地元ベースの小説作りが基本でしたが、今回の舞台は未来の東京ということでちょっと毛色が変わっています。とは言え、つきものの超常現象*1は出てきますし、一応沖縄の言葉も少しですが出てきます。
あらすじは設定だけに絞ってみました。だって情報量が多すぎるんですもの。ストーリーその物にはほとんど触れていない訣ですが、このストーリー部分はあんまり深く考えても仕方ないので楽しむことだけ考えて読めればいいんじゃないですかねぇ。
タイトルの『シャングリ・ラ』(Shangri-la)とは英国作家のジェームス・ヒルトンがチベット語の「シャンバラ」から作った造語です。大意は所謂楽園のことですね。一般的に楽園というものは平和であり、太平楽であり、満たされた地を指します。メガストラクチャ「アトラス」をシャングリ・ラとするならばそれをめぐる闘争と権謀術数の物語と云うことになるわけですが正直平和ではないですな。とはいえ、的を射た表題であることは間違いなさそうです。
今回のテーマは未来世界における「自然との調和」と「経済の相関性」と「技術の行方」あたりですかねぇ。そこに作者が創作の核心とする軍事力の問題が重ね合わされて形作られているように思えました。やはり沖縄に基地があるだけにセンシティブな部分としての軍事力に興味があるようです。と言ったもののあんまり自身はありません。だって作者の作品は他に一つしか読んでないからね。沖縄ネタも固有の創作テーマだけど個人的には合わないからなぁ。方言出されると読む気がなくなるんだよねぇ。岡田芽武の『ニライ・カナイ』って漫画があったけれどあれも全編沖縄語が出ずっぱり。もはや方言と云うよりも古沖縄語と云った方が正しい独特の語感が正直鬱陶しかった。呪術っぽさを演出するのには向いているとは思うけど親しみとか暖かさとかを無条件に押しつけてくる感じがローカルな方言には有りますよね。ま、今回は一箇所だけなんで気にせず読めましたけど。
内容を噛み砕いて云うならば、本作はラノベにありがちな近未来世界の超能力救世主が活躍する話と云えるかもしれない。それだけだと実に卑近な感じがするが実際はもっと丹念に肉付けが成されているので比較的読める小説に仕上がっている。ハードSF一歩手前って感じかな。まぁ、ニュータイプに連載されていただけにアニメっぽい体裁なのは仕方がないのだとは思う。主人公は女で登場人物のほとんどが女だらけ。メインターゲットがどんな層か容易に想像はつくよね。加えてどこか時代錯誤の設定が時代は繰り返すとばかりにクロスすることで郷愁を誘い、ファンタジーっぽさも演出している。更にひと味加えるのはコミカルなニューハーフ二人だ。なんかニューハーフが出てくるってあたりで今敏の『東京ゴッドファーザーズ』が浮かんだりしましたがちょっと違いますね。まぁ、ミクスチャ小説というよりは単純にエンタメ独走、荒唐無稽上等、「面白ければそれで良し」を体現したような形に仕上がってはいると思います。でもその分荒削りすぎるところが目立つので私はそういう重箱隅が気になっちゃいました。ようするに漫画のノリなんですよ。「死んだはずのあいつがまだ生きていた!!!」が×数回繰り返されたら人は馴れちゃいますよ。急転直下紆余曲折快刀乱麻の活躍の影に悲劇が顔を覗かせてこそ引き立てられるわけで、宮下あきらの如く何度も死人になったはずの人物を生き返らせたりするのはどうなのかなぁ。まぁ、ここら辺が漫画っぽいって云うかアニメっぽいっていう部分なんでしょうねぇ。それに『アトラス』の究極目的も拍子抜けだったし、首都放棄をするぐらいならば、アトラスにしがみついて首都を維持せず各地に機能移転した方が確実にコストは小さいしメリットも大きいよね。天皇タブーが云々と作者はあとがきで書いているけど、なんか「本土がどうなろうと沖縄人の自分には関係がない」っていうスタンスを婉曲に伝えているように思う。ストーリーと相まってなんか途中でアホらしくなって来ちゃったよ。まぁ、炭素経済云々は現在の経済制度がまやかしの上に成り立っているっていうイロニーだろうね。あと「東京の顔」となる建築物が見つからないと嘆いていたみたいだけど、ここまで密集している都市は世界中見渡しても稀なぐらいなんだから、漠然と「東京」と云ったところで無理でしょう。一点豪華主義や明治大正の頃の建築物と違って仰々しくする必要性が無いわけで。ま、最終的に皇居って事になったみたいだけど、作者の云っていた「東京は緑が溢れている」っていうのは実は正解。皇居の林のあたりとか新宿御苑とか実は東京には自然はかなりあります。昼間に東京にいる人口あたりの面積は小さいかもしれないけど、先進国の首都としては無闇やたらに緑が多いのです。ただ、商業地があまりにも多すぎるためにそれがわかりづらいわけですな。
ま、そんな話はさておいて。この本を読み始めてナウシカを連想しない人は居ないはずです。反政府ゲリラの次期頭目で一流の戦士でもある。無鉄砲でありながら無双、おまけに自然との闘いまで含まれるならば連想しない方がおかしいです。アニメっぽさっていうのはこんな所にもあるんでしょうねぇ。
あと気になったのは作中のノリです。陽性のお祭り騒ぎって言う感じなんですが通常対極の存在やなんかも有ったりして天秤の釣り合いがおおむねとれたりするはずです。でも本作は陽性に傾きっぱなしなんですよね。陰性の人物が出てきたかなぁ、と思っても陰性の迸る情熱を陽性に伝えてしまう。この本には罵りが圧倒的に足りません。そうdisって奴です。エルロイ的な悪人が0なのでなんかしらけちゃうんですよねぇ。シリアスなはずの場面でも戯画化された存在同士のやりとりになってしまって妙に明るくて躁的だったりするわけです。独特といえば独特ですけどちょっとねぇ。
70点
大風呂敷を広げて畳んだ手並みはお見事、ただ評価は読む人に寄るんじゃないかなぁ。この世界観のドライブ感が合うなら最上級のエンタメかも。広い層に受けそうだけど駄目な人は駄目だろうなぁ。
蛇足:ニューハーフの銀って一体何なんだ。
蛇足の蛇足:ドォウモって「どーも」と「Doom」と「Dome」の三重の意味があるのでは無かろうか。ま、作者にしかわからんが。

参考リンク

シャングリ・ラ
シャングリ・ラ
posted with amazlet on 06.05.18
池上 永一
角川書店 (2005/09/23)
売り上げランキング: 28,676

池上永一の他のエントリ

レキオス

*1:『レキオス』だけで判断ということでかなり適当。流して良し

終業〜帰宅までの流れ

残業せずに速攻地元付近まで帰ってきたのは良かったが、腹が減った。先日近所の昭島駅近くに大勝軒が有ることを知ったので小腹を満たすために下車して寄ってみた。が・・・店長が替わるとかで25日付近まで休みorz
気を取り直して更に地元に近い福生のラーメン雫に寄ることにする。が・・・月曜日は定休日orz
ということで自棄で漫画を30冊ほど購入。
ああ、旨いラーメンが喰いてぇ

東野圭吾 容疑者Xの献身

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あらすじ

高校で数学を教えている石神は最近恋をしていた。だが、浮世離れをした生活を長く続けてきた石神のこと、興味は全て数学の研究に傾いていたので何をどうしたらいいのかよくわからない。幸いなことに石神は生来のポーカーフェイスで顔色はそう簡単に変わらないのを利用して相手の居る店に出入りするようになった。弁当屋「べんてん亭」で販売をやっている目当ての女性のことはよくは知らない。石神の隣の部屋に越してきた一人娘の居る女性、それで十分だった。だが、なんの悪戯か状況は急転直下の変転を見せる。なんとその親子が殺人に手を染めたのだ。
花村靖子とその娘、美里はひっそり暮らしていた。水商売で働いていた靖子は店のオーナーが商売替えをして弁当屋を開くというのにくっついて河岸を変えた。大きな娘を抱えって年を喰ったホステスが食べていくのは大変なのだ。回りをホッとさせることも出来たし、成功だったと思った。だが、忍び寄る影は二人ににじり寄ってくる。
靖子はかつて二度結婚をしている。最初の亭主との間に美里は出来た。美里を育てるためにホステスとして頑張っているところで二度目の結婚相手である富樫と出会ってしまったのだ。当時は羽振りが良く、子育てに疲れていた靖子にとって救い主のようだったが、馬脚はすぐに現れた。会社の金を使い込みしていた富樫はクビになりヒモに堕ちた。靖子はなんとかして離婚をして富樫から行方をくらまそうと頑張ったが引っ越しには金がかかる。そう何度もやっては居られなかった。それでも何度も富樫に見つかっては金をせびられ続けた。弁当屋に鞍替えしてようやくその手から逃れたと思ったのにここにも富樫の手が伸びてきていたのだ。富樫は靖子の住む部屋まで来て「一生たかり続ける」と呵々大笑しながら宣言をした。富樫に怯えていた美里はその様に絶望を覚えたようだった。富樫の帰りしな最初の一撃を加えたのはその美里だったのは禍根をここで断つ決意をしたからかもしれない。結果靖子は反撃を試みようとする富樫から美里を守るために富樫をこたつの電気コードで絞殺する。
隣の部屋に住む石神は一連の出来事をおおよそ把握していた。そして、花村親子を身を呈して守ることを決意したのだった。

一方警察の草薙は旧江戸川堤防で発見された男性の死体の案件に駆り出されていた。被害者は全裸で着衣は一切ゼロ、顔面は完膚無きまでに破壊し尽くされ手の指も焼かれていた。早速草薙はガリレオ先生こと湯川の元へ事件を持ち込みに出向くことにした。事件の壁にぶち当たったら湯川の所に行くのは習性みたいなもんである。草薙はそれはそれは気軽に考えていた。だが、そんなに軽い物ではなかったのだ、この事件は。

感想

東野圭吾の本はこれで二十四作目。本作は第134回直木賞受賞作で昨年の≪このミステリーがすごい!≫、≪本格 ミステリ・ベスト10≫、≪週刊文春ミステリーベスト10≫と三つで一位を獲ってたりするので実質四冠です。直木賞の候補になること六回でようやく受賞ですから感慨ひとしおか、さもなきゃどうでもいいか、どっちかなんでしょうねぇ。
それにしても色々物議をかもした作品だけに期待しましたが期待未満というのが適正ですかねぇ。やはり一番の話題部分は直木賞って所でしょうけど、それはあくまでヘゲモニーの問題に過ぎないので置いておくとして、侃々諤々の本格論議がこの本にまつわる一番大きな話題だったのではないでしょうか。要するに「本格ミステリーか否か」という二階堂黎人の「本格じゃない」という意見とそれに反論する笠井潔の「いや、本格だろう」という意見の応酬を野次馬的に楽しんでいましたが結局の所「本格を規定する価値観」の相違ぐらいしか無いように思います*1。技巧的にどうこう言うよりも雰囲気で判断した方がいいような感じがしますし。結局の所私はこの本が本格ミステリーとはちょっと思えませんね。技巧的にどうこう言うならば、本格だったら「無駄なぐらい不可能状況による殺人が起こる」、「倒叙であるのにメイントリックをぼやかしていること」、「所謂古典テーマからの逸脱」(クローズド・サークルとかね)、「犯人当てではない」とかいうあたりですかね。倒叙の取扱にだけにこだわっているように思ったのでこりゃあ「本格」はつかないんじゃないかなぁ。これが本格ならば同著の『秘密』なんかも本格の範疇に入っちゃいそうで嫌だわ。ま、気にしない人には実にどうでも佳いことですな。感覚的な部分ではやっぱりこの本はシリーズ物であり、これの前の二冊がかなり予定調和的なご都合科学ミステリーであった部分が影響していると思います。それにこの本はあくまで本題が殺人事件の捜査では絶対にないと思うのですよ。スポットを浴びているのは捨て石になる覚悟をした男の苦境と仄かな恋心であって、トリックが明かされることで舞台転換(大ドンデン)が必ずしも万全に行われてはいないとも感じました。こういっちゃあなんですが湯川が今回正直いい人に徹しすぎて気持ち悪いですね。これも作者の毒がかなり薄められているからなんでしょう。静謐さと緻密さを演出する上では必要以上に感情部分を描写して盛り上げようとするのは逆効果になりかねません。だからこそなんとなくひっそりしている印象が付きまといます。でも倒叙の場合はサスペンス風味が通常主な味になるので打ち消し有っちゃっているように感じました。それがちょっと勿体ないかなぁ。
分かりやすい伏線とその回収は万人向け。でもこれが直木賞を受賞する必然性は正直ないかと。過去ノミネートされた物の方が良かったかもしれません。大絶賛されるほどではないのではないでしょうが軽くミステリーでも読んでみるか、そう思う人には丁度いい軽い読後感の本です。恋愛を交えているので普通のミステリーよりも受け入れられやすいだろうし単純な犯人当てにならないのも飽きさせませんしね。
この本の弱点は何故湯川は石神を見逃さなかったのか、これに尽きるんじゃないでしょうかね。苦悩する探偵役の内心を描かなかったのはストーリーテリングとしては良かったのかもしれないけれど、落とし所が慈悲心を見せて石神を捨て石にさせないようにするあたり、「じゃあお前が告発のきっかけ与えなければ上手く収まったんじゃね?」に帰着しちゃうわな。
年間日本では一万人も行方不明者が出ます。そこの中に一人増えようが減ろうが大勢に影響はないでしょうに・・・。ま、そもそもの間違いは事件に首を突っ込んでいる事なんでしょうけどねぇ。
70点
号泣で終了には納得がいかないというより、だから何?って思った私は少数派?正直そういう場面って鬱陶しいだけなんだけどなぁ。
この本で純愛とか感動とかいうと嘘くさくなるよ。

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容疑者Xの献身
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東野 圭吾
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*1:それにしても二階堂黎人も馬鹿だよねぇ。「本格じゃないんじゃね?」ってあたりでとめておけば良い物を、「この本を本格だと誤認している読者を批判している」とかウルトラCな所に着地するあたり斜め上

小川洋子 博士の愛した数式

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あらすじ

あけぼの家政婦紹介組合から紹介された仕事は少し変わった物だった。老年の男性の身の回りの世話をする、それは家政婦として働いていればごく普通の範疇に入る。だが、当人に会う必要は契約を結ぶときに現れた老婦人から必要ないと言われた。
「今日あなたと顔を合わせても、明日になれば忘れてしまいます。ですから、必要ないのです」
そういった老婦人の説明によると、当人は1975年以来記憶の蓄積が出来なくなっているとのことだった。短期記憶の存続可能時間は80分。丁度一時間と二十分きっかりであらゆる記憶が無かったことになってしまうらしい。
また老婦人は一つ注文を付けた。母屋と離れは行き来せず、離れで全ての始末を付けること。二人の関係は義理の姉と義理の弟、老婦人の亡夫の弟らしい。あまり意味らしい意味を見出せぬまま、「その家の家風」というお題目に沿って生活する家政婦としては異議を差しはさむ訣にもいかない。
そして私はその後私が博士と呼ぶ事になる老年の男性の世話を焼く仕事に就いた。
博士は数学者であるらしい。記憶の機構が破壊されている男性が働くわけにもいかないので数学雑誌の懸賞を解いて僅かな賞金を手にしているらしいのだが、それで生計が経っているわけでもなさそうだ。問題を解くことは博士の生きがいなのだろう。初日に付けられた注文は「私が考え事をしているときに煩わしくするな」であった。博士は短い記憶を維持しながら数字と格闘することが全てだったのだ。だから身の回りも気にしないし生活は離れの中で閉じている。実際博士の格好は季節を問わずスーツ姿だった。クリーニングから帰ってきた服をいつも頓着せずに着ている。ただそのスーツには普通は見られない物が多数くくりつけられていた。消えていってしまう記憶を出来る限り留めるために沢山のメモ用紙が雑然と鎮座していたのだ。
博士との会話は常に数字を介して行われた。博士は毎朝知らない家政婦である私とのコミュニケーションをとる方法として誕生日だとか電話番号だとかの数字がいかに素晴らしいかという秘密を私に教えてくれた。普段生活をしている中では絶対に気がつかない素数が博士の大好物だ。おかげで私も段々と難解な数学にちょっとだが興味がわいてきた。
博士との生活の中で最も影響を受けたのは私の息子だろう。博士がルートとあだ名を付けた息子の頭は絶壁頭で確かにルート記号に見えないこともなかった。博士は意外なことに子供好きで、家政婦という仕事柄一人っきりにさせている息子のことを話すと子供をほったらかしにしていることが気にかかり、以後学校から帰ったら博士の住む離れへ通わせるようにさせた。そうして二人の交流は始まったのだ。

感想

小川洋子四作目。
作者の代表作と云える本作をようやく読めました。映画化して有名になった本作ですが、個人的にはちょっと物足りないかな。
この本は数学が嫌いな人でもちょっと見方を変えることで面白くなる、ということを教えてくれます。故に数字に興味が無い人こそ楽しめる本に仕上がっていますが、ストーリーは基本的に一本調子です。起伏に富む話の展開じゃないので「記憶が80分しか保たない」というしみじみとした"もののあわれ"をどう受け止めるのかによって評価は変わるのではないでしょうか。
それにしても他作品は幻想風味が強い文学作品という指向が強い様なのに、本作は大衆作品臭いですねぇ。これはちょっと意外。どっちかっていうと暗めの支離滅裂な話が普通だったのに、こういうほんのりほんわか話を書かれると路線変更したのかなぁと勘ぐりたくもなります。こういう話というと梨木香歩が連想されるわけですが、ついさっきまで脳内で梨木香歩小川洋子を誤認してましたよ。『西の魔女が死んだ』の様な「終の世代とこれから伸びる若人を繋ぐ」タイプの話が好きなんだろうなぁ、っていう論を展開しようと思っていたけれど作者を間違ってちゃそりゃ無理だわw。
まぁ、『貴婦人Aの蘇生』っていう似たような状況はあるにはあるけれど、こちらは比べものにならないぐらいどこかリアルに加齢臭を感じさせるちょっと陰湿な話だからねぇ。陽性に転換するとこうなるのかもしれない。
この本になにか感動を求めている人は肩すかしを食らうことになるでしょう。でも毛色の変わった本としては悪くないかと。数学的な部分とストーリー的な部分を絡ませるのは作者は難渋したでしょう。よくもまぁ数学テーマでかけたなぁと思います。
ただ、その分医学テーマの「記憶の失調」については腰砕けです。「80分しか記憶が保たない」という一言で力業に出ています。同じ記憶の喪失*1を描いた萩原浩の『明日の記憶』の方がサスペンス感も喪失も秀でているのではないでしょうか*2。こちらも丁度映画化ということなのでチェックするのも佳いかもしれません。
記憶には三つの段階があります。「記銘」で覚え込み、「保持」でそれを維持し、「追想(あるいは想起)」で思い出すというわけです。本作では込み入った説明が一切無いので恐らく「保持」機能の障害なのでしょう。現状脳障害克服は難しいですから現実的な落とし所はこの作品の終盤あたりが妥当でしょうねぇ。
驚きは多くないですがそれなり。
70点
むしろ作者の意外性みたいな部分が驚きになるかもしれない。他作読まないとアレだけどね。

参考リンク

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*1:こちらは若年性アルツハイマーだけどね

*2:ただ、個人的にはネタが誰かの後追い的な作品が多いように思うのであんまり作者の荻原浩は好きじゃない